葦神社(伊賀市上阿波)

葦神社。

伊賀市上阿波に鎮座。

式内社 葦神社の論社。

広告

境内

神社手前、服部川に架かる橋

 

社号標

 

鳥居

 

社号標

 

手水舎

 

二の鳥居

 

狛犬

社殿

拝殿

 

拝殿横から上る道

 

本殿

 

本殿前の狛犬

境内社等

御神木?

 

石碑?

 

井戸?

 

山神

 

本殿左手の境内社?

由緒

葦神社

御祭神

主祭神 大國主命

祭神

事代主神 市杵島姫命 田心姫命 湍津姫命 天日方命 奇日方命 天手力男命 少彦毘古那命 布都御魂神 神功皇后

合祀

日本武尊 火産霊命 伊古那姫命 猿田毘古神 伊邪那岐神 建速須左之男神 菅原道真公霊 地主神 帯中日子命 品陀和気命 高良玉垂命 大雀命 宇迦能御魂神 大日霊貴尊 奥津日子神 奥津比売神 天穂日命 合計二十八柱

御由緒・沿革

葦神社は延長五年(西暦九二七年)にまとめられた延喜式神名帳に載っている古社(延喜式内社)である。

神社明細帳には、「人皇七代孝霊天皇甲子の年 伊賀伊勢の境にある黒岩の峰に顕座し給ひ勢州三船の明神と相殿に座ししが 其の後二百年余を経て両国に降臨し鮫が原三女垣内に鎮まり 粟皇淡護明神と申し奉る」とある。その後、「神府を三所に別宮す 別宮名は 大国主命 事代主命を芦谷に祭りて葦神社 天日方命奇日方命を字別府に祭り別府宮 市杵島比売 田心姫 湍津姫の三女神を三女垣内に祭りて粟皇神と申す」

承平七年(九三七年)大地震により三所損傷。天慶三年(西暦九四〇年)に再建し、三所の霊を合祀して葦神社七王子淡護大明神とされた。

天正九年(西暦一五八一年)天正伊賀の乱で織田信長の軍勢により焼かれる。「神霊現存せし為仮宮を建てて祀る」。慶長十八年(西暦一六一三年)社殿を造営し遷宮。

明治四年(西暦一八七一年)に村社葦神社に改められる。明治三八年(西暦一九〇五年)上阿波・子延・平松の無格社・境内社三十社を合祀。明治四一年(西暦一九〇八年)富永・猿野の元村社五社、八幡神社・貴雄神社・菅原神社を合祀し、現在に至る。

社紋 五三の桐

祭礼

歳旦祭(一月一日)

祈年祭(二月中旬・みずな祭り)

例大祭(五月五日・春祭り)

祇園祭(七月中旬・夏祭り)

秋季恒例祭(十一月三日・秋祭り)

新嘗祭(十一月中旬・収穫祭)

その他各郷の伝統祭事(山の神神事・愛宕祭・十七夜祭・的祭)

参拝時にはなかったと思うのですが、由緒書の写真がGoogle mapにあがっていたので転記。

 

社伝によれば、孝霊天皇3年(BC288)、伊勢伊賀国境の黒岩峰(黒岩岳)に顕現。そこで三船明神と相殿に祀られていたのが、垂仁天皇33年(4)、鮫ヶ原三女垣内に遷座し粟皇神淡護明神と号したとされます。

黒岩峰(黒岩岳)は現社地の東5km余のところというので、伊賀越の辺りでしょうか。『式内社調査報告』は標高655m、『日本歴史地名大系』は標高640mとしていますが、地理院地図上では伊賀越えの北に654.6mのピークがあります。

鮫ヶ原三女垣内の場所は不明。

 

その後、神功皇后が三韓征伐から凱旋し、高良命が勅使として下向し祈願した際、大国主神・事代主神を芦谷へ祀り葦神社、天日方命・奇日方命を別府に祀り別府宮、市杵島比売命、湍津姫命、田心姫命を三女垣内に祀り粟皇神として、宮を三所に分祀(いずれも場所不明)。

承平7年(937)に大地震により3社とも破損したため、天暦3年(949)に現社地に社殿を造営し、三所の神霊を合祀して葦神社七皇子淡護大明神と号したとされます。

 

延喜式神名帳にみえる「伊賀国山田郡 葦神社」を当社にあてる説があります。延喜式の成立時期は由緒では三所に分祀されていた時期なので、芦谷の葦神社が式内社とされているのだと思われます。

