樟本神社。
今治市八町西に鎮座。
式内社 樟本神社に比定される神社。
境内
一の鳥居
社号標
社号標
読めない石碑
狛犬
注連柱
二の鳥居
扁額
三の鳥居
手水鉢
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内社等
境内社
おそらく神明神社。
柑子女神社碑
明治以前は柑子女神社(柑子神社)が当地の氏神で、樟本神社はその末社扱いでした。
柑子女神社については以下のような伝説があります。
昔当地に金持ちの家があり、そこに常世の国(中国)生まれの柑子という娘が来て下女になった。料理上手で大事にされたが、料理するところを人に見せず、コツも話さなかった。好奇心にかられた主人夫婦が覗くと、柑子は蛇で味付けをしており、怒った主人は柑子を斬り殺した(事実を知った妻がきつく叱った結果自殺したとも)。
その後主人は病死し、妻は発狂して入水、子供たちも病死、村人にも被害が出たため、村人たちは柑子さんのたたりだとしてお宮を造り祀ったとされています。
かつては多くの田を持つ大社だったそうですが、明治41年に樟本神社に合祀されています。
旧地には現在織物工場が建ち、柱の礎石が残っているそうです。
由緒
創建時期は不詳。
日本三代実録 貞観17年(875)4月5日丁巳条にみえる「伊予国従五位下楠本神従五位上」の楠本神、ならびに延喜式神名帳にみえる「伊予国越智郡 樟本神社」は当社に比定されています。
『本朝文粋』に、長保2年(1000)に大江以言らが楠本道場で勧学会を行ったとあり、また建長7年(1255)の『伊予国神社仏閣等免田注進状案』に免田・寺田・金剛般若田が与えられていたことが見え、中古は栄えていたことがわかりますが、その後衰退したようで貞享2年(1685)の『今治領寺社明細言上書』には「牛頭天王」として柑子女宮大明神の末社と記されています。
明治4年村社列格。
現在、社名読みは「くすもと」ですが、江戸時代は「まきもと」と読まれていたようです。
伴信友は『神名帳考証土代』において、当初「マキモト」と訓じていましたが、改訂の際に「クスモト」にあらためています(三代実録に「楠本」と記されているのを根拠としたとみられる)。
また『愛媛面影』も「クスモト」説を採り、明治以降は公式に「クスモト」が採用されています。
ただ、明治以降の書でも『伊予温故録』のように「マキモト」を採るものも存在します。
現祭神は素盞鳴命。かつて牛頭天王社とされていたためでしょうか。
『神名帳考証』や『伊予二名集』は木神としており、『式内社調査報告』はこれを社名によったものだろうとします。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
今治駅の南西、国道196号と317号が交差する片山交差点(位置)から196号を南東方向に(片山交差点までは今治駅の方から来るのでも、しまなみ海道の今治ICを道後・小松方面に降りてくるのでも良し)。
1.5kmほど先の交差点(位置)を左折、200mほど先(位置)で左折。700mほどで社頭。
社頭左側に駐車可能ですが、スペースは1台分。周りの道は狭いので、先客がいたらどこかで時間をつぶしてから再度来ましょう。
神社概要
社名 | 樟本神社(くすもとじんじゃ) | |
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通称 | – | |
旧称 | 牛頭天王社 | |
住所 | 愛媛県今治市八町西2-5-1 | |
祭神 | 素盞鳴命 | 現祭神 |
木神 | 『神名帳考証』 『伊予二名集』 | |
社格等 | 式内社 伊予国越智郡 樟本神社 日本三代実録 貞観十七年四月五日丁巳 楠本神 従五位上 旧村社 | |
札所等 | – | |
御朱印 | 不明 | |
御朱印帳 | – | |
駐車場 | あり | |
公式Webサイト | – | |
備考 | – |
参考文献
- 「樟本神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「樟本神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987