八幡神社。
福井市東河原(旧美山町東河原)に鎮座。
式内社 椛神社の論社。
境内
鳥居
提灯掛け?
境内はかなり鬱蒼とした森です
苔むした石段
狛犬
手水鉢
社殿
石段上にある建物
拝殿のように見えますが、さらに後ろに拝殿本殿があります。
『福井県神社明細書』に見える神輿殿(20坪)ではないかとも思うのですが、中を見ていないので不明。
拝殿前の鳥居
拝殿
中には「式内椛神社」の扁額があるようです。
本殿
境内社等
社殿左手の建物
『福井県神社明細書』に見える宝蔵?
由緒
創建時期は不詳。
延喜式神名帳にみえる「越前国大野郡 椛神社」の論社とされています。
『深山木』によれば、往古は池田川(足羽川)の畔、川原村の北の山の尾さきにあり、応神天皇、神功皇后、武内大臣の三柱を祀っていたのが、いつの頃にか応神天皇を中手に、神功皇后を東河原に、武内大臣を野津又に分祀したといいます。
これにいう往古の「池田川(足羽川)の畔、川原村の北の山の尾さき」、あるいは神功皇后を分祀した東河原の社が当社ではないかとされます。
「樺(かんば)」「河原(こうばら)」の音の近似も論拠とされています。
延喜式に「凡年中御卜料婆々加ノ木ノ皮者仰大和国有封社、令採進之」とあることから、『越前国官社考』は「其の頃の御定にして、いと古へは何国にもあれ、其在る所より令採進らる事なるべく、当郡中に此木多かりせば、よりより進献し奉るあり。依て其處に樺神を朝廷より祭り置れしものならん云々」とします。『越前国名蹟考』足羽川の条によれば、その流域に樺原の地名があったとも。
明治初期までは境内に大きな樺の木があったと伝わり、大正末期に宮総代が発掘調査したところ直径6~7mの樺の木の根跡を確認したと、『美山町史』に記されています。
明治9年村社列格。
明治42年、日ノ宮神社、龍尾神社、白山神社を合祀。
現祭神は誉田別尊。
神功皇后、武内宿禰、伊弉冊尊を合祀(明治に合祀の3社の各祭神?)。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
福井市中心部から国道158号で東へ。
美山駅付近(位置)で南に折れ県道2号へ。
5km強で国道476号とぶつかるので(位置)、左折し足羽川を渡ります。
川を渡ってすぐ右手の集落奥に神社(この辺りからが参道のはず)。
駐車場はありません。
地図上では、集落の北東から境内に入っていける道があるように見えますが、車が走れる道なのか不明。
私は参拝時にgoogleのナビに任せたら、↑の道から分岐して神社南の山の中へ入っていく作業道に案内されひどい目に遭いました(おそらく現在はそんな案内しないと思いますが…)。
神社概要
社名 | 八幡神社(はちまんじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 正八幡宮 |
住所 | 福井県福井市東河原町40-141 |
祭神 | 誉田別尊 |
合祀 | 神功皇后 武内宿禰 伊弉冊尊 |
社格等 | 式内社 越前国大野郡 椛神社 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「八幡神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十五巻 北陸道1』皇學館大学出版部, 1986
- 福井県神社庁編『御大典記念福井県神社誌』福井県神社庁, 1994