走淵神社。
神岡振興事務所(旧神岡町役場)の北東4.5kmほどの場所に鎮座。
日本三代実録 貞観9年(867)10月5日庚午条に見える走淵神に比定される神社。
合祀の白山神社は式内社 阿多由太神社の論社、上田神社は式内社 高田神社の論社。
境内
社頭
社号標
鳥居
手水鉢
狛犬
社殿
拝殿
扁額
本殿覆屋
由緒
創建時期は不詳。
岐阜県神社庁サイトの当社ページ上由緒によると、高原川の氾濫による田畑への水害を憂いて祀られたのではないかとされています。
そのためか、祭神は水神である水波能売大神。
三代実録 貞観9年(867)10月5日庚午条に見える「飛騨国正六位上…走淵神…従五位下」の走淵神は当社に比定されています。
高原川に走淵という淵があり、当社はかつて(大正まで)その傍にある灘見島という島の中央、頂上部分に鎮座していたそうです。島の西側に古池跡があり、その畔に走淵水神の古碑があるそう。
地理院地図を見ると当社南東、高原川対岸に灘見島とあります。衛星写真で見るとよくわかりますが、川沿いの木がこんもりと茂っている場所。由緒には「旧社地は神苑として保存」とありますが、参拝時には良く調べていなかったので立ち入れるか、また何かしらの遺構などあるかは未確認。
明治40年(1907)、字数河の無格社上田神社、字上之中田の無格社石動神社、字浅井田の無格社白山神社を合祀。
大正5年(1916)、灘見島から現在地へ遷座。
伴信友の『神名帳考証土代』に、式内 阿多由太神社について「紀文云高原郷浅井田村ナル社コレ歟アタユタトアサヰタト言近シ此社イマハ白山ト云フ」とあります。
上述の、明治40年に合祀された浅井田の白山神社を指すのではないかと思われますが、確証はありません(当社の北東に現在も白山神社がありますが、石神地区なので別と思われます。浅井田は数河の字であるようなので)。
ただこの信友の説については、富田礼彦が『神名帳叢説辨解』にて「浅井田ハ数河村ノ支ニテ、一村ノ名ニ非ズ、且此社ハ式ノ荒城郡ノ第四ニテ高家(タイヘ・今云小嶋郷)ニ正當レリ云々」として否定しているそうです。この『神名帳叢説辨解』という書(あるいは何らかの書に収録の一項目か)を確認できておらず、『式内社調査報告』からの引用なので、何とも判断しかねます。
合祀神の伊邪那美命、伊邪那岐命、菊理姫命はこの白山神社の祭神かと思われます。
また、田中大秀は『飛騨総社考』で、同じく明治40年に合祀された字数河の無格社上田神社について、式内社 高田神社ではないかとしています。明治2年の『飛騨国式内式外社取調書上』では、高田神社の参考社としてこの上田神社を挙げています。
この上田神社および、もう一つの合祀社である石動神社の祭神は不明。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
富山方面からは、国道41号をしばらく南へ。飛騨市神岡町船津の船津北交差点(位置)で左折、国道471号へ。そのまま国道を6.5kmほど行くと神社。
旧古川町の方からは、国道41/471号を神岡町方面に向かい、船津北交差点で右折したら後は上記と同じ。
国道挟んで向かいに割と広い駐車場あり(関係者以外駐車禁止とありますが参拝者は大丈夫だと思います)。
神社概要
社名 | 走淵神社(はしりふちじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 岐阜県飛騨市神岡町数河544-2 |
祭神 | 水波能売大神 |
配祀 | 伊邪那美命 伊邪那岐命 菊理姫命 |
社格等 | 日本三代実録 貞観九年十月五日庚午 走淵神 従五位下 式内社 飛騨国荒城郡 阿多由太神社(合祀の白山神社) 式内社 飛騨国荒城郡 高田神社(合祀の上田神社) 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「走淵神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十三巻 東山道2』皇學館大学出版部, 1986