伊豫神社。
松前町神崎に鎮座。
式内名神大社 伊豫神社の論社。
境内
社号標
社頭の北70mくらいにあります。
注連柱
鳥居
社号標
一千年祝祭碑
手水舎
狛犬
裏参道(境内西)の注連柱
脇参道(境内南)の注連柱
社殿
拝殿
拝殿内部
賽銭箱が拝殿内にあるので昇殿してお参りしました。
土足禁止はどこでも注意書きがありますが、つま先前をちゃんと書いているところは初めて見ました(神社において社殿に上がる際に脱いだ履物の向きは直さないものなので、この注意書きは正しい)
拝殿内扁額
拝殿本殿間の回廊
本殿
境内社等
厳島神社
猿田彦神社
竈門神社
岩を祀っている祠
上記以外の境内社として山之神社があるようなので、それでしょうか。
奉納神馬址地
戦前に神馬像が建っていたところです。
拝殿内に掲げられていた神馬像の写真
昭和18年、金属類回収令によって供出され現存しません。
五輪塔
五輪塔のあるこの一画は、往古・伊予神社の別当寺「真常寺」…現晴光院…の境内に位置し、「入らずの森」と畏敬されてきたところで、かつては貴顕の尊霊を祀る廟地であったところと伝えられている。
この五輪塔群は現在三基に纒められているが、大は、高さ約一八八cm、小は、高さ約一五二cmあり、幅はいずれも約七〇cmで、石材は砂岩系の軟質岩を加工したものである。全容を見ると、地水火風空の各輪がやや均衡・調和を欠き、倒壊し散逸した異石を組み合せた五輪塔であることが分かるが、その造立時代を始め由緒、沿革等の拠るべき史料はない。
また、風化も進んでおり刻字の有無等目ぼしいものは発見されていないが、明治三十年(一八九七)二月、当時の宮内省属、青山盈氏の調査報告によると、地方色豊か、粗豪で力強さがあり造型手法からみて鎌倉後期の作であろうと推定されている。なお、この調査に付随し、地下六〇cm程を試掘したところ、青銅経筒六個・中国宋代の磁器壷二個・刀子・布目瓦・土器・和鏡等が出土した。これらの遺品は、五輪塔と共に昭和四十四年(一九六九)三月一日松前町有形文化財として指定されている。
社号標そばの忠魂碑
由緒
伊予神社
当社は、第七代孝霊帝の第三皇子で、伊予国を治め極めて功績の高かった彦狭島命を主祭神とし、愛媛の総神愛比売命・伊予・久米両郡の開拓神伊予津彦命・同妃伊予津姫命、さらに、主祭神の御父日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)、御母細姫命、また、第十三代成務天皇の勅命により伊予の国造に任ぜられた速後神命(速後上命)を配神として祀る延喜式内名神大社である。
続日本記・三代実録等の史書にも著述があり、古来より親王宮(しんのぶ)大明神として歴代朝廷の尊崇をうけ、また、統治神として、武将・領主等からも崇敬されてきたが、特に、源義経が社殿を造營し、伊予の豪族河野家も又、代々がこれを修理したと伝えられる。
江戸時代においても藩主は、参覲の上下に必ず奉幣して安全を祈願したとも伝えられている。なお、当地方の古歌には、
「民草も豊かなりけり国の名のいよよと守る神の誓に」
とあるように、古代よりこの地方の氏神として敬られ、伊予一国を代表する国魂神として崇拝された旧愛媛県社である。
創建時期は不明。
文永年間(1264~1275)の火災により社記等は焼失しています。
『予章記』(河野家系譜)によれば孝霊天皇第三皇子彦狭島命(伊予皇子)が詔によって伊予国へ下り、伊予郡神崎庄に住んだため、そこが霊宮と崇め奉られるようになり、後に親王宮となったとのこと。
続日本紀 天平神護2年4月甲辰(19日)条に「伊豫国神野郡伊曽乃神。越智郡大山積神並授従四位下。充神戸各五烟。久米郡伊豫神。野間郡野間神並授従五位下。神戸各二烟」とあり、この久米郡伊豫神が当社だとされています(久米郡となっているのは伊豫郡の誤りとされます。ただしこの久米郡の表記等から伊豫豆比古命神社を伊豫神社に当てる説もあります。その場合、当社が伊豫豆比古命神社に当てられます)。
新抄格勅符抄には「伊与津比古神 二戸」と見え、三代実録には貞観4年9月18日に従四位下、同8年閏3月7日に正四位下、同12年8月28日には正四位上を授けられた(いずれも「伊豫村神」表記)とあります。
延喜式神名帳にみえる「伊豫国伊豫郡 伊豫神社 名神大」の論社とされています(上述の通り、伊豫豆比古命神社に当てる説もあり)。
中世期は「親王宮(しんのぶ)」と称しており、河野氏から祖神として崇敬を受けていました。
明治6年、県社列格。
上記、五輪塔の説明にある明治30年の発掘の結果から、国幣社への昇格も認可されたものの、氏子が少ないため廃議となりました。
現祭神は彦狭島命。
一説に、伊予親王(桓武天皇皇子)を祭神とする説があるそうです。
(玄松子の記憶さん 伊豫神社(松前町)のページ による)
『平成祭データ』にも配祀神として伊予親王と藤原吉子(伊予親王の母)の記載があります。これは『伊予古蹟志』による説(『明治神社誌料』に引用あり)。
なお、親王という称号は律令制導入以降のものであり、かつて当社が称していた親王宮という名は彦狭島命よりもむしろ伊予親王に関わるものでは…という宮司さんのお話が古今御朱印研究室さんにて紹介されています。
※伊予親王と藤原吉子が祭神とされている資料の件についても、同サイト管理人のこまいぬさんより情報をいただきました。
御朱印
御朱印はあります。
伊豫稲荷神社の兼務社なので、伊豫稲荷神社にて拝受可です。
アクセス
国道56号を松前町役場入口交差点(位置)で東に折れて県道214号に入り、2.5km弱先(位置)で東の横道に入ります。
横道入ってすぐ(100m弱)、右手の細い道に入ると神社裏手に。
駐車場はありません。裏参道から境内に車乗り入れは可能ですが…
神社概要
社名 | 伊豫神社(いよじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 親王宮 |
住所 | 愛媛県伊予郡松前町神崎193 |
祭神 | 彦狭島命 |
配祀 | 愛比売命 伊豫津彦命 伊豫津姫命 日本根子太瓊命 細姫命 速後神命 伊予親王 藤原吉子 |
社格等 | 式内社 伊豫国伊豫郡 伊豫神社 名神大 式内社 伊豫国伊豫郡 伊豫豆比古命神社 続日本紀 天平神護二年四月甲辰(十九) 伊豫神 従五位下 日本三代実録 貞観四年九月十八日甲申 伊豫村神 従四位上 日本三代実録 貞観八年閏三月七日壬子 伊豫村神 正四位下 日本三代実録 貞観十二年八月廿八日戊申 伊豫村神 正四位上 旧県社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり(伊豫稲荷神社にて拝受可) |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「伊予神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「伊豫神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 334-335コマ)
コメント
御祭神を伊予親王・藤原吉子とするのは『伊予古蹟志』の説のようで、『明治神社誌料』に引用されています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088313
>こまいぬさん
こんにちは。
情報ありがとうございます。
明治神社誌料の該当部分確認しました。
伊予親王・藤原吉子御祭神説の根拠が確認でき、大変参考になりました。