誉田神社。
東かがわ市引田、海のすぐそばの丘の上に鎮座する神社。
境内
神社南側、一の鳥居前にかかる橋
社号標
一の鳥居
鳥居脇の狛犬
鳥居脇石碑。文字はこんぴら道…?
境内入口の狛犬さん
手水舎
二の鳥居
随神門
階段の途中から
三の鳥居
三の鳥居脇の狛犬(前掛け付)
社殿
拝殿
本殿
境内社
随神門右手に稲荷社(亀山稲荷大明神)
随神門左手に祓殿(兼古札納所)と社日塔
若宮神社
高良神社(合祀 船戸(岐)神社)
天満宮
鎮魂社
神馬社?
御神木?
福の石
魚の石という石もあるようですが未確認。
由緒
社伝によれば、「手置帆負命二十五世の孫忌部宿禰正國、大内郡の領主となり、貢を奉じて帝都に行き、その帰途河内國誉田八幡宮に参籠せしに霊夢あり、神宝二品を得て帰り一を郷内中山に祀り一を忌部家の後園に祀る。延久元年中山の祠を引田亀山の嶺に遷して郷の鎮守となせりと云ふ」とあり、河内国誉田八幡宮(現大阪府羽曳野市誉田の誉田八幡宮)からの勧請で、忌部正国(手置帆負命二十五世の孫で大内郡領主)がそちらから持ち帰った神宝二品を一つは伊座中山(引田ICの北あたり?)、一つは忌部家の私邸に祀ったのが始まりとされます。創祀は承和8年(841)にあたるようです。
延久元年(1069)に中山の祠を引田亀山(現在地)に遷し、郷の鎮守にしたとされます(忌部家私邸に祀られた方はどうなったのか不明)。
天正12年(1584)に兵火で焼失、同17年に生駒一正により再建。
明治5年郷社列格。
明治41年、字大川の大川神社を合祀。
地図で見つけて何となくで寄ってみた神社だったのですが、立派な神社でした。
私が参拝しているときにちょうど地元の人らしき若者(一見、神社とかこなさそうな)が来ていて、地元では愛されている神社なのかなという印象を受けました。
香川県神社誌
承和八年(紀元一五〇一)三月の創祀と伝へらる。社伝によれば、手置帆負命二十五世の孫忌部宿祢正国大内郡の領主となり、貢を奉じて帝都に行き、その帰途河内国誉田八幡宮に参籠せしに霊夢あり、神宝二品を得て帰り一を郷内中山に祀り一を忌部家の後園に祀る。延久元年中山の祠を引田亀山の巓に遷して郷の鎮守となせりと云ふ。天正年中兵火に罹りしが、同十七年生駒一正之を再営し、社領三十石を寄進す。松平頼顕与治山に狩猟の節参拝し神号を自書奉納して武運長久を祈りしといふ。明治五年郷社に列せられ、同四十年九月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
明治四十一年字大川大川神社を合祀す。
御朱印
御朱印の有無は不明。
無人でしたが、宮司さんの連絡先を書いた貼り紙が境内に貼ってありました。
時間が遅かったため特にコンタクトは取りませんでしたが、あるいは連絡すれば御朱印はいただけるかもしれません。
追記:ネット情報だと宮司さんが神社におられる時のみ授与とのことでした。
アクセス
JR引田駅の西の交差点(位置)で、国道11号から県道122号に入り北へ進みます。
400mほど行ったところ(信号がある)で左手の橋を渡ります。
渡った先を川沿いに右手に進んでいくと、左手に鳥居があるので、潜って進めば神社です。
二の鳥居手前に広いスペースがあり(位置)、駐車場として利用されているようです。
神社概要
社名 | 誉田神社(ほんだじんじゃ) |
---|---|
通称 | 誉田八幡神社 誉田八幡宮 |
旧称 | – |
住所 | 香川県東かがわ市引田2873 |
祭神 | 品陀和気尊 気長足姫尊 皇后仲姫尊 |
社格等 | 旧郷社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「誉田神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「誉田神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 梶原藍水『古今讃岐名勝図絵』高松製版印刷所, 1930(国会図書館デジタルコレクション 30コマ)
- 香川県神職会編『香川県神社誌 上巻』香川県神職会, 1938(国会図書館デジタルコレクション 69コマ)
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 276-277コマ)