大和大圀魂神社(南あわじ市榎列上幡多)

大和大圀魂神社。

南あわじ市榎列上幡多に鎮座。

式内名神大社 大和大國魂神社に比定され、淡路国二宮とされる神社。

広告

境内

鳥居

 

扁額

 

社号標

 

歌碑?

案内板

鳴門美し夜や卯の花耳お楚八類ゝ 無曇

・鳴門見し夜や卯の花におそわるる

無曇は江尻浦の生れ。二宮寺の僧でもあったといわれる。文化十一年(一八一四)建立。

 

参道

 

手水舎

 

参道の石造物

古い手水鉢と燈籠の基礎…?

 

蘇鉄に埋もれた句碑

 

案内板

花左可李山ハ必古呂の安作保良希 はせを

・花ざかり山は日頃の朝ぼらけ 芭蕉

別名「花塚」として有名で、俳聖松尾芭蕉の句で、弘化五年(一八四八)建立。

 

なお東の山の上に御旅所があるそうです(衛星写真で見ると社殿後方に開けた場所が見えるのでそこでしょうか)。地図を見ると社頭右手から登っていける道があるようです。

社殿

拝殿

 

本殿

 

拝殿内には大和社印の写真が載った額

平安時代のもので、県指定重要有形文化財。

由緒

大和大圀魂神社由緒

一、御祭神 大和大圀魂命

配祀 八千戈命 御年命 素盞嗚尊 大己貴命 土御祖神

一、由緒

古ヨリ八太ノ二ノ宮ト尊称シ皇室ヲ初メ世人ノ崇敬厚ク臨時祭及祈年国幣ニ預リ給ヒ壱千弐百八拾有余年ノ星霜ヲ経移転ナキ旧社タル事青史ニ明カナリ 当国伊弉諾神社ヲ以テ一ノ宮トシ本社ヲ以テ二ノ宮ト称ス

文徳天皇仁寿元年官社ニ列シ清和天皇貞観元年従一位ニ叙セラル 醍醐天皇延喜ノ制ニ名神大社ニ列シ名神祭及祈年国幣ニ預リ給ヒ淡路国正税ノ内八百束(現在ノ米十六石)ヲ祭料ニ充テラル 文武天皇慶雲元年諸社ニ下賜フモノト伝ウル古銅印ハ現在重要文化財ニ指定サレ今尚当社ニ所蔵ス

土御門天皇元久二年庁宣ニヨリ祭料ヲ下サレ其神ヲ祭リ土民群衆桜花ヲ賞ス 世ニ二ノ宮ノ桜祭ト称シ世人ノ知ル所ナリ 後当国二ノ宮ト仰ガレ公武ノ崇敬浅カラズ

江戸時代蜂須賀侯深ク当社ヲ信仰シ元禄拾五年社領二反ヲ下賜ヒ代々祈願所ト定メ深ク当社ヲ崇敬シ社殿ノ改築等度々行ヒ実文(※)拾年本殿再興文政拾弐年天保拾四年諸殿建立 然ル所王政復古御維新以来廃藩置県ノ制度ニ改マリ其道絶セリ

明治六年県社ニ列シ三原郡一円信徒タルヲ以テ郡費ヲ充テ明治拾年本殿及諸建物悉皆新築シ現今ニ至ル

当社ハ大国主神即チ大己貴神ナリ其故ハ大黒ノ神影ヲ摺テ世ニ弘メ配ル古板アリテ今猶珍伝シ近世新ニ神影ヲ彫刻シテ用ユナリ郷土作リノ神 医薬ノ神 難病祈封ノ神 人体五行ノ神 病気祈願ノ神様トシテ神霊アラタカナリ

一、祭日

二月十一日 建国祭

二月十七日 祈年祭

四月一日 例大祭

七月十八日 夏祭

十一月二十三日 新嘗祭

創建時期は不詳。

大和国山辺郡の大和坐大国魂神社(現・大和神社)の分祀とされ、一説によると分祀の時期は5世紀とも。

大和坐大国魂神社の最初の祭主とされた市磯長尾市(倭直の祖)の出自が九州の海人族であることから、海人族の住む淡路島に分祀がなされたという説があり、大和朝廷の勢力が淡路に及んだ際にその支配の安泰を願ってのことだったようです。

 

文徳実録 仁寿元年(851)12月壬寅条に「詔以淡路国大和大国魂神。列於官社。」とあり、この時点で官社に列したことがわかります。

延喜式神名帳では「淡路国三原郡 大和大国魂神社 名神大」とみえ、また延喜式巻3臨時祭式の名神祭条に「大和大国魂神社一座」、同巻26主税式上出挙本稲条に「大和大国魂神祭料八百束」とあります。

 

元久2年(1205)の『護国寺文書淡路守庁宣』には、当社は伊佐奈伎神社(伊弉諾神宮)とともに国衙の崇敬厚く、桜会という祭礼には国衙の楽人の舞楽奉納が行われたとあります。

また『淡路国大田文』三原郡国領八太村条に「二宮社一所」「同神宮寺一所」とあります。

 

正応2年(1289)7月、一遍上人が当社に参詣し、「名にかなふこころは西にうつせみのもぬけはてたる声ぞすずしき」という歌を詠み奉納、社前に小屋を建て念仏布教を行いました。

『一遍聖絵』によると、この頃は伊弉諾・伊弉冊の二神を祀っていたようです。

また同書には「当国に二宮とて往古の神明まします。霊威あらたにて、賞罰はなはだし、本は西むきにおはしましけるが、海上にすぐる船人等をろかにして礼なければ、たゝりをなし給によりて、南むきになしたてまつれりけり」(かつて社殿は西向きだったが、海上を通る舟人が礼拝をしないため祟ったので、南向きに改めた)とあります。現在の社殿は南南西向き。

 

江戸時代には阿波藩主蜂須賀氏の崇敬厚く、寛文10年(1670)に藩費での社殿再興をはじめ、造営修理が度々行われたといいます。

この頃は神仏習合で、淡路島西国三十三ヶ所霊場の第十二番観音堂(鼻子山観音)や淡路四十九薬師霊場の第二番薬師堂が境内にあったようですが、明治の神仏分離で境外に遷されました。

明治4年県社列格。

明治になって祭神を伊弉諾伊弉冊二神から大和大国魂神とした(戻した)ようです。

御朱印

御朱印はあります。

当社は通常無人ですので、本務社の高田八幡神社(南あわじ市松帆高屋甲41)の宮司さんに連絡を取る必要があります。

アクセス

西淡三原ICを右手に降り、県道126号へ。すぐ先(位置)で県道は右手に折れるので、それに従い右手に。

2km先、大榎列交差点(位置)を左折し県道66号へ。1.7km先の掃守交差点(位置)を右折。

右折後道はカーブしますが、カーブが終わる辺り(位置)で右手に。

直進し、突き当りを右折。

すぐ先で道が二又に分かれるので(位置)、左手に上ると鳥居前に出ます。

鳥居手前あたりが広くなっており、駐車スペースのようです。

神社概要

社名大和大圀魂神社(やまとおおくにたまじんじゃ)
通称
旧称二宮大国魂神社
住所兵庫県南あわじ市榎列上幡多857
祭神大和大圀魂命
配祀

八千戈命

御年命

素盞嗚尊

大己貴命

土御祖神

社格等

式内社 淡路国三原郡 大和大國魂神社 名神大

日本文徳天皇実録 仁寿元年十二月壬寅(五) 大和大國魂神 官社

淡路国二宮

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「大和大国魂神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「大和大国魂神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第三巻 摂津・河内・和泉・淡路』白水社, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 上巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 321-322コマ