近江神宮(大津市神宮町)

近江神宮。

近江大津宮跡に近い、宇佐山の麓に鎮座。

勅祭社の一社で、戦前は官幣大社、現在は神社本庁の別表神社。

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境内

社頭

 

向かいには踏切

 

社号標

 

一の鳥居

北参道(大津自動車教習所の北側から入る)にも鳥居があるみたいです(位置)。

 

参道

 

二の鳥居

 

手水舎

 

石段

 

楼門

 

楼門内側から

 

狛犬

社殿

外拝殿

 

外拝殿に置かれている轟太鼓

 

轟太鼓

差渡五尺有余

重量百五十貫

昭和天皇御在位五十年の年に皇尊会が首唱により有志壱千名の浄財を以って奉祝寄進されたものである。

今から千三百有余年のむかし近江神宮の御祭神であられる天智天皇の御代「漏尅を新臺に置きて始めて候時を打ち鐘鼓をならす」(日本書紀)との故事に鑑み朝夕に打鳴らす太鼓の轟は比叡ヶ嶺よりも弥高く琵琶の湖よりも弥広く御神徳を発揚し大津京の頃さながらに志賀の県町々村々を渡りゆくのである 願はくば幸よ響きあへと祈る。

 

内拝殿

 

奥に見えるのが本殿

その手前(本殿と内拝殿の中間)に見えるのは翼廊だと思うんですがちゃんと見えないのでいまいち構造がわかりません。図解資料も見当たらず…

社殿は近江造・昭和造と呼ばれる新しい建築様式。傾斜地に対応した社殿の配置構成に特色があるとのこと。

境内社等

外拝殿から右手に繋がる通路

 

栖松遙拝殿

 

栖松遥拝殿

この社は、大正天皇の聖旨に依り有栖川宮の祭祀を継承された高松宮宣仁親王が、御成婚ののち東京高輪の宮邸内に御創建、妃殿下ともども日々礼拝しておられた御霊屋であります。

両殿下薨去後、高松宮とご縁の深い当近江神宮境内へお移しすることとなり、今般原寸通りの復元移築工事が完了、栖松遥拝殿と名づけられました。命名の由来は、有栖川宮の「栖」と高松宮の「松」の一字づつを拝戴し、栖むところ松の緑の如く清らかにの寓意をこめて、亡き宮様方の御遺徳を永く偲ばんが為であります。ご参拝の皆様方には併せて皇室の御繁栄と国運の隆昌・開運安寧とをご祈念下さい。

 

片割れだけの狛犬

 

鳥居手前にあるこれは、ネットの情報だと井戸だそうです

かの玄松子さんが参拝された頃(御朱印の日付から平成14年?)には神井・破備貴井として覆屋もあったようです。

神宮公式サイトには「境内の井戸や手水の水も、かつてはこの神水につながる山の水でしたが、西大津バイパスの宇佐山トンネルの開通後、水脈が断たれたためか、あまり水が出なくなりました」とあり、現在はトンネル開通の影響で枯れてしまったのだと思われます。

 

遙拝殿右手に小祠が2社

玄松子さんが言及されている留宮社と瑞穂殿がこちらでしょうか。

 

遙拝殿の正面にある北門

 

神楽殿

 

漏刻

オメガ社総代理店による奉納だそうです。

 

漏刻

水時計

日本最初の時計の模型

近江神宮と時の記念日

天智天皇が御在世10年(西暦671年)近江大津宮(今の近江神宮の付近)に初めて漏刻台(水時計)を設け、あまねく国民に時を知らされたことは、日本書紀に「漏刻(ときのきざみ)を新台に置きて始めて候時(とき)を打ち鐘鼓をならす。始めて漏刻を用ふ。この漏刻は天皇の皇太子にまします時に始めてみづからつくりたまふ所なり」と伝えられています。

大正9年に制定された<時の記念日>は、そのご神徳を後世に伝え、正しい時間の観念の普及をうながす目的をもって、天智天皇が漏刻を置かれた4月25日(太陰暦)を太陽暦に換算して6月10日と定められました。

6月10日<時の記念日>には近江神宮において<漏刻祭>が盛大に執り行われております。

この漏刻の模型は一目盛りがおよそ10分間を示すように作られています。

 

古代火時計

ロレックス社による奉納だそうです。

 

古代火時計

この火時計は約4000年前、中国にて、おもに夜間の時間を計るものとして用いられたもので、龍の背に等間隔に計14個の銅球が吊り下げられており、糸の下を燃え進む線香の火が糸を焼き切り、球が落下し、下に設けられたドラが鳴って時を告げるものです。

この時計は1間隔がおよそ2時間を示すように作られています。

 

他にも日時計が置かれていました

 

お城みたいな時計

 

時計館宝物館

 

外廻廊・外透塀に百人一首のパネルがずらっと掲げられています

 

