春日神社。
伊賀市西山に鎮座。
式内社 葦神社の論社である木生神社を合祀した神社。
境内
社頭
鳥居
社号標
参道
二の鳥居
手水舎
社殿
拝殿が後ろにあるので、これは神楽殿や参集殿?
拝殿
祭神を記した額
狛犬
拝殿左側に掛けられた注連縄
拝殿左右の建物は神饌所?
本殿手前の狛犬
本殿
境内社等
御神木?
これもご神木?
根本に「夫婦円満 子孫繁栄 良縁」と書かれた札が立っていました。
池
由緒
一、主祭神 天児屋根命
一、例祭 四月五日
春日大明神縁起〔奈良春日大社社誌〕によれば、三笠山に御鎮座の春日四所大神に平安末期の久安三年(一、一四七)正月七日西山庄より南都春日社の節供祭に御神供を備進、久安五年(一、一四九)二月申日西山郷字赤衛谷を宮処と定め春日第三殿の天児屋根命を勧請とある。
鎌倉初期の文暦元年(一、二三四)社殿焼失文和二年(一、三五三)四月社殿再興、室町時代の弘治三年(一、五五七)赤衛谷より現在地に移転鎮座される。
現在の本殿は江戸中期の延享二年(一、七五四)造営にかかわるものである。
当社は古く平安朝時代から春日大社の四節供祭の御神供料所であったので以来長く明治維新まで続けられた、大正十二年神供料復興の意味で太平洋戦争まで玄米一俵を奉納して来ましたが、戦後中断平成四年に復活して現在に至っています。
明治四十年十月
木生神社〔木之久々能智神・名山主真剣荒魂〕
八幡神社〔応神天皇〕 石神社〔息長帯姫命〕
粟島神社〔少毘古那命・倉稲魂命〕
佐三神社〔熊野八荘司之後裔本村長佐三衛門〕
津島神社〔建速須佐之男命〕 浅間神社〔木花咲夜毘売命〕
神明社〔撞木賢木厳之御霊・天疎向津姫命〕 山神社〔大山衹命〕
熊野神社〔速玉之男命〕は春日神社に合祀される。
明治四年村社に制定され大正三年神饌幣帛料供進社に選定され今日に至る。
木生神社〔木生権現〕
宣化天皇の御代(五三五~五三九)に大山の頂を宮処と定め木之久々能智命・名山主真剣荒魂の二柱を祭神とし又神の使は狼であると云うも由緒不詳なり。
〔三国地誌 西山考証〕
西山村字魔舘谷は真剣の頸を堕した処(首堕瀧)で、その多くの神霊は魔となって人々を悩ましたるに、その地を魔谷と云う、その魍魎は多くの村民を熕わしたので山獄の頂に真剣の霊を祭り神木を盗んだ悪心を悔い善に帰りたいと願う荒魂と共に木の神をまつり社の称号を木生と号した。
社を斎したが祭礼が行なわれなかったので村民が多く煩った
これが神の祟りと又社の東北阪を通る馬も多く煩うをもって東向なる祠を南に向けて弘治二年(一、五五六)より始めし祭り(ナスビ祭)を今尚執り続けている。
社伝によれば創建は久安5年(1149)。春日大社からの勧請とされます。
久安3年(1147)に当地西山庄より南都春日社の節供祭に御神供を備進したことによる勧請とのこと。
なお『伊水温故』は寛弘元年(1004)の勧請としています。
文暦元年(1234)に社殿焼失、文和2年(1353)に再興。
弘治3年(1557)に現在地へ遷座。
延享2年(1754)に現在の本殿を造営。
勧請のきっかけとなった春日大社への御神供備進は明治維新まで続けられたとされます。
大正12年から神供料復興の意味で玄米一俵の奉納が始まるも、戦後中断。平成4年復活。
明治40年に木生神社、八幡神社、石神社、粟島神社、佐三神社、津島神社、浅間神社、神明社、山神社、熊野神社を合祀。
祭神は天児屋根命。
『平成祭データ』に載る合祀神は応神天皇(八幡神社)、木之久久能智神・名山主真剣荒魂(木生神社)、息長足姫命(石神社)、少毘古那命・倉稲魂命(粟島神社)、建速須佐之男命(津島神社)、木花咲夜比女命(浅間神社)、速玉之男命(熊野神社)、大山祇命(山神社)。
この他、境内由緒書には熊野八荘司之後裔本村長佐三衛門(佐三神社)、撞木賢木厳之御霊・天疎向津姫命(神明社)が記されています。熊野八荘司之後裔本村長佐三衛門は西山村を支配し村民を苦しめた人物だそうで、村民はこれを殺して谷山の大山祇とともに祀ったとされます(『日本歴史地名大系』)。
