加麻良神社(観音寺市流岡町)

加麻良神社。

観音寺市流岡町にある丸山という山(丘)の上に鎮座。

式内社 加麻良神社の論社。

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境内

社号標

 

注連柱

 

石碑

 

一の鳥居

 

扁額

 

二の鳥居

 

狛犬

 

三の鳥居

 

手水舎

 

狛犬

 

社殿近くの巨岩

磐座?

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

境内社

厳島宮 地神社 (一番右の祠は不明)

 

牛頭天王社

 

天満宮 船霊大明神 稲荷神社

 

稲荷神社のお狐さん

 

瀧宮 荒神社

 

橿原神宮遥拝所

 

鳥居と大己貴神像

御神室・石宮

御神室・石宮

少彦名命が流れ着いたとされる場所。

 

御神室の上の祠

 

由緒板

御神室・石宮

神社誌料には、山の名を御神室山と云う。大己貴神・少彦名神、四国御経営の時、此の山に御座まりまして、「地方を御治め在らせられし御霊跡なり」とある。

古老の伝説口碑に伝うるところ「昔、神田村羽方二の宮大水上神社に少彦名命が来りて夜毎に泣き叫ぶ、大水上神は木桝に命を乗せて流すと、神室山の中腹(この下、石宮)に着き泣き止む。土地の人たち、光明を放つこと不思議に思い近寄る人に、のり玉うは「我を大己貴の神の鎮まる此山に祭れ、然れば夜泣きをぞ守給うと」依って祠を厳樫の本に建奉りしなり。此の神の流れ着きし所を御神室と言う。又此処の古石祠を石宮と偁す。流岡の地はこの事に由来する。

大己貴神と少彦名神は協力してこの四国を拓き、農工商すべての産業開発と、方除治病(夜泣き)造酒、製薬、交通、航海安全、縁結び等世の中の幸福を増進することを計られました。人間生活の守護神であらせられます。

 

由緒札

此処の古石祠を石宮と云う。

大古少彦名命の流れ着きし所

神代の昔より樫の大木あり

明治18年の大旱の折、幾千年経し、樫の木枯れたり。

 

由緒札

「御神室」「石宮」は少彦名神が流れ着きし所なり、流岡の地名はこの事に由来する。「我を大己貴神の鎮まる此山に祭れ、然れば(諸願成就)をぞ守給うと」

遠近の人々、石宮に参拝し、三年間氏子となり、大祭には必ず参拝致す旨の祈願をなせば、少彦名神の御神徳により大願成就する、これ責任祈願なり。

 

三つ鳥居

御神室から少し下ったところにあります。御神室山とも言われるらしい丸山に対しての鳥居なのかもしれません。あえて三つ鳥居なのは大神神社との祭神の関係からでしょうか。

 

三つ鳥居前の狛犬

讃岐国延喜式内24社の祠

境内各所に、讃岐国延喜式内24社を祀った祠が置かれています。

 

田村神社

 

多和神社

 

志太張神社

 

神谷神社

 

水主神社

 

大蓑彦神社

 

布勢神社

 

加麻良神社

 

高屋神社

 

山田神社

 

黒嶋神社

 

粟井神社

 

於神社

 

大水上神社

 

大麻神社

 

雲氣神社

 

神野神社

 

櫛梨神社

 

宇閇神社

 

飯神社

 

城山神社

 

鴨神社

 

神前神社

 

和尓賀波神社だけ見つかりませんでした。

 

名称不明の祠が2つありましたので、このいずれかでしょうか

由緒

創建時期は不詳。

 

延喜式神名帳に「讃岐国苅田郡 加麻良神社」と見える他は中世までの史料なし。

三代実録の貞観6年10月15日戊辰条に「讃岐国正六位上…賀富良津神…従五位下」とあり、『神社覈録』では「賀富良津」を「加麻良」の転訛とする説を挙げていますが、有力ではないようです。

この賀富良津神については多度津町の海岸寺(四国別格二十霊場第18番)の境内にある賀富良津神社(址)を充てる説もあります。

 

社名の「かまら」の意味は神室(かむろ)に由来するという説のほか、諸説あります。

かつては「丸山大明神」(全讃史)、「五所権現」(讃岐国名勝図絵)等と呼ばれ、現在も丸山さんと親しまれているとのこと。

 

明治5年に郷社に列格。

 

『明治神社誌料』には現存しない社記が載っており、それには「山ノ名ヲ御神室山ト云フ大己貴、少彦名ノ二柱ノ神四国御経営ノ時、此山ニ御座マシマシテ、地方ヲ御治メ在ラセラレシ御霊跡ナリ」とあります。

 