『三国地誌』が『天平風土記』『惣国風土記』を引いて「按、平松村ニ座ス。俗別府明神トモ八王子トモ称ス」としたのが最初のようで、『大日本史』『神祇志料』『特選神名牒』がこれに従っています。

『三国地誌』の引く『天平風土記』は古代の風土記ではなく偽書らしく、『惣国風土記』もやはり偽書とされるため一概には信じられないのですが、『式内社調査報告』は「いずれも近世初頭につくられた偽書とはいえ、そのなかに魚不見池辺にあって俗に龍神というとなし、山田郡阿波郡葦神社ともいっていることをみると、龍王嶽の麓にある別府明神とみなしているわけであり、この別府明神を式内社葦神社とする伝承は早くから存していたといわねばならぬ」として、この説を採っています。

 

中世には阿波社と呼ばれていたようですが、式内社 阿波神社にあてる説があるのかは不明(現在阿波神社に比定されている下阿波の阿波神社は、当時は杉尾白髭大明神などの名で呼ばれていた)。

 

 

天正9年(1581)に天正伊賀の乱で焼失。慶長18年(1613)再建。

天和年中(1681~84)、藤堂高虎の書を納め葦神社八王子淡護大明神と号するも、宝暦年中(1751~64)に旧に復して葦神社粟皇神別府宮に改称。

 

明治4年村社列格、葦神社に改称。

明治39年、大字上阿波の無格社山神社を、同45年、境内社の瀛津神社など6社、大字上阿波の無格社若宮神社など19社、同境内社2社を、同41年、上阿波の村社五社八幡神社、同境内社3社、大字猿野の貴雄神社、同境内社2社、大字富永の村社菅原神社をそれぞれ合祀。境内由緒書には明治38年にも上阿波・子延・平松の無格社・境内社30社を合祀したとあります。

 

祭神は大国主神、事代主神、市杵島姫命、田心姫神、湍津姫命、天日方命、奇日方命、天手力男命、少名毘古那命、布都御魂神、神功皇后。

由緒書によれば、このうち主祭神は大国主神。延喜式内社である葦神社の祭神だからということでしょうか。ただそれなら、事代主神も主祭神のように思えるのですが。

天日方命・奇日方命は別府宮の祭神(二柱として記載されていますが、天日方奇日方命とは違う神なのでしょうか…?)。

市杵島姫命、田心姫神、湍津姫命は粟皇神の祭神。

天手力男命、少名毘古那命、布都御魂神は合祀された境内社・瀛津(霊)神社の祭神。

神功皇后については不明。合祀された八幡神社祭神の一柱ではありますが、神功皇后だけが当社主神に加えられた理由は不明。

合祀の日本武尊、火産霊神、伊古那姫神、猿田毘古神、伊邪那岐神、健速須佐之男神、菅原道真、地主神、帯中日子神、品陀和気命、高良玉垂命、大雀命、宇迦能御魂命、大日霊貴尊、奥津日子神、天穂日命は、明治に合祀された各神社の祭神。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

上野公園のあたりから国道163号を東へ。

18kmほど先、平松の案内のあるところ(位置)で左手の細い道へ。

500mほど先に冒頭の橋があり、渡った先に社号標があります。

社号標のところを右に折れると、その先に神社。

境内左手に広いスペースがあるので、駐車可能です。

神社概要

社名葦神社(あしじんじゃ)
通称
旧称

粟皇神淡護明神

葦神社七王子淡護大明神

葦神社八王子淡護大明神

葦神社粟皇神別府宮

住所三重県伊賀市上阿波2665
祭神

大国主神

事代主神

市杵島姫命

田心姫神

湍津姫命

天日方命

奇日方命

天手力男命

少名毘古那命

布都御魂神

神功皇后

合祀

日本武尊

火産霊神

伊古那姫神

猿田毘古神

伊邪那岐神

健速須佐之男神

菅原道真

地主神

帯中日子神

品陀和気命

高良玉垂命

大雀命

宇迦能御魂命

大日霊貴尊

奥津日子神

天穂日命

社格等

式内社 伊賀国山田郡 葦神社

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

往古は東約5kmの黒岩峰(黒岩岳)に鎮座

その後三社に分かれ芦谷に葦神社、別府に別府宮、三女垣内に粟皇神がそれぞれ鎮座

天暦3年現社地に合祀

参考文献

  • 「葦神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「葦神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第六巻 東海道1』皇學館大学出版部, 1990
  • 三重県神職会編『三重県神社誌 第2』三重県神職会,1922(国会図書館デジタルコレクション 342-355コマ