神洗神社。
一宮町綱田に鎮座。
上総国一宮玉前神社の元宮とされる神社。
境内
一の鳥居
扁額
二の鳥居
三の鳥居
扁額
手水鉢
社殿
覆屋と祠
祠
祠前に西宮大神宮商売繁盛守護の木札
石祠(旧本社?)
神洗池
祭神の玉依姫命は当地上陸後に池で身体(髪)を洗ったとされます。
参道脇の池
おそらく伝承にある神洗池。ただ…
池の左手にある井戸
ご祭神が体(髪)を洗ったのは上掲の池ではなく、この井戸なのだそうです(境内にいらした地元のおばあさん談)。
上総十二社祭り祭典場跡地
神社から国道128号に降りて100mほど東に進むと、上総十二社祭り祭典場跡地があります(位置)。
昔は十二社祭りのときにここで何らかの祭事が行われたのでしょうか。
祭典場跡地
惟時大同二年旧八月国造大伴武日連裔第十六代盛長神主となり「裸まつり」を始めてより一一七三年間に亘り執り行う
嘗て此の地は人皇第一代神武天皇生母玉依姫を中心に女系集団によって現太東岬釣ヶ崎に移住せし処にして南総一帯の開拓を行いその勢力は玉前神社を中心に次第に強大となり東国鎮護の拠点となった
毎年九月十三日には旧延喜式内大社国幣中社玉前神社御祭神玉依姫命を主神に附近十二社郷に奉祀する御縁故深き神々の神輿がこの由縁りの浜にて年に一度再会する神事で通称「十二社まつり」また「上総のはだかまつり」とも呼ばれ黒潮文化圏に属した雄大な古代の民俗祭祀が行われた旧祭典場であることを銘記し茲に之れを顕彰する
龍神祠
東浪見甚句の碑
「太東岬でいりくま見れば明日も大漁か鳥の群」
東浪見甚句は吾が九十九里の南端太東岬に隣る東浪見地方を中心として江戸時代初期より漁業の繁栄と共に創生せる民俗娯楽の代表的の一つとして其の和楽の妙趣溢れ貴重なる文献と称すべきものであるが昭和期に至って漁業の不振と共に埋没の傾向にあるので郷土の有志その煙滅を惜み率先してその保存と普及に尽力した 加うるに千葉県文化財専門委員文学博士今井福治郎先生の認むるところとなり千葉県指定無形文化財となった 尚甚句の中の「いりくま」の語は太東岬の有名漁巣として漁民の生活に最も親しまれている所である
九十九里浜の南端太東岬に近い東浪見村では江戸時代から昭和初期にかけて地曳網が盛んに行なわれていました。東浪見甚句はイワシ漁の栄えた江戸時代中頃から伝承され、大漁を祝う酒の席や豊漁祈願の行事など人が集まる時に歌われた「二上がり」という歌が元になっています。昭和三十八年(一九六三)六月、後世に残すべく生活唄の衰退を憂いた長谷川寶氏ほかの方々の尽力により保存会が結成され、その後県の文化財の指定を受けるにあたり、土地の名にちなんで「東浪見甚句」と名付けられました。昭和四十年(一九六五)に庶民の生活を知る上で貴重な歌として県指定無形民俗文化財に指定され、今も継承されています。
昭和四十五年(一九七〇)保存会の手によって記念碑が建立され、東浪見ゆかりの詩人・白鳥省吾の書による歌詞が刻まれています。
東浪見の鳥居
祭典場跡地から東500mほど、海岸に東浪見の鳥居が建っています(位置)。
上総十二社祭りでは各社の神輿がこの釣ヶ崎海岸に集合します。
東浪見の鳥居
海側から
砂浜
鳥居正面の砂浜にはウミガメの産卵場所があります
惟時大同二年旧八月国造大伴武日連裔第十六代盛長神主となり「裸まつり」を始めてより一一七五年間に亘り執り行う
嘗て此の地は人皇第一代神武天皇生母玉依姫を中心に女系集団によって現太東岬釣ヶ崎に移住せし処にして南総一帯の開拓を行いその勢力は玉前神社を中心に次第に強大となり東国鎮護の拠点となった
毎年九月十三日には旧延喜式内大社国幣中社玉前神社御祭神玉依姫命を主神に附近十二社郷に奉祀する御縁故深き神々の神輿がこの由縁りの浜にて年に一度再会する神事で通称「十二社まつり」また「上総のはだかまつり」とも呼ばれ黒潮文化圏に属した雄大な古代の民俗祭祀を伝承する処の聖地である
茲に十二社郷中より石鳥居を再建に際し之れを記念して顕彰碑を建立する
由緒
上総国一ノ宮玉前神社の元宮というべき社で玉前神社ご祭神玉依姫命と鵜茅葺不合命、姉神豊玉姫命と日子火々出見命をお祀りしている。
神代の昔、ご祭神が海から上陸された時その身体を洗われたと伝えられる池が参道左に見え神洗池と称されている。
昔は賑やかな祭典が行われていたと伝えられており、現在は月と日がほぼ同時刻に昇る旧暦の元旦に例祭を、また玉前神社例祭の九月十三日にも祭典を執行している。
なお、この社地は地元在住の鵜澤平氏より平成六年に奉納を受け、さらに社殿は平成十七年に玉前神社氏子有志により奉納されたものである。
創建時期は不詳。
玉依姫命が釣ヶ崎に上陸後、当地の池で身体を洗ったという伝えがあり、それゆえか玉前神社の元宮ともいわれます。
それ以外の由緒は不詳。
「昔は賑やかな祭典が行われていた」とされますが、それがいつ頃までのことなのかは不明。
平成6年に現社地が寄進されたとあるため、それまでは私有地だった模様(上掲説明板の氏名から付近にある造園会社の土地だったと思われる。いつそうなったかは不詳)。
参拝時に境内にいらした地元のおばあさんの話によると、説明板の由緒は少し違うとのこと。
- 祭神が洗ったのは身体でなく髪
- 洗った池というのは参道左の池ではなく、更に左にある井戸
髪を洗ったというのは玉前神社公式サイトの年間行事案内にも記述があり(2月16日の神洗神社例祭の項)、神社側も認識している伝承だと思われます。
社名ももしかすると髪洗(かみあらい)から転じたものなのかもしれません(髪洗井かも)。
実際どちらの伝承が主流なのか(池or井戸、身体or髪)まではわかりませんが、ご参考まで。
御朱印
御朱印の有無は不明。
たぶんないと思いますが。
アクセス
上総一ノ宮から国道128号を南下。
しばらく行くと神洗神社の案内板が建っています(位置)。
案内板
はっきり元宮と書かれています。
矢印に従って道なりに登っていくと神社前へ(道狭め)。
社頭に駐車スペースあり。
神社概要
社名 | 神洗神社(かみあらいじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 千葉県長生郡一宮町綱田 |
祭神 | 玉依姫命 鵜茅葺不合命 豊玉姫命 日子火々出見命 |
社格等 | 式内社 上総国埴生郡 玉前神社 名神大(旧地) 玉前神社末社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | 玉前神社元宮 |
参考文献
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十一巻 東海道6』皇學館大学出版部, 1976
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第十一巻 関東』白水社, 1984