風速神社。
大野市大矢戸に鎮座。
式内社 風速神社の論社。
境内
社頭
社号標
鳥居
扁額
狛犬
社殿
拝殿
扁額
本殿覆屋
由緒
鎮座地 福井県大野市大矢戸二拾八字住吉四番地
祭神 住吉三神 表筒男命 中筒男命 底筒男命
神紋 十六葉菊
例祭 九月十四日
境内地 参百七拾五坪
主要建物 本殿 木造瓦葺流造 拝殿 木造瓦葺切妻造
風速神社の創立年代は不詳であるが延喜式神名帳(延喜五年~延長五年 九〇五~九二七)に記載の大野郡九座中の風速神社は当社である
越前国官社考(安政四年 一八五七)に風速神社の御祭神は大矢戸村に鎮座の住吉大明神と申し上げる 三韓を御征伐なされた神と申し上げるより手向う兵舟を風の如く速さで転覆させる御威力の大神であるから風速神社と称え奉ったのであると記述してある
元文年間(一七三六~一七四一)に領主に提出した書状に住吉大明神の社は二尺五寸四方で大矢戸村が管理している御神像の丈高は一尺五分で木造の座像である 鳥居は木造で高さ七尺一寸巾六尺内法の壱基である 宮地は一反三畝二歩で御除地である云々と記してある
御神体の由来は略縁起(年代不詳)に住吉大明神が大矢戸村の奥山に陣を構え御逗留になって暴徒を平定された後河内の野田の庄へ御移りになられる時に村人が別れを惜しんで嘆き悲しむので住吉の神は自らの姿を彫り村人に与えられた 村人は氏神として御祀り申し上げたとある
往古大野盆地が沼湖であった頃当神社は現在地より五十米ほどの高台にあって境内地の入口の櫻の大木に船を繋いでいたが中世の頃に今の所に本殿を御移し申したと伝えている 従って平成十二年の御社殿新築は三度目の鎮座地移転の御遷座である
創建時期は不詳。
当社の略縁起によれば、住吉大明神が大矢戸村の奥山に陣を張り暴徒を平定、その後河内の野田庄に移る際、嘆き悲しむ村人に自らの像を彫って与え、村人はそれを氏神として祀ったとあります。
延喜式神名帳にみえる「越前国大野郡 風速神社」に当社をあてる説があります。
往古、大野盆地が湖だった頃には今より50mほど高い所にあり、また境内入口に桜の木がありそれに船を繋いでいたと伝わります。
中世期に現在地へ遷座。
明治9年村社列格。
由緒碑には「平成十二年の御社殿新築は三度目の鎮座地移転の御遷座である」とありますが、古い地図でも現在とほぼ同じ位置にあるように見えます。境内の中で若干の移動があったのでしょうか。
祭神は住吉三神(表筒男命、中筒男命、底筒男命)。
手向かう兵船を(風で?)転覆させる神徳から風速神社という、と『越前国官社考』は記しています。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
大野市街地から県道240号を北上します。
大矢戸地区に入ってすぐの十字路(位置)を左折して直進すると神社。
境内左手から車乗入れ可能
神社概要
社名 | 風速神社(かざはやじんじゃ) |
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通称 | – |
旧称 | 住吉明神社 住吉大明神 |
住所 | 福井県大野市大矢戸字速住4 |
祭神 | 住吉三神(表筒男命、中筒男命、底筒男命) |
社格等 | 式内社 越前国大野郡 風速神社 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし(境内駐車可) |
公式Webサイト | – |
備考 | 旧地は今より50mほど高い所 |
参考文献
- 「大矢戸村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「風速神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十五巻 北陸道1』皇學館大学出版部, 1986
- 福井県神社庁編『御大典記念福井県神社誌』福井県神社庁, 1994