飯持神社(佐渡市飯持)

飯持神社。

佐渡市飯持の田地付近、小倉川に面した丘の上に鎮座。

式内社 飯持神社に比定される神社。

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境内

社号標と参道

 

狛犬

 

鳥居

 

手水鉢

社殿

拝殿

 

本殿覆屋

 

社殿に繋がっているこの建物は参籠所か神饌所?

由緒

境内由緒板

飯持神社

鎮座地 畑野町大字飯持236番地

御祭社 保食神

境内社 八幡神社 祭神應神天皇 武内宿禰

     白山神社 気長足姫尊菊理姫命

     小田原神社 狹依姫命

例祭日 太陽暦による三月と九月の社日

新嘗祭 十二月十日

由緒

延喜式内旧社であり当国(佐渡)九社の第六位に列し、明治六年六月に郷社となりました。

祭神保食神は五穀を始め牛馬養蚕鳥魚等の守護神であり靈徳顕著にして近郷より多数の参拝者がありました。

延宝中正六位上橘三喜社参の折の奉納額「萬民のみたまのふゆ(水)をうけ持のかみの社はかすかなれども」を当社の宝物としていましたが、今は所在がわからなくなっています。

創建時期は不詳。

現在の読みは「いいもち」ですが、『釈日本紀』では美氣毛智(みけもち)の訓を挙げています。

 

延喜式神名帳にみえる「佐渡国雑太郡 飯持神社」に比定されています。

 

『朝野群載』巻6に承暦4年(1080)6月10日、他数社と共に社司に中祓を科せられた記録が見えますが、その後衰退したようで、延宝年間(1673~1681)に神道家の橘三喜が参拝した際には小祠となってしまっていたようです。

橘三喜は参拝時、和歌を奉納しています。

「萬民のみたまの水をうけ持の神の社はかすかなれども」

(境内案内板によれば水はふゆと訓ずる模様)

この和歌の書かれた奉納額は社宝となるも現在は所在不明とのこと。

 

明治6年(1873)郷社列格。

 

祭神は保食神。

『佐渡国寺社境内案内帳』には「御神號若宇賀能賣神氣化神也御膳持須留若宇賀能賣神」とあり、嘗ては祭神を若宇賀能賣神としていた模様。

 

境内案内板には境内社として八幡神社、白山神社、小田原神社の記載がありますが、境内社は存在せず。

『佐渡国誌』や『佐渡神社誌』によれば相殿神のようです。

 

春秋の社日の祭は佐渡で最も大きいらしく、種子交換や神事が行われ、参拝者も多いと『畑野村志』や『式内社調査報告』にはありますが、近年はどの程度か不明。

御朱印

御朱印の有無は不明。

なしとの情報もあり。

本務は物部神社のようです。

 

アクセス

市役所や佐渡総合病院のあたりから国道350号→県道381号→県道81号と南下。

一宮橋交差点(位置)を過ぎて1kmほどで神社。

駐車場はありません。

神社概要

社名飯持神社(いいもちじんじゃ)
通称
旧称
住所新潟県佐渡市飯持236
祭神

保食神

境内由緒書

『平成祭データ』他

若宇賀能賣神

『佐渡国寺社境内案内帳』
相殿

應神天皇

武内宿禰

気長足姫尊

菊理姫命

狹依姫命

社格等

式内社 佐渡国雑太郡 飯持神社

旧郷社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「河内村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「飯持神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十七巻 北陸道3』皇學館大学出版部, 1987
  • 新潟県神職会佐渡支部編『佐渡神社誌』新潟県神職会佐渡支部, 1926(国会図書館デジタルコレクション 62-63コマ
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 上巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 459-460コマ