『西讃府志』は「昔神田村ニ座千五神ノ御子ニ貌イト少クマシテ夜々啼玉フガアリケリ、父神悪ミ玉ヒテ升ニ入レテ流シケルニ、此処ノ岡ニ着玉ヒ即鎮リマシケリ、今其処ヲ御神宝ト云、是加麻良神ナリ、此縁ニヨリ流岡トイヘリト云」と、創建の伝承と流岡の地名の由来を記しています。

一方社伝では、「神代の昔二宮村の大水上神社に少彦名命来たりて、毎夜泣き叫ぶ。大水上神は木桝を作り少彦名命を乗せ川に流す。流れた跡が今の財田川で、流れ着いたのは丸山の中腹、現境内の御神室である。土地の人は命をこの地に祀る。流岡の地名はこの事に、加麻良は神室に由来する」と伝わっており、この時の桝は御神体となっているといいます。また丸亀藩主京極家奉納の金桝も社宝となっています。

実際に大水上神社と当社に関係があったのかは不明。

この伝承によって、当社は子供の守護神、殊に子供の夜泣きを止める神として崇敬されています。

 

現祭神は大己貴命、少彦名命。

明治以前には諸説あり、大己貴命(『讃岐国二十四社考』『讃岐国名勝図絵』『西讃府誌』『讃岐国神社考』)、大山咋命(『生駒記』『讃岐国名勝図絵』『西讃府誌』『讃岐史要』『神社覈録』)、少彦名命(『讃岐国名勝図絵』)、倉稲魂(『讃岐国二十四社考』)等。

 

香川県神社誌

延喜神名式に『讃岐国刈田郡 加麻良神社』とありて、讃岐国式内二十四社の一とす。往古より加麻良明神、丸山大明神と奉称せられ、子供の守護神として、殊に子供の夜泣を止め給ふとて厚く崇敬せらる。伝説によれば、神代の昔二宮村の氏神(県社大水上神社)なる大水上神の許に少彦名命来り給ひ、毎夜泣叫ぶこと甚し。大水上神木枡を作りて少彦名命を乗せ水に流し給へり。流れし跡今の財田川にして、流れ着き給へる所は現鎮座地なる丸山の中腹なり、時の人此の神を祀れりと云ひ、流岡の地名はこれに依て起れりと云ふ。境内御神室は命の漂着し給へる所なりと伝ふ。而して当社は御神体として木枡と鉾とを祭れりといふ。全讃史に『丸山大明神在高屋郷流岡村高屋室本流岡北岡吉岡五村之社也大己貴命少彦名命為主矣亦曰鎌倉神社宝珠寺主其祠』。西讃府志に『加麻良神社、祭神大山咋神トモ又大己貴命トモイヘリ、式内二十四社ノ一、丸山ニアリ』、同書に『相伝フ昔神田村ニ座千五百神ノ御子ニ貌イト少クマシテ夜々啼玉フガアリケリ、父神悪ミ玉ヒテ升ニ入レテ流シケルニ、此処ノ岡ニ着給ヒ即鎮リマシケリ今其処ヲ御神室ト云、是加麻良神ナリ』と載す。神社考には 『加麻良神社村社流岡村村黒属之所祭大己貴命按麻与茂通常有之加麻良蓋加茂等之転也 神代紀曰大三輪神云々此神之子甘茂君等大三輪君等云々 是加茂等之所祭有此称或謂之大山咋神者恐不然』と載せたり。

藩主京極家の崇敬厚く、現存の金枡は同家の奉納する所にして、元禄五年信濃国善光寺大勧心法師本孝の奉納せる扁額と共に社宝たり。棟札によれば、寛文八年、正徳三年、元禄四年、延宝五年、享保十九年、安政三年、明治四十年等屡々社殿の改築修繕あり。明治四十年九月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。境内に讃岐二十四社遥拝所二十四所あり。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

ただし、書置きのみの様です(少なくとも、私の参拝の時には)。神社で古代米を栽培しているそうで、古代米のおかざり(?)をいただきました。

アクセス

観音寺駅の北東2.5kmほど。

観音寺駅前から県道49号を北東に向かい、観音寺市村黒町交差点(位置)で右折して県道5号を1km強進むと、道路沿いに神社の看板が出ています。

駐車場あり(位置)。

神社概要

社名加麻良神社(かまらじんじゃ)
旧称

丸山大明神

五所権現

通称丸山さん
旧称
住所香川県観音寺市流岡町820-1
祭神

大己貴命

少彦名命

現祭神

大山咋命

『生駒記』

『讃岐国名勝図絵』

『西讃府誌』

『讃岐史要』

『神社覈録』

倉稲魂

『讃岐国二十四社考』
社格等

式内社 讃岐国苅田郡 加麻良神社

日本三代実録 貞観六年十月十五日戊辰 賀富良津神 従五位下

旧郷社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「加麻良神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「加麻良神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 香川県神職会編『香川県神社誌 下巻』香川県神職会, 1938(国会図書館デジタルコレクション 215コマ
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 313コマ