事代主神社。
阿波市市場町伊月、吉野川の北岸に鎮座。
式内社 事代主神社に比定される神社。
境内
鳥居
吉野川の土手の下すぐの場所にあります。
境内は公園も兼ねているようです
狛犬
社殿
拝殿
本殿
境内社
社殿左後ろの境内社とその脇の祠
森壱岐神
他で見たことのない名前です。
大住大明神
鎮守神社
祠
社日塔
稲生大明神の祠と詳細不明の神像
事代主命御歌
躬は此所に心は粟の齋く島 事代主と崇めまつれよ
伊月の地名は、「斎き」からきているという説があるそうです。
土手上から社地
参道横のソーラーパネルが景観を損ねている気がしないでもありません。
善入寺島(粟島)
当社の南には日本最大級の川中島である善入寺島があります。
忌部氏が開拓し粟を作ったことから古くは粟島と呼ばれ、これが阿波の地名の由来になったとも言われています。
粟島には事代主命の妃・阿波津媛命を祭神とする八條神社がありましたが、大正初年の吉野川改修工事で住民とともに立ち退いて八幡の八幡神社境内に遷祀され、粟島神社と呼ばれています。
粟島神社はここ。八幡宮(徳島県阿波市市場町八幡町屋敷49)の境内にあります(未参拝)。
吉野川の対岸、吉野川市には粟島の地名が残っています。旧麻植郡、阿波忌部の勢力地ですね。
正面に見えるのが善入寺島のはじっこ近く
参拝時には島のことはよく知らなかったため、渡っていません。
由緒
創建時期は不詳。
由緒については、『増補古城記』に下記のようにあります(原典未確認、『徳島県神社誌』より孫引き。厳密には神社誌も『八幡町史』を参照しているため曾孫引き…)。
増補古城記
伊月城附記して曰く、当国の元祖人皇三代安寧天皇の御宇出雲国事代主命当国に移り給ふとき五十鈴依姫斎御座す。御子残りて中川・郡・守等是その神孫なり
(安寧天皇の伯父にあたる多臣の子孫が出雲族をつれて阿波へきた。多臣は神祇を司る役柄であったが、伊月に土着して祭殿をたて祖先の事代主命と祖母五十鈴依媛を奉斎した…『式内社調査報告』による訳(?))
それ以外は不詳。
板野・名方・阿波の三郡には粟凡直を中心とした勢力圏が形成され、阿波国は朝廷に絹や糸を納めていました。それら上納品が当地の湊から積出された可能性があり、船にかかわりの深い事代主神が祀られたとも考えられているようです。
諸文献一致して、当社を延喜式神名帳にみえる「阿波国阿波郡 事代主神社」に比定しています。
明治5年郷社列格。
「おいべっさん」と呼ばれ、えびす祭りが有名な徳島市通町の事代主神社(位置)は、一説には当社から勧請したものだとも(下八万村の円福寺南隣にあったとするのが通説のようですが)。
御朱印
御朱印はありません。
宮司さんに電話確認したところないとのことでした(2019年時点)。
アクセス
国道318号、吉野川にかかる阿波中央橋の北詰の交差点(位置)を西へ。県道138号を1.4kmほど進むと右手に鳥居があります。鳥居の先に神社。
境内に駐車可能です。
神社概要
社名 | 事代主神社(ことしろぬしじんじゃ) |
---|---|
通称 | おっべっさん |
旧称 | 事代大明神 |
住所 | 徳島県阿波市市場町伊月字宮ノ本100-1 |
祭神 | 事代主命 大国主命 |
社格等 | 式内社 阿波国阿波郡 事代主神社 旧郷社 |
札所等 | – |
御朱印 | なし |
御朱印帳 | – |
駐車場 | 境内駐車可 |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「事代主神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「事代主神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984
- 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 256コマ)