勝宿禰神社(倉吉市下田中町)

勝宿禰神社。

倉吉市下田中町に鎮座。

三代実録 貞観13年(871)4月3日己卯条に見える勝宿禰神に比定される神社。

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境内

社頭

 

鳥居

 

扁額

 

手水鉢

 

随神門

 

扁額

 

狛犬

 

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

境内社等

稲荷社

 

お狐さん、片割れのみ

 

荒神社

 

御神木?

 

神輿庫

 

社頭の石垣

両側手前の凸凹の大きな石は大御堂廃寺跡(国指定史跡となっている古代寺院跡、当社の西約600m、位置)から発見されたものだそうです。

 

平成8年9月 下田中集録史より抜粋

この石垣に保存されている入口の礎石(左右凸凹)は大御堂廃寺跡から発見されたもので注目されている。外の重石は竹田川の大洪水で流れ出たもので力くらべの力石に使われたものと見られている。

 

こちらも社頭に置かれている石

説明によると神社前の川に架けられていた石橋とのことですが、天神川に架けるには小さすぎます。西を流れる絵下谷川に架かっていたのでしょうか。川港がどこだったのか不明なので何とも言えませんが…

 

説明

ここの石は鳥取藩の貢米を橋津の藩倉に納めるため、神社前の川に架けられていた石橋で昭和年代に今のコンクリート橋に取り換えられた。

江戸時代の村人は、無事お倉納めが終りますようこの石橋の上で神社に手を合わせ川港まで米を運んだと伝えられている。

 

天神川の土手の上から境内

 

土手上に建っていた石

幟立石?

 

鳥取県指定保護文化財 木造稲荷像

指定年月日 昭和31年5月30日

木喰明満上人により制作されたいわゆる「木喰仏」である。上人は江戸時代後期に活躍した甲斐国(現在の山梨県)出身の造仏遊行僧で、全国を修行しながら歩き、自ら刻んだ神仏像を奉納したことで知られる。

上人は81歳の時に現在の倉吉市八屋に(寛政10年(1798)8月3日から7日)滞在し、その間にこの稲荷像や八屋にある秋葉大権現像、円谷にある神庭神社の稲荷像が制作されたものと考えられている。稲荷像は背面にある墨書銘から、8月6日に完成したことが分かる。

この稲荷像は一木造で、材は桜と考えられる。像高は47.2cm、岩座を含めた総高は57.5cmで、狐の背にまたがったユニークな造形をみせる。フリル状の襟が付いた袍衣と袴をまとい、沓をはく。左手には宝珠を握り、髪を両肩と背面に垂らす。瞳が描かれており、頭髪や眉、沓には墨、唇には朱が彩色されている。また、狐の耳の中は朱色に塗られている。そのほかの部分は素地を呈する。その姿は、髪型を除き円谷の像とほぼ同形である。満面に微笑をたたえた表情は木喰上人の微笑仏の特徴をよく表している。

なお、本像は現在倉吉博物館に保管されている。

 

稲荷像写真

 

倉吉市保存林 勝宿祢神社の森

指定番号 57

指定年月日 昭和62年1月1日

主な樹種 イヌマキ、スダジイ、モッコク、タブノキ

面積 1,113㎡

説明

主な樹種はイヌマキ、スダジイ、モッコク、タブノキなどである。里見屋敷に接し、往時を偲ぶ老木として町民に愛され、大切に保護されている。

 

里見屋敷

里見家の最後の大名、里見忠義公が、下田中に居を構えたことは、藩幹譜という史書に載っている。同書に曰く。

安房国をは収公せられ、常陸国鹿島郡三万石の替地として、伯耆国倉吉の地給はるべしとの仰せ下さる。(中略)

松平新太郎光政に預けられ、伯耆の田中に流され百人扶持給り、死して子なければ家絶えぬ云々

下田中での住居は、この勝宿禰神社附近であると云われている。それは、郷土史料及び古老の話からもうかがうことができる。

下田中での生活は、約二年間、ここから関金町堀に移され、弱冠二十九歳の生涯を閉じることになるのである。

 

虫送りの太鼓

夏になると、虫送りは村の大切な総事であった。イナゴ、ウンカ、ズイムシなど稲の害虫退治の願いを込めて夕暮れどき氏神様に集った。

神酒の入った男衆の掛け声を先頭に村人たちは太鼓や鐘を打ち鳴らし、たいまつをかざし、田んぼのあぜ道を練り歩き、村はずれまで虫を送った。

これがその時担いだ太鼓で、稲番や区長の寄せ太鼓にも使われていた。

最後まで読まなかったので太鼓を撮り忘れました…

由緒

創建時期は不詳。

当地に居住していた勝部が一族の氏神として創建したと伝わっているようです。

 

三代実録 貞観13年(871)4月3日己卯条に「伯耆国勝宿禰神…従五位下」とみえる勝宿禰神に比定されています。

 

その後の由緒は不詳。

一説にはかつて洪水によって社殿が流失し、現在地に移転再興したとも。旧地については不明。

 

勝宿禰大明神と称していたところ、安政6年(1859)に勝宿禰神社と改称。

明治元年には下田中神社に改称されますが、明治18年に勝宿禰神社に戻されたようです。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

倉吉駅の方から国道179号を南へ。

上灘中央公園入口交差点(位置)を左手(東)に折れ、川沿いよりも一つ手前の道(位置)を南方向に入って100mほどで神社。

駐車場はありません。

神社概要

社名勝宿禰神社(かちすくねじんじゃ)
通称
旧称勝宿禰大明神
住所鳥取県倉吉市下田中町113
祭神

彦火火出見尊

宇迦御魂命

社格等

日本三代実録 貞観十三年四月三日己卯 勝宿禰神 従五位下

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「勝宿祢神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「勝宿禰神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 鳥取県神社誌編纂委員会編『新修鳥取県神社誌 因伯のみやしろ』鳥取県神社庁, 2012
  • 鳥取県神職会編『鳥取県神社誌』鳥取県神職会, 1935(国会図書館デジタルコレクション 174コマ