壹宮神社。
大山町上萬に鎮座。
神奈備山である孝霊山を望む地に建つ神社。
境内
社頭
鳥居
社号標
随神門
こちらは以前の楼門
屋根を葺き替えたようです。
狛犬1
狛犬2
後ろに阿形の方だけ古い狛犬があります
社殿
拝殿
以前の拝殿の屋根
随神門と同じく、瓦葺から銅板葺きに葺き替えたようです。
扁額
本殿
境内社
本殿裏にあるすくね塚
この塚からは千年余り昔に埋蔵された古鏡七面余と刀剣及び経筒が出土。また縄文時代の先住民が孝霊山の神々を祀る聖地であったとも言われています(孝霊山については後述)。
新しい狛犬が一対
すくね塚の小祠
男根を象ったと思しき石
これも男根状に見えますが果たして
彫られた文字は「すく祢塚」?
奥に古い狛犬一対
昔はこれが新しい狛犬のいる場所にいたのかも。
顔の破損した片割れだけの狛犬
狛犬見聞録さんによれば、以前は参道の阿形だけの古い狛犬と対にされていたようです(本来別々に作られた狛犬だったが、片割れずつしかないので並べられていた模様)。
産石
澤形神社 杵築神社 宮田神社
手前には「庄田社」と書かれた扁額
これは大正5年に合祀された、高麗村大字荘田字上ノ田鎮座・無格社庄田神社(祭神大己貴命)のものかと思われます。
かなり損壊の進んだ狛犬
かつての姿は狛犬見聞録さんで見ることができます。
駐車場に何か建てられていました
神社のものか、隣のコミュニティセンターのものかは不明。
由緒
当社は、古来「一宮大明神」といわれ、主神の天忍穂耳命、下照姫命ほか、数神を御祭神とし、この地方で厚く信仰されています。
下照姫命は大国主命の娘で、昔から子授け、安産の神として知られ、各地から多くの参詣者でにぎわっています。
本殿裏には、「すくね塚」と呼ばれる経塚があり、経筒・和鏡が出土し、社宝として大切に保存されています。 例大祭は、四月二十一日に執り行われます。
創建時期不詳ですが、郡中の古社であり、古来より「一宮大明神」と号していました。
一宮と称する所以についてはいくつか説あり。
社伝によれば、高木神・天照大神の命で天忍穂耳命が天降ろうとするとき皇孫瓊々杵命が誕生されたために古く一ノ宮と称したとのこと(「高木神天照大神の勅命により正哉吾勝命天降り坐さんとする時、皇孫瓊々杵命逸速く御誕生遊ばされし故を以て、古く一ノ宮と称し奉るなりと」『鳥取県神社誌』)。
これはなぜ瓊々杵命が誕生したら当社が一ノ宮と呼ばれるのか、よく意味がわかりません。
古老の口碑によれば、この地を拓く際に初めに建てられた神社なので人民は仰ぎ尊び一ノ宮と称したと伝わります(「旧記に據なしと雖も、古老の口碑に伝ふることあり、往古神祠創設の始原此郡郷の開けし際に方り神社を建つるの濫觴にて、因て人民仰尊して一ノ宮と号す」『鳥取県神社誌』)。
神社略記によれば「(天忍穂耳命が)皇孫と共々降臨になり数々の御偉業を遂げられ、この地を卜し最初に宮殿を建立されたので一宮大明神と申し上げたのであります」。
葦原中国へ天降りしなかった天忍穂耳命、こちらの伝承では瓊々杵命と一緒に降臨したとされています。
神階について、略記には「三代実録(880年)には従五位を賜り」とあります。
事実だとすれば、国史見在社ということになりますが…三代実録には該当する記述は見当たりません。
建久以降、尼子氏の兵火にかかり神器古文書等焼失。
藩政時代は藩主自ら参篭祈願、社殿造営には藩費は元より藩民に賦課する掟も作られたほど特別の崇拝がありました。
明治元年壹宮神社に改称、同5年3月郷社列格。
先述の通り、境内のすくね塚は当社南東に聳える孝霊山を祀る聖地(遥拝所)だといいます。
おそらくかつては孝霊山が奥宮、当社が里宮/遥拝所として機能していたのではないでしょうか。
駐車場から見る孝霊山(中央)
当社の位置からは孝霊山に遮られ大山は見えません。大山が見える位置は畏れ多いから、だとか。孝霊山への信仰があるからあえて大山が見えない位置にした、と思えなくもないですが。
孝霊山にはこんな話も伝わります。
昔、高麗の国の人(神)が日本の山と背比べをしようと国で一番高い山を船に乗せてきたが、大山を見て驚きその山を捨てて帰ってしまいました。
その山が高麗山、すなわち孝霊山なのだと。
また当社の南東には、国内最大級の弥生集落遺跡である妻木晩田遺跡があります(位置、県立むきばんだ史跡公園として整備)。当社と何らかの関係があるのかは不明。
国指定史跡であり一見の価値はある遺跡なのですが、何分東京ドーム約30個分(152、156、170ヘクタールといくつか情報があって実際は不明)というとんでもない広さ。見学する時間を捻出できなかったため、未訪問です。
御朱印
御朱印はあります。
神社西側の社務所(ご自宅?)で拝受可。
なお、兼務社である唐王神社の御朱印もこちらで頂けます。
アクセス
県道242号線沿いにあります。
大山口駅と淀江駅の中間くらい(若干大山口寄り)。
米子方面からだと、山陰自動車道(無料区間)を鳥取方面に向かい、淀江ICで降ります。
そこから県道279号を海側へ向かい、国道と交差する淀江IC入口交差点(位置)で右折。
すぐ先の今津交差点(位置)を右折して県道242号へ。
1.2kmほど行くと祈交通安全の碑が建っています。
ここ(写真で言うと碑の奥側)が駐車場のようです
境内は道路挟んで向かいです。
上記の場所より少し東側にも駐車場があります
写真のように案内の石碑がありますが、時期によっては周りの葉っぱに隠れて分かりづらいかも。
境内横に当たるため道路を渡らなくていいので、こちらの方が安全です。
神社概要
社名 | 壹宮神社(いちのみやじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 一宮大明神 |
住所 | 鳥取県西伯郡大山町上萬1124 |
祭神 | 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命 万幡豊秋津師比売命 天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊 稚国玉下照比売命 菅原道真 |
合祀 | 天照大神 稚日女命 少彦名命 素盞嗚命 表筒男命 中筒男命 底筒男命 大己貴命 倉稲魂命 罔象女命 |
社格等 | 旧郷社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | http://www.chukai.ne.jp/~nksat1996 |
備考 | – |
参考文献
- 「上万村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「壹宮神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 鳥取県神社誌編纂委員会編『新修鳥取県神社誌 因伯のみやしろ』鳥取県神社庁, 2012
- 鳥取県神職会編『鳥取県神社誌』鳥取県神職会, 1935(国会図書館デジタルコレクション 220-221コマ)
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 870コマ)