八幡神社〔富田浦八幡宮〕(徳島市伊賀町)

八幡神社。

通称、富田浦八幡宮。

徳島市伊賀町、眉山の麓に鎮座。

当社と春日神社のちょうど中間あたりに眉山ロープウェイが走ってます。

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境内

鳥居

 

随神門

徳島市指定文化財。三間一戸の切妻造。

元は江戸中期の門があったそうですが、昭和42年に不審火で焼失、現在の門は昭和62年に建てられたもの。この火災により当時の社殿も消失してしまったそうです。

 

徳島市指定文化財 八幡神社随臣門

建立年代 江戸中期以後

様式 三間一戸平屋建 切り妻造り 本瓦ぶき

材質 総桧

柱は円柱を用い上部に化粧のために木鼻をさしこみ(?)木口を白く塗っている両妻側の破風板下に取りつけてある懸魚の形式は古い。神社に門が設けられるようになったのは大陸建築の影響がある。

 

手水舎

 

拝殿は一段高いところにあり、前面は扇状に階段が設けられています。

 

狛犬

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

境内社等

稲荷大明神

 

家神社

 

水神社?

 

水神社?前の狛犬

 

ほうろく大明神

横にある狸の像、けっこう顔が怖い…

ほうろく大明神

火災で富田八幡神社は焼けたが立派に復旧している境内の片隅に鎮座している頭の格好がほうろく頭巾をかぶったのと似ているので名づけられたのも色々といたずらをして人々を困らせたという。諸願成就、とくに交通安全に霊験あらたかといわれる。

 

八兵衛大明神

八兵衛大明神

戦災前までは富田町の按摩小路に歯痛の神として鎮座していた。

都市計画のため、住居を失い、富田八幡神社の境内に祀られている。

今でも歯痛を誠心誠意で祈願すれば治るといわれ、子供づれでお詣りする者が多い。

また子供の成育や勉強増進にも霊験あらたかといわれる。

 

右が六兵衛大明神、左は不明。

以前は大岩大明神が六兵衛大明神の祠に合祀されていたのですが、新しい祠を建てて分けたのかもしれません(下に転記した案内板もなくなっていた)。

六兵衛大明神

六兵衛大明神は江戸時代から新町商店街に住み時代変遷とともに丸新ビル屋上より、当神社境内に遷座している。むかしは西の侍大将として勇名をはせたがその後は商売熱心でその金暇(余暇?)には芸事に励み、粹人として名をあげた。商売繁盛特に入学試験などの子供の願いごとを聞き届けてくれるので有名である。

大岩大明神

よく人を化かして、土地柄、土産の料理を取って食べたといわれ、色々悪戯をしたという。商売繁盛特に水商売には霊験あらたかといわれている。

ホテル、料亭伊左久の大岩の下に鎮座していたが、伊左久の撤去に伴い、現在は六兵衛大明神と一緒に合祀されている。

 

徳島は狸の話が多いので、こうした祠もたくさんあるようです。

 

狸の国へおいでなして(リンク先消滅)

 

八幡水

 

八幡水(はちまんすい)

『八幡水』は、錦竜水や、瑞巌水・鳳翔水などと共に、江戸時代から良質の地下水の得られない地域における生活に欠かせない水源として、人々に親しまれて参りました。

江戸時代の『藩署記聞』によると、延宝四年(一六七六)の記事に『市中水売人十六人に限る』などとあり、古くからの水売商売人の存在が指摘できます。

水質不良の地域は、水売商売人に頼っており、明治四十四年(一九一一)六月の徳島県警察部の調査によれば、この八幡水は、旧富田浦町の三四二三戸に一荷当たり1.5銭から3銭で供給されていたといわれています。

鳳翔水が一三八九戸、錦竜水が八〇六戸、瑞巌水が三〇戸に供給していたのに対し、供給戸数が極めて多く、その水量の豊富さもうかがえます。

大正八年(一九一九)の徳島市の調査でも、堀抜井戸の増加により飲料水等を購入する戸数が少なくなりましたが、総数三五七六戸の内、一三七一戸に供給していたとあります。

第二次世界大戦後、戦災により焼け出された数家族が一時期境内で生活している間使用していましたが、その後放置されていたのを平成三年に地元有志の努力により復元されてものです。

眉山周辺は湧水が多数湧いていて、この八幡水はその一つだそうです。

 

社殿横の祠

由緒

元は伊予国河野郷に鎮座の氏神であり、天文年間(16世紀半ば)に河野某が一族の乱を避け当社神霊を守護して当地に移住し祀ったことにはじまるといいます。

当初は富田瑞巌寺山、隠谷の下に鎮座しており、慶長7年(1602)に瑞巌寺を置くに因って社地狭隘のため元禄10年(1697)六月十五日に現社地に遷座したとのこと(瑞巌寺創建は慶長19年なので、その建設に伴い移転ということ?)。

明治6年郷社列格。

徳島市中五社と呼ばれる神社のうちの一社となっています。

 

祭神は応神天皇、仲哀天皇、仁徳天皇の三柱。

 

社地北側には、国瑞彦神社が鎮座しています。

並んでいるものの、境内社ではなく独立した神社だそうです。

 

八幡神社再建記念碑

富田浦八幡神社は昭和四十二年不慮の災火で随身門を除く御社殿の悉くを焼失し爾来十九年余の間隣接の仮御殿に安置されていた其の間再度に亘って再建計画が練られたが、いずれも諸事情で挫折、昭和六十一年地域住民の総意を結集して八幡神社再建奉賛会を結成、寄附金九千八百万円を目標に再建募金に着手、諸般の悪條件を克服し、目標額を突破する寄附金を得て、総工費一億円を投じて地域住民の宿願である八幡神社昭和の再建を完遂したのである。このたび八幡神社再建竣工式を挙行するに当り先人が再建に賭けた功労を讃え、その遺業を後世に伝えるものである。

御朱印

御朱印はあります。

国瑞彦神社の御朱印もこちらで頂けます。

私はうっかりして、国瑞彦神社の御朱印だけ頂き、当社の御朱印を頂きそびれてしまいました。

 

アクセス

国道438号の大道1丁目と2丁目の境の交差点(位置)を西に入り、直進すると随神門。

参拝者用駐車場は見当たらなかったので、門をくぐって境内に停めさせていただきました。

神社周辺は道が狭いので、不安な場合は国道沿いのコインパーキングに停めるといいでしょう。

神社概要

社名八幡神社(はちまんじんじゃ)
通称富田浦八幡宮(とみだうらはちまんぐう)
旧称
住所徳島県徳島市伊賀町1-7
祭神

応神天皇

仲哀天皇

仁徳天皇

社格等

旧郷社

徳島市中五社

札所等
御朱印あり(国瑞彦神社の御朱印も拝受可)
御朱印帳
駐車場境内駐車可
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「八幡神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「八幡神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 236コマ