明治に合祀された神社の内、木生神社は延喜式神名帳にみえる「伊賀国山田郡 葦神社」の論社とされています。
木生神社は宣化天皇の御代(536~539)に大山の頂に創建されたと伝わります。
大山の頂の場所は不明、『日本歴史地名大系』は奥の谷山にあったとあったとしますがこれも不明。
ただいずれもせよ西山から大きく離れた場所ではなかったようで、『式内社調査報告』は「もともと阿拝郡にあったから」として、木生神社を山田郡の葦神社にあてることはできないとしています。
『三国地誌』によれば、西山村には真剣の頸を堕した処(首堕瀧)があり、その多くの神霊が魔となって人々を悩ましたため、そこは魔谷と呼ばれたといいます。
その魍魎が村民を煩わしたため、山の頂に真剣の霊を祭り、神木を盗んだ悪心を悔い善に帰りたいと願う荒魂と共に木の神を祀って木生と号したのが始まりとのこと。
真剣とは何らかの集団のようにも思われますが(「多くの神霊」というので)、神木を盗んだというので賊だったのでしょうか。
しかし祭礼が行われず、村民や社東北の坂を通る馬が煩ったので、これを神の祟りとして祠を東向きから南向きに変え、弘治2年(1556)より現在まで続くナスビ祭が始められたとされます。
ナスビ祭りは『日本歴史地名大系』によれば以下のような内容。
『日本歴史地名大系』
まず宵宮の午後三時頃から夜を徹して三種の神饌が用意される。一は二股の茄子で、水を加えずに味噌で煮付ける。二は蒸し米で、清い荒莚に包んで横杵でたたき餅のようにする。三のシトギは、洗米を横杵でついた白汁で、女陰の形に作った藁づとに入れる。明方よりオコナイ(座配)が始まる。第一座は左座でかつては無足人衆講、次に右座・中座・中座左・中座右の五座の順で、第一座の長老の加減見と挨拶により祝膳が始められる。
祭神は上記の通り木之久々能智神と名山主真剣荒魂ですが、『伊水温故』は「牛頭天王ノ垂跡」としています。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
伊賀上野駅前の高砂交差点(位置)から県道680号を西へ。
2kmほど先(位置)で左右に分岐するので右へ。
1km強先の十字路(位置)を直進。そこから道なりに1.3kmほどで神社下。
参道石段右手に車道があるので、そこに入り参道に沿って上っていくと、右手に駐車場があります。
この鹿やなすびの絵がかわいいフェンスが建っているところのすぐ上(写真の位置でいうと左手)が駐車場
この場所は参拝時は更地でしたが、今は植栽がされているようです。
神社概要
社名 | 春日神社(かすがじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 三重県伊賀市西山2265 |
祭神 | 天児屋根命 |
合祀 | 応神天皇 木之久久能智神 名山主真剣荒魂 息長足姫命 少毘古那命 倉稲魂命 建速須佐之男命 木花咲夜比女命 速玉之男命 大山祇命 |
社格等 | 式内社 伊賀国山田郡 葦神社(合祀の木生神社) 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | 春日神社は往古赤衛谷に鎮座 木生神社は往古大山の頂に鎮座 |
参考文献
- 「春日神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「春日神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 三重県神職会編『三重県神社誌 第2』三重県神職会,1922(国会図書館デジタルコレクション 206-214コマ)
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第六巻 東海道1』皇學館大学出版部, 1990