築狭神社(洲本市千草甲)

築狭神社。

洲本市千草甲に鎮座。

式内社 築狭神社に比定される神社。

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境内

鳥居

 

社号標

 

神門

 

手水鉢

 

狛犬

社殿

拝殿

 

本殿

 

本殿前の狛犬

境内社等

『兵庫県神社誌』によると、境内社は伊勢神社、稲荷神社、菅原神社、金刀比羅神社。

『式内社調査報告』にはこれらに加え藤の木神社及び、豊受比売命と大国主大神の二柱を祀る境内社があると記されています。

 

岩の中にある境内社

玄松子の記憶さんによると「豊受比賣大神・大國主大神二柱社」の札が付いていたとのこと。私の参拝時には見当たらず。祠は大分傷んでいたので、取れてしまったのでしょうか。

 

石祠

 

新しめな石祠

 

石祠

 

石祠

 

石祠

 

個別に撮り忘れてしまったのですが、この他に本殿向って右横にも石祠があります(上掲本殿の写真に写っています)。

 

『式内社調査報告』に以下のようにあります。

「本殿の後の山の斜面の右奥に菅原神社。その下に一つあり、伊勢神社と思はれる。本殿の右に藤の木神社がある。もと三本の藤の木があつた。本殿の少し左の方にも一つの社がある。文化十一年の古地図から推測してこれが稲荷社であらうか」

位置関係までは覚えていないのでどの祠に当たるかはわかりません(左右が「向って」ではなく文字通りなら最後の写真の祠が藤の木神社か?)。

 

神輿庫

 

社頭から100mほど東の川沿い(位置)に御旅所があるようです。

由緒

創建時期は不詳。

延喜式神名帳にみえる「淡路国津名郡 築狭神社」は当社に比定されています。

 

その後史書や古記録には現れず由緒不詳。

江戸時代には、『淡州神社考』に「今諏訪明神と稱し武御名方命也又紅葉が杜といへり」とあるように、諏訪明神・紅葉が杜と呼ばれ、建御名方命を祭神としていたようです。しかし、現在の祭神には建御名方命の名は見えません。

明治初年に社号を築狭神社に改めたとのことなので、この時に祭神も変えられてしまったのだと思われます。

現祭神は速須佐男命。

『式内社調査報告』は「境内神社にも(建御名方命を祭神とする社は)ない」としますが、同書や『兵庫県神社誌』が挙げるよりも実際の境内社数は多いので、実は一つが諏訪神社であったりするかもしれません。

 

明治6年村社列格。

明治43年村社八幡神社(千草中村鎮座)を合祀。誉田別尊はこの八幡神社の祭神。かつては八幡神社は上ノ宮、当社を下ノ宮と言ったそうです。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

洲本市役所の北西あたり、栄町2丁目東交差点(位置)から南へ。

厳島神社の横を過ぎた辺り(位置)で右前方の上り坂へ。

途中の分岐は直進し、坂を下ると千草川沿いに出ます(位置)。ここから南へ。神社は川向うにあるのですが、坂を下ったところの交差点の橋を渡ってもいいし、そこから南に2つ橋があるのでそのどちらかを渡ってもよし。両岸とも道は狭いです。

坂下の交差点の橋から数えて3つ目の橋(諏訪橋)の西詰(位置)から南西方向の道へ。

すぐに分岐があるので左手の道を行くと、神社前に出ます。

駐車場はありませんが、境内隅に駐車はできます。

神社概要

社名築狭神社(ちくさじんじゃ)
通称
旧称諏訪明神
住所兵庫県洲本市千草字野旦田甲218
祭神

速須佐男命

誉田別尊

社格等

式内社 淡路国津名郡 築狭神社

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「築狭神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「築狭神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987