石屋神社(淡路市石屋)

石屋神社。

淡路島の北端近く、淡路市石屋に鎮座。

式内社 石屋神社に比定される神社。

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境内

社頭

鳥居後ろの横長の建物は社務所兼籠り殿兼門守殿。

 

鳥居

 

扁額

 

社務所兼籠り殿兼門守殿、内側から

 

手水舎

 

狛犬

新しめですが、阿吽ともに角があるのは珍しい気がします

社殿

拝殿

 

扁額「天地大明神」

 

本殿

境内社等

八百萬神社

 

稲荷大明神

 

神輿庫

絵島

神社の北400m弱のところに絵島があります。

日本神話において、イザナギ・イザナミ二神が国産みを行なった際、最初にできたとされるオノゴロ島をこの島にあてる説があります。

 

絵島

 

橋はありますが、途中にフェンスがあり島には入れません

神域だから、というわけではなく台風等で被害があり危ないので封鎖しているらしいと石屋神社で伺いました。画像検索すると、島に入っている写真も見つかります。

 

岩屋港側から見た絵島

東側にはベンチがあるのがわかります。

 

島の頂上には鳥居と祠(?)があります

島に渡れる時でもここに登ることはできないそうです。

 

絵島

太古、イザナギ・イザナミの二神が、国づくりの時最初に生まれた国が”オノコロ島”であり、淡路島を指すとされていますが、この絵島であるという説もあります。

島の頂上にある石塔は、平清盛の兵庫築港の際に、人柱となった侍童、松王丸の菩提を弔うために建てられたものと伝えられています。

この島は砂岩でできており、もとは陸つづきでしたが波の作用によって島となりました。

この自然が生み出した絵島は、周囲の山水との調和も見事で、特に夜景は「海に浮かぶ光の舞台」として、神秘的な姿で人々を魅了します。島の美しさは万葉の昔から歌い詠まれ、多くの人々に愛されています。

 

西行歌碑

 

淡路和歌の道 絵島

千鳥なく絵島の浦にすむ月を波にうつして見るこよいかな 西行(山家集)

千鳥の鳴いている絵島の浦の澄んだ月を、波に映して見ている。今夜の絵島は何と美しいことであろうか。

西行…元永元(一一一八)~建久元(一一九〇)

鳥羽上皇の武士で二十三歳で出家。

山部赤人以来の自然歌人として宗祇・芭蕉からも範とされた。

「平家物語」の「月見」の巻に『福原の新都に移った人々が、海峡を渡り、絵島の月を愛でながら歌会を催した』と記述があり、古来より多くの歌人を魅了してきた美しい砂岩の小島である。

岩樟神社

絵島の西100m強のところ、国道28号の南側に恵比寿神社(位置)があります。

この恵比寿神社の裏手、三対山北側の岸壁に洞窟があり、そこに岩樟神社が納まっています。

洞窟は現在高さ1m60cm、幅1m10cm、奥行3mですが、かつては奥行き52mもあったといいます。

この洞窟は伊弉諾尊の幽宮という伝承があり、また内部には祭壇の跡もあるようです。

 

岩樟神社位置

石屋神社参拝時は知らなかったため、未訪。

 

この岩樟神社の後方にある三対山(城山)上が石屋神社の旧鎮座地といわれます。後に城が建てられたことからおそらく神社の遺構はないと思われます(岩屋城跡位置)。

現在は藪と化しており、調べても私有地だとか違うとかの情報があり立ち入ってよいのかも不明。地理院地図で見ると山の南東側から山頂に続く道が描かれてはいますが…

由緒

創建時期は不詳。

社伝によれば、崇神天皇の御代に三対山に絵島明神が鎮座したのがはじまりとされます。

神功皇后が三韓征伐の際、対岸の明石垂水の浜で風波により渡海に難渋、風待ちのために岩屋に着船し、三対山上の石屋神社に参拝。戦勝を祈願し「いざなぎやいざなみ渡る春の日にいかに石屋の神ならば神」と詠じたところ、海上が静まったという伝承も。

 

延喜式神名帳にみえる「淡路国津名郡 石屋神社」は当社に比定されています。

承暦4年(1080)、白河天皇の不例(病気)が諸神の過穢による祟りであると卜奏があったため、「石屋由良湊神」に中祓が命じられた、と『朝野群載』にあります。『日本歴史地名大系』ではこれを「石屋神」「由良湊神」の誤記としています(=当社と由良湊神社を指す、とみるか)。

 

源平合戦の時に兵火に罹り古記録等一切を焼失。

土御門天皇の御代(1198~1210)に大内義興が将軍義稙を奉じて京都に入ろうとし、岩屋に軍を進め三対山上に築城した際、現在地に遷されたとされます。

 

明治6年郷社列格。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

事前連絡があった方が確実かも。

アクセス

淡路ICを降り、淡路インター前交差点(位置)を左折(洲本・東浦方面へ)。

200mほど先(位置)で左折。

170mほど先、変則十字路(位置)を右折。300mほど下り、突き当り(位置)を左折。100mほど先、左手に境内入口あり(位置)。

 

入口(車道)には注連柱が建っています

 

参拝者用駐車場は参道より南側、手水舎脇あたり。参道より北側は契約駐車場のようです。

神社概要

社名石屋神社(いわやじんじゃ)
通称
旧称

岩屋明神

絵島明神

天地大明神

住所兵庫県淡路市岩屋799
祭神

国常立命

伊弉諾尊

伊弉冊尊

現祭神

月読命

『淡路常磐草』

伊都之尾羽張神

『淡路常磐草』
社格等

式内社 淡路国津名郡 石屋神社

旧郷社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

北の三対山(城山)上が旧地

その北麓洞窟に岩樟神社(伊弉諾尊の幽宮)

参考文献

  • 「石屋神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「石屋神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第三巻 摂津・河内・和泉・淡路』白水社, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 上巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 394-395コマ