滋賀縣護國神社。
彦根城の東に鎮座。
旧内務大臣指定護国神社で、現在は別表神社に指定されている神社。
境内
社頭
鳥居
社号標
狛犬
手水舎
参道
南参道の鳥居
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内の碑等
平和の礎・シベリア強制抑留者慰霊碑
悲惨な第二次世界大戦は、日本のポツダム宣言受諾により、昭和二十年八月十五日を以って、終結した。
然るに旧ソ連は、協定を守る事なく六十余万人の日本将兵を酷寒のシベリア各地に連行抑留し、長期に及ぶ過酷な重労働を強制した。飢えと寒さの生地獄の中、祖国日本への帰還の願い空しく、本県出身者四百余名は、遂に力尽きて無念の死を遂げた。
誠に痛恨の極みである。辛酸に耐え生還した私たちはこのことに深く想いを致すと共に抑留死没者の冥福と恒久の平和を祈念し、財団法人全国強制抑留者協会の助成並びに会員、遺族等の賛助を得て、ここにこの碑を建立する。
祈 平和之碑、戦歿軍馬軍犬軍鳩靈之碑
左から宮田思洋句碑、花塚、拓魂碑
拓魂碑の左奥に小さく見えるのは拓友碑。
左:母の像、右:父の像
滋賀県英霊顕彰館
平成28年に開館したそう。
他にもいくつか碑があるようです。
彦根城は境内から見えるかな…と思ったら全く見えませんでした。
由緒
当神社は明治九年招魂社として創始せられ戊辰東征の役戦死者青木貞兵衛頼実之命以下二十六柱を鎮祭し爾来西南の役日清日露の戦ひを始め屢次の戦役事変殊には大東亜戦争に斃れたる本県出身の英霊を鎮祭す 昭和十四年四月内務大臣の指定に依り滋賀県護国神社と改称し次いで昭和二十三年時勢の推移に伴ひ沙々那美神社と改称せられしも昭和二十八年再び滋賀県護国神社の社名に復し現在に至る
明治8年4月、内務省布令により旧彦根藩主井伊直憲が主唱者となり、彦根町字尾末(現在地)への招魂社造営に着手。
同9年5月に竣工、7月に官祭彦根招魂社として戊辰の役東征従軍戦死者青木貞兵衛頼実之命始め26柱の神霊を招魂鎮座。
元々は明治2年、龍潭寺(位置)に戊辰戦争の戦死者26名を祀る招魂碑が建てられており、そちらから遷して神社とした、というのが始まりのようです。
昭和14年、内務大臣指定護国神社となり滋賀縣護國神社と改称。社殿の整備造営並に境内拡張工事に着手し、昭和18年竣工。
敗戦による占領軍の進駐・時勢の推移により昭和22年、沙々那美神社と改称(さざなみは近江にかかる枕詞)。
昭和28年、現社名に復称。
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。
アクセス
彦根駅西口を降りて、正面の大通りを彦根城の方に向かえば鳥居が見えてきます。
車の場合ちょっとわかりづらいのですが、いろは松側、南参道の鳥居(位置)から乗り入れ、境内の砂利が敷いてあるところ(=参道の石畳以外)に停めていいそうです。
30台程度は停められるそうですが、灯籠や木があるので気をつけて。祭礼などの際は使用できないこともあります。また隣接するいろは松駐車場は観光バス専用のため、普通車は停められませんので注意。
神社概要
社名 | 滋賀縣護國神社(しがけんごこくじんじゃ) |
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通称 | – |
旧称 | 官祭彦根招魂社 沙々那美神社 |
住所 | 滋賀県彦根市尾末町1-59 |
祭神 | 明治戊辰役以来滋賀縣出身の戦没者英霊(34750余柱) |
社格等 | 旧内務大臣指定護国神社 別表神社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | https://www.shigagokoku.jp/ |
備考 | – |
参考文献
- 「滋賀県護国神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995