讃岐宮。
またの名を香川県護国神社。
善通寺駅の西、1km弱のところに鎮座。
旧内務大臣指定護国神社で、さぬき十五社の十二番。
境内
県道沿い、讃岐宮と乃木神社の中間にある社号標
鳥居
社号標
狛犬
五省の碑
錨
参道
左手に見えるのは資料館。
資料館の横にある古びた荷車
なんでも、九七式沸水車というものらしいです。普通に野ざらしになっているけどいいんでしょうか。
社殿
拝殿
本殿
最初の社殿は昭和16年4月25日竣工。歳年と共に建物の荒廃が目立ったため、昭和57年大修復にかかり、同60年4月完成したとのこと。
由緒
紙垂で少し隠れてしまったので、読めるところだけ…
讃岐宮 香川縣護國神社について
香川縣護國神社は明治維新以来祖国日本のため、尊い身命を捧げて郷土を守…た香川県ご出身の全御英霊三万六千余柱をお祀りしてある唯一のお社である。
明治三十一年旧陸軍第十一師団が当地に新編されたとき招魂社を祀られたのが起源であり、その後昭和十三年十一月内務大臣から一県一社の「香川縣護國神社」指定をされた。
当時の県民は挙って土砂を運び、樹木四千六百本を献木し郷土の森を創設、…以来毎年五月五日を例祭日と定めた。
御祭神第一座は明治維新の折、皇宮蛤御門で戦死された、うら若き十九歳の小橋友之輔命、第二座は越後柏崎で陣没の勤王詩人草薙燕石命である。
ここに「讃岐宮」と称する所以は、香川縣護國神社をはじめ、相宮「四国乃木神社」「先賢堂」「警察消防招魂社」「日本一社交通神社」などそれぞれの神社を総称した御社号で、昭和二十一年秋以来「讃岐宮」と申し上げている。
緑豊かな社叢は、今も県民の心の故郷、憩いの場となっている。
当社の創祀について、神社のWebサイトでは「明治10年、丸亀駐屯歩兵十二連隊附属地に丸亀招魂社を創設し、維新以来国事殉難者の霊を祀ったが、明治31年、旧陸軍第十一師団が当地に新編されたとき、偕行社内に戦没将兵の霊を祀ることとなった。昭和16年4月現地(文京町)に社殿を造営。」としています。
丸亀招魂社(社名からして、丸亀に鎮座か)を当地の偕行社に遷し、その後現社地に社殿造営という形でしょうか。
「讃岐宮」の社名については乃木神社をはじめとする境内社含めた総称とのこと。
戦後、他の多くの護国神社と同様に社名を変更し、香川縣護國神社の名を復活させた後も並行して讃岐宮の名を使っているのかな、とも思いました。推測ですが。
乃木神社は後述の通り隣接する土地にあるのですが、「先賢堂」「警察消防招魂社」「日本一社交通神社」は見当たりませんでした。護国神社に合祀されているのでしょうか。
乃木神社(四国乃木神社)
讃岐宮の北に乃木神社があります。
参道
社号標
拝殿
本殿
社名の通り、陸軍大将乃木希典とその妻乃木静子の夫妻を祀る神社。善通寺市HPには昭和10年、讃岐宮HPには昭和12年創建とあります。社地に旧社務所があるのですが、2014年末に火事にて全焼してしまったそうです。参道脇にあったようなのですが参拝時には全く気付かず…2015年5月時点ではあるいは焼け残り部分も解体されていたのかも。拝殿や本殿等と合わせて国の有形文化財に指定されていた建物だけに、残念。
御朱印
御朱印はあります。
讃岐宮と、乃木神社のものとがあります。
アクセス
高松自動車道善通寺ICを降りて右折し、900mほど先の西原北交差点(位置)を右に折れます。
1.7kmほど先の交差点(位置)を左折し、700mほど進むと駐車場入り口があります。
「日本一社 交通神社」の看板が立っているところがそれ(位置)。
鎮座地は四国学院大学、中央小学校、西小学校と周囲三方を学校に囲まれた面白い配置です。
神社概要
社名 | 讃岐宮(さぬきのみや) 香川県護国神社(かがわけんごこくじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 丸亀招魂社 |
住所 | 香川県善通寺市文京町4-5-5 |
祭神 | 護国の英霊 |
社格等 | 旧内務大臣指定護国神社 |
札所等 | さぬき十五社十二番 |
御朱印 | あり(讃岐宮/乃木神社) |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | http://sanukinomiya.org/ |
備考 | – |
参考文献
- 「讃岐宮」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995