穴石神社跡(伊賀市柘植町)

穴石神社跡。

伊賀市柘植町、霊山の山中の神社跡。

式内社 穴石神社の論社の一つである都美恵神社の旧社地とされる場所。

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跡地

霊山北麓、東海自然歩道から分岐した道を300m弱歩くと右手の木々の中に石碑が見えてきます

 

穴石神社跡碑と碑文

 

穴石神社跡碑

 

由緒碑

穴石神社は、旧記によると第30代敏達天皇の御代(五七一)「此の郷の長、神を祀りて穴石大明神と号す」、第四十九代光仁天皇の御代「社地社殿の御制定あり」と伝えられている。

千七十年余この碑の右手奥に鎮座奉斎されていたが、寛永二十一年(一六四四)七月の大洪水により社地社殿悉く欠潰し復興困難となったため正保三年(一六四六)八月に現在の柘植町字北浦の丘陵地に造営遷座された。

その後、明治末に合祀を実践したことにより大正十一年に「都美恵神社」と改称され、現在に至っている。

平成十八年(二〇〇六)遷座三六〇年の佳き年にあたり記念碑を建立するものである。

碑の右手奥にあった、とのことですが、写真見ていただけるとわかる通り、今は木々が生い茂るのみで特に痕跡らしきものは見当たりませんでした。掘れば何か出てくるかも知れませんが…

碑が建てられたのは2000年代に入ってからなので、近年までは何もなかったのだと思われます。

私は、大体の場所がわかれば…という気持ちで都美恵神社の宮司さんに旧社地のことを尋ねたところ、この碑の前で撮った記念写真(おそらく建立記念)を見せていただき、場所も教えていただくことができました。聞いてみるものですね。

由緒

由緒については都美恵神社の記事をご参照ください。

当地は、寛永21年(1644)まで穴石神社(現・都美恵神社)が鎮座していた地になります。

洪水で社地社殿とも損壊したため現在の都美恵神社の地に遷座。

現在は平成18年(2006)に建てられた碑があるのみです。

 

御朱印

御朱印はありません。

都美恵神社で聞いてはいないですけど、普通に考えたらないでしょう。

アクセス

伊賀市北東に聳える霊山の山中にあります。

霊山は北側から車で山頂まで登ることができるのですが、その車道の途中から分岐する道の先に当地はあります。

 

登山道(車道)起点

伊賀SAや伊賀ドライブインから少し南です(位置)。

 

500m弱登ったあたりで右手に分かれる道に進みます(およその位置)。ここからはGoogleやYahooマップには道が載っていません。神社跡よりも少し先に砂防ダムらしきものがあるので、その管理用道路なのかも。国土地理院地図には記載あり。衛星写真で見ると明らかに道があるのがわかります。舗装されており歩くには支障ない道なのでご安心を。

 

分岐手前の橋

 

橋を渡った先、右手に車止め

この先へ入っていきますが、車は入れないのでここに置いていきましょう。

普通車程度の大きさなら車止めの手前に置いても車道を塞ぐことはないと思います。

 

ただ、登山道起点付近に駐車スペース(ではないかも知れないけど路肩がちょっと広いところ)があるので、歩けるのであればそちらに停めた方が良いとは思います。

より良いのは道の駅いがや伊賀ドライブインに停めて歩く、でしょうか。

そもそもこの道、東海自然歩道の一部なのでなるべく歩く方が良さげ…

神社概要

社名穴石神社跡(あないしじんじゃあと)
通称
旧称

穴石(穴師)神社

石上明神

住所三重県伊賀市柘植町(霊山山中)
祭神不詳
社格等式内社 伊賀国阿拝郡 穴石神社(旧地)
札所等
御朱印なし
御朱印帳
駐車場登山道分岐点に駐車可
公式Webサイト
備考現社地:都美恵神社

※おおよその位置

管理用道路か何かなのか、Google mapやYahoo地図には道の記載なし。(航空写真なら道があるのが見えます)国土地理院地図には記載あり。

参考文献

  • 「都美恵神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第六巻 東海道1』皇學館大学出版部, 1990
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第六巻 伊勢・志摩・伊賀・紀伊』白水社, 1986