全部は撮れないので一番好きな一首だけ…

由緒

由緒

御祭神 天智天皇 又の御名 天命開別大神

御祭神は第二十八代の天皇であるが、はじめ中大兄皇子と申上げ、今を去る約千三百年の昔、大化改新の大業を完遂遊ばされ、我が国古代に於ける立国の体制を確立せられ、雄大な建国の理想を実現せられた中興の英主であらせられる。

神界に坐しては、天命開別大神と称えられ、万物の運命開拓のことを司宰し給う宝位につかれ、吾等が運命の開顕をはじめ、明治維新の大業も、現代の目覚ましい文化的飛躍も、その冥助によるところと敬慕して、「世直しの大神」「開運の大神」と信仰されている。

又小倉百人一首の「秋の田」の御製で昔から国民に親しまれ、「学問の神」「知恵の神」と崇められると共に、御在世の時初めて漏刻台を置き、時刻を国民に周知せしめられた御事蹟により、時計関係の祖神と仰がれている。

当神宮はその御聖徳を敬仰する県民数度の請願が発端となり、官幣大社として昭和十五年十一月七日御鎮座になり、爾来例祭は毎年四月廿日勅使御参向のもとに厳修されて今日に至る。

創建は昭和15年(1940)11月7日。

創建前史として、明治28年に時の大津町長が有志を募り、滋賀郡滋賀村大字錦織字御所ノ内(現・大津市錦織2-8-14)に志賀宮址碑を建設。

明治33年に大津宮創立の企画が始まり、同41年に大津市制施行10周年に際し、時の市長が大津宮跡に天智天皇奉祀神社の創立を熱望する旨を発表し請願活動開始。

昭和12年に近江神宮奉賛会が組織され、翌13年には昭和天皇の御聴許をいただき、同年6月10日時の記念日の日に地鎮祭執行、昭和15年に竣工しました。

当時は大津宮の所在地について複数説が出ていましたが、戦後の発掘調査により、錦織地区が大津宮の中枢部とする見方がほぼ確定しています(近江神宮前駅付近に遺構発掘地点が複数あります)。よって当神宮境内も大津宮の一角ないし隣接地であったとみられます。

 

昭和20年12月15日、神道指令が発令された当日に昭和天皇により勅祭社に治定。

 

日本書紀 天智天皇10年(671)4月辛卯(25日)条に、天智天皇が漏刻(水時計)を置き時を知らせた旨の記述があり、その日を太陽暦に換算した6月10日は時の記念日に指定されています。当神宮ではその6月10日に漏刻祭が斎行されています。

また天智天皇が小倉百人一首の巻頭に「秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつつ」と御製を残されたゆかりから、かるた関係の行事も多数行われています。「ちはやふる」(漫画・アニメ・ドラマ)にも登場し注目されたようですが見てないので全然わかりません…

御朱印

御朱印はあります

楼門脇の神符授与所にて拝受可。

オリジナル御朱印帳もあります。ピンク地に桜さざ波の社紋があしらわれたデザイン。2017年に出たものだそう。

もう一つ、黄緑地に菱模様のデザインのもの(布多天神社のと似ている)もあり、これは昔からあるようです。

授与所が開く前に参拝したので現物は見ていませんが…

アクセス

神宮公式で案内されているルート(車の場合)は3つあります。

①名神高速京都IC方面からの場合

西大津バイパス宇佐山トンネル(3つ目のトンネル)を出てすぐ側道へ、最初の信号を右折、反対車線の側道から山中越え県道へ

…地元の人でないとわかりづらいと思いますが、山中越え県道とは京都府道・滋賀県道30号下鴨大津線のことです。側道とか文章で書かれるとよくわからないと思うので上記の説明の範囲をGoogle mapにルート表示しました(京都ICからのルート地図)。

②坂本・堅田方面より西大津バイパス利用の場合

近江神宮ランプ側道へ 信号を越えてすぐの二又を左へ

…来る方向が違うだけで近江神宮ランプで降りるところからは①と同じです。一応ルート表示しました(坂本・堅田方面から西大津バイパス経由のルート地図)。

③浜大津・石山方面・名神大津IC方面より

湖岸道路(県道558号)利用 柳が崎交差点左折(堅田方面からは右折)突当り

…これは図示するまでもないと思いますが一応(浜大津・石山方面・名臣大津IC方面からのルート地図)。

 

一の鳥居からの参道は車両通行不可なので、その左手に沿った道へ入ります。

その奥に駐車場(位置)。もう少し上がったところ(位置)にも駐車場あり。

境内案内では二の鳥居右手あたりにもP表示がありますが、現地にはバス駐車場の表示がありました。

神社概要

社名近江神宮(おうみじんぐう)
通称
旧称
住所滋賀県大津市神宮町1-1
祭神天智天皇(天命開別大神)
社格等

旧官幣大社

勅祭社

別表神社

札所等
御朱印あり
御朱印帳あり
駐車場あり
公式Webサイトhttps://oumijingu.org/
備考

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