阿沼美神社。
松山市平田町に鎮座。
式内名神大社 阿治美神社の論社。
境内
社頭
社号標
鳥居
扁額
灯籠
注連柱
二の鳥居
石段
手水舎
狛犬
社殿
拝殿
扁額
拝殿内の絵馬
右の神名額写真は、「阿沼美宮得石額之碑」の碑文の通り天保四年(一八三四)九月六日社前御幸橋を修理せし際地下深くより出土した石額である。
裏面には「延文子五年」「願主岡田氏」と刻されている。
延文は南北朝時代の北朝の年号であり延文五年は西暦一三六十年である。
願主岡田氏は花見山城主であると伝えられている。
因に一三三四年後醍醐天皇親政の建武の新政始まる 建武三年一三三六 足利尊氏室町幕府を開く 南北朝分立 河野通盛が湯月城を築城し本拠を高縄山城から道後の地に移したのは建武三年であり伊予国守護に任ぜられたのは観応元年 一三五十である。
阿沼美宮得石額之碑
本殿
境内社等
多賀大神宮・稲荷神社・阿奈波大明神
社殿横に陽石
社殿前には木彫りの男根が多数
神殿神社・十六皇子神社・貴布祢神社
貴布祢神社(元平田町鳥越に鎮座)
祭神 闇龗神
旧本殿 二尺五寸×二尺 雨覆上屋 五尺四面
旧社地 八畝 神田三畝十八歩
由緒 水の祖神に坐して農作物に必要なる慈雨を降し灌漑のことを掌り給う。
十六皇子神社(元平田町皇神山に鎮座)
祭神 天神地祇十六柱神
旧本殿 一間四面 神楽殿 二間半×三間
旧社地 一町一反二十八歩 神田一反二畝十七歩
由緒 諸願成就、天下泰平、家内安全、息災延命、開運長久の守護神。殊に幼児の病気平癒を祈願する信仰あり。
神殿神社(元平田町土居山に鎮座)
祭神 素盞嗚尊
旧本殿 二尺×二尺五寸 雨覆上屋 五尺四面
旧社地 七畝十四歩 神畑三畝十七歩
由緒 悪事、疫病、災難を除き福徳招来の守護神
右三神社の沿革
明治三年松山藩々命を以て本社境内に奉遷
明治九年県令の達により十三年旧鎮座地へ奉還
明治の末葉内務省の指令に??此の処へ奉安
現例祭日 五月十四日
祓所?
古い扁額
由緒
祭神 大山祇神 月読神 高龗神 雷神
例大祭 十月四日
阿沼美神社社伝記によると十二代景行天皇の皇子武国凝別(御村別の祖)日本武尊の御子十城別王(別王の祖)の宮居された所と伝えられており地名を大内小字を宮内という
別氏の子孫は阿沼美の神を奉斎して深く尊崇を尽くし四十代天武天皇四十五代聖武天皇五十代桓武天皇五十二代嵯峨天皇七十五代崇徳院等は幣帛を奉り勅願により宮殿を再造営した
別氏の没落後河野氏は三島の神を合わせ祭り「阿沼美三島大明神」と号して累代崇啓を尽くし神領を三百二十一町六反を寄進した
さらに河野通直は新たに社殿を築き厳命して「新宮」の二字を加え「阿沼美三島新宮大明神」と称え一族の潮見山城主大内伊賀守越智信泰を大宮司として祭事を掌らせた
河野氏滅亡後「三島新宮」とのみ称するようになっていたが天明二年本殿が大破して再建した際屋根裏から文禄年度の「阿沼美三島新宮大明神」と記した古棟板が発見され又天保四年九月六日には御幸橋の地下から「阿沼美宮」と刻した延文年間の石額が出土した翌天保五年藩命を奉じて天朝に奏し「阿沼美神社」の旧号に復した
延喜式神名帳に伊予国温泉郡「阿沼美神社名神大」又同臨時祭式に名神祭(二百八十五座)「阿沼美神社一座」(伊予国)とあるのは当社であるといわれている
境内神社 稲荷神社 阿那波大明神 多賀神社 貴布禰大明神 十六皇子神社 神殿神社
創建時期は不詳。
社伝によれば当地は御村別の祖である武国凝別皇子及び、日本武尊の御子で伊予別君の祖である十城別王の宮居された所であると伝えられているそうで、地名を大内、小字を宮内といいます。
当初、和気(別)氏が阿沼美の神を奉斎。
その後、河野氏が三島の神を合わせ祭り「阿沼美三島大明神」と号したとされます。
永禄(1558~70)に河野通直(弾正少弼)が社殿を造営、「阿沼美三島新宮大明神」と称し、大内信泰に祭事を掌らせました。河野氏滅亡後「三島新宮」とのみ称するようになっていたといいます。
天明2年(1782)に本殿大破の際、屋根裏から「阿沼美三島新宮大明神」と記された文禄年間(1592~96)の棟札が発見され、続いて天保4年(1833)に氏子が社前の御幸橋を修理するため川を浚えたところ、表面に「阿沼美宮」、裏面に延文5年(1360)の年号を刻した石額が出土。
石額発見の翌年の天保5年(1834)には阿沼美神社の旧号に復しました。
この石額を以って、当社を延喜式神名帳にみえる「伊予国温泉郡 阿治美神社 名神大」にあてる説があります。
※「阿治美」は写本によるもの(『日本歴史大系』は誤記とする)で、神名帳の本来の表記は「阿沼美」であったとされます。
ただし当地は和気郡に属していたため、この説は有力ではないようです。
石額について『阿沼美神社考証』は「この石額にして同社固有のものとせば文禄中に至りて阿沼美新宮と号するは理に於て首肯し難く、新宮の称は決して阿沼美神社を新築したりとの謂には非ず。熊野本宮に対する熊野新宮、伊予村神に対する伊予新宮、越智三島社に対する河野新宮等の如く、この社が文禄中阿沼美新宮と称せしは当時他に阿沼美本宮と認むべき旧祠ありしを以てなり」云々とし、当社はあくまで本宮に対する新宮であり、本宮こそが本来の式内大社 阿沼美神社であるとします。
明治4年郷社列格。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
松山城のあたりから国道196号を北上。
平田町に入った辺りで今治方面の案内に沿って右手へ。
右手に曲がったすぐ先の交差点(位置)で左折。
100mほど行くと灯籠が立っているので右手へ。
その先に注連柱が立っていますので、その右手の坂を登っていくと社務所らしき建物がありその辺りに駐車可能です。
神社概要
社名 | 阿沼美神社(あぬみじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 阿沼美三島大明神 阿沼美三島新宮大明神 三島新宮 |
住所 | 愛媛県松山市平田町983 |
祭神 | 大山祇神 月読神 高龗神 雷神 |
社格等 | 式内社 伊予国温泉郡 阿治美神社 名神大 旧郷社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「阿沼美神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「阿沼美神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 395-396コマ)
- 鵜久森熊太郎『阿沼美神社考証』愛媛県神職会, 1920(国会図書館デジタルコレクション)