十一明神神社。
南あわじ市市十一ケ所に鎮座。
淡路国総社に比定される神社。
境内
鳥居
参道は350mほど。
神門
扁額
手水舎
狛犬
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内社等
社殿左手の境内社
祠
社日塔
由緒
右当十一大明神は当国総社と崇尊して延喜式に載せられたる霊社にして古昔祈年祭等に国幣を奉られ国司以下散齋到齋して会祭し給えり貞観年中国府を三原郡に定め給い国中に散在せる諸社を此地に卜し定めて総社と崇め奉る所なり神祇官衰廃してより中古の国司社領をさえも滅損して古伝を失いたりといえども本社の基址厳然として猶存し古社の絵図及神像歴然として顕存す永禄元年社僧長寿院宥怡の筆なりという当社の縁起を伝えたり其概略を摘むに曰く十一明神は神代の昔天照大御神の大御言を以て八百万神達を神集に会め給いて荒振神達を平治しめ給う地にて此邪神四海に充満て大八洲国六十余洲五穀不穰大御神ここをもて天児屋命に勅して悉く平治し給う
是より禾穀豊熟して万民栄を楽しむ其後神功皇后の御時西海の夷狄襲い来りて宇内また静かならず応神代天照大神を初とし大廟の神を十一社に祭り給いて西夷鎮護並三韓出兵の祈願奉せられ神功皇后自ら祈願を籠めて奇瑞を蒙り給い帰朝の後瑞垣を修理し給う所なり
故に皇軍出陣御首途神の祝い奉る所なり其後大炊天皇の御時宝字大上天皇僧道鏡等の為に当国に御遷幸あらせ給えるに辱くも当地に行宮を営造あらせられ当社に行幸ましまし奉幣し祭奠厳にして夏中の法施㝡勝講などあり国家安泰万民の快楽を祈る依りて一国総氏神と称して崇敬し毎年十一月十一日祭礼の日諸方氏子の頭今に断ぜす御柴と名付けて調達すること常例なり当国兵乱の後神領を失いてより神殿等古の十が一分にだも及ばず本地堂拝殿鐘楼客人社神楽殿等皆朽損に及びぬ唯社地の古図旧記等纔に存して今に及べりここに別当社僧等大願を起し本殿に修理を加え総社の神号を弘め四海泰平の基を開き神徳を万代に輝かさんとす抑当社の濫觴は邪神退散の始に起り異国出兵の首途に栄え百穀豊熟の祈願に成るなれば当社の繁栄は実に国家の繁栄になるなり願くば内外の瑞垣を清潔にして永く国土の鎮撫たらんことを故に当社の略縁起を録して諸人渇仰の扶を祈るという
創建時期は不詳ですが、上掲の縁起によれば貞観年間の創建。
国府が三原郡に置かれた際に、国中の諸社を集め祀った総社とされます。
しかし、淡路伊佐奈伎神社と大和大國魂神社の二社は除かれており、そのため「十一」明神となっています。
この理由は不明。『兵庫県神社誌』には「式内大社二座ヲ祀ラザル理由ハ調書ノ説を妥当トス」とありますが、そもそも調書の説が未掲載。由緒項に「国司の式内社巡拝の煩を避くる為め三原郡小社十一座を此の地に祀りて小社巡拝の風に代へたる」とあるのでこれを指すか。大社は重要なので個別に参拝したということでしょうか。
同書は国人小杉氏の別説として、「伊佐奈岐神社大和國魂神社は国内の大社なれば上古より此地にも特齋祀奉りけむ其御社を即て総社に兼用ゐられ後に国内小社十一社を合祭られたりけむが旧来鎮座し二二(マヽ)社の神名はかへりて隠れたる如くなりもてゆきてたゞ十一所合祭とのみ申伝へたるならむもはかりがたし諸国ともに総社には此例まゝあることなり」という説を挙げた上で(容盛按、とあるので猿渡容盛の『総社或問』にある説なのでしょうか)、これを「穿鑿ニ過ギタリ」として退けています。
また『兵庫県神社誌』が引く『淡路常磐草』に、異説(天正ニ甲戌年十一箇所多宝坊社玉伝説)として「第一天照太神 第二左東伊弉諾尊 右西伊弉冊尊 第三左月読尊岩屋 第四左蛭子湊明神 第五右素戔嗚野原 第六左淡路廃帝野辺宮 第七左扇貴宮国府八幡応神天皇 第八杉尾明神二宮峯本 第九掃守氏明神宮造 第十久斗明神宮造 第十一守宮荒人神 又一説廃帝扇貴宮守宮神を除て伊弉諾伊弉冊を二座とし神功皇后八幡宮あり」とあります。
よくわかりませんが、野辺宮や国府八幡を含んでいるのでこの説を採れば当社は一国の総社ではない、ということになるのでしょうか。
境内にある上掲の縁起には、天照大御神が八百万神を集め、暴神を天児屋根命に勅して平治。神功皇后が天照大御神を初めとして十一座の神を勧請し西夷鎮護並三韓出兵の事を祈願。その後大炊天皇(淳仁天皇)が当社に行幸…といったことが書かれていますが、『淡路常磐草』は永禄元年(1558)に社僧の記した臆説とします(ただし境内縁起碑には「時元治改甲子元年秋日 里深山別当 光圓記」とあり)。
中世以降は衰退。
永禄元年(1558)本殿以下修造のため勧進帳を出したとされます(これが『淡路常磐草』でいう社僧の記か)。
明治6年(4年説もあり)、村社列格。
明治25年本殿改修、同43年事代主神社、荒神社を合祀。
御朱印
御朱印の有無は不明。
本務社は湊口神社。参拝時に当社の御朱印について伺うのを忘れていました。
アクセス
西淡三原ICを右手に降り、県道126号へ。すぐ先(位置)で県道は右手に折れるので、それに従い右手に。
2km先、大榎列交差点(位置)を右折し県道66号へ。
1.4kmほど先、右手に「史蹟 野辺乃宮」の標が立っています(位置)。
その先の角を右手に曲がり、更に80mほど先で左手に曲がって100mちょっと行くと神門横に出ます。
ただ当社には駐車場がなく、周辺の道も狭いのでどこかに車を置いて来たほうがいいと思います。
神社概要
社名 | 十一明神神社(じゅういちみょうじんじんじゃ) |
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通称 | – |
旧称 | 十一明神 総社十一明神社 十一大明神 |
住所 | 兵庫県南あわじ市市十一ケ所437 |
祭神 | 大日靈貴命 |
配祀 | 国常立命 伊邪那岐命 伊邪那美命 速須佐男命 加茂別雷命 速秋津彦命 速秋津姫命 少彦名命 興止姫命 田心姫命 市杵島姫命 湍津姫命 素盞鳴命 速秋津比古命 速秋津比売命 仲哀天皇 |
社格等 | 淡路国総社 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「十一明神神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「十一明神神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995