佐々神社(伊賀市音羽)

佐々神社。

伊賀上野駅の北約4km、音羽に鎮座。

式内社 佐々神社に比定される神社。

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境内

社頭

 

鳥居

 

社号標

 

手水鉢

 

石段

 

手水舎

 

鳥居跡?

社殿

拝殿

 

扁額

 

拝殿後ろの狛犬

 

幣殿?

 

本殿

境内社等

拝殿左手の社

祭神として人の名前が多数記載あったので、護国社・招魂社かと思われます。

 

社務所

由緒

由緒碑

佐々神社由緒

【延喜式神名帳】佐々神社 伊賀国阿拝郡鎮座

【現社名】佐々神社

【鎮座地】三重県伊賀市音羽六一八

【祭神】八重事代主命

    合祀須佐之男命 倉稲魂命 大己貴命 金山彦命 大山祇命

【例祭】十二月十日 特殊神事 鰶(このしろ)宗旨 探湯(くわたて)神事

【社格】明治四年村社昇格

【由緒】創祀の年代は明らかではない。

持統天皇三年(六八九)八月封田二十九束を奉る

嘉祥三年(八五〇)六月四日従五位下授ける

文禄年中(一五九二~九六)現地へ遷宮する

古来一般の尊敬高く特に授乳の霊験顕著であり遠近より産婦で母乳少ない人の参拝者は伊賀、大和、山城、近江等より参拝されている。

松尾某は当字の住人で文禄年間佐々神社を今の地に遷し奉仕したと言う。

その昔篠ヶ嶽にあった頃より松尾某は信仰が厚かった。松尾某の妻は分娩し男児を出産したが乳が出なく困ったので七日間篠ヶ嶽へ籠り一心不乱の祈願をし乳が出たと言う。誠に神のお告げと崇め、敬いその御神徳を感じたとある。

十二月十日の例祭には鰶の馴れ鮨は佐々神社の祭礼に御供として膳分焼物の引物として祭禮の宗旨として実施されている神事である。

創建時期は不詳。

文徳実録 嘉祥3年(850)6月4日条に「伊賀国佐佐神…従五位下」、三代実録 貞観15年(873)9月27日条に「伊賀国…従五位下…佐々神…従五位上」とみえる佐佐(佐々)神は当社に否定されています。

嘉祥3年の従五位下授位は、敢国神社と並び伊賀国では最も早いものです。

 

延喜式神名帳にみえる「伊賀国阿拝郡 佐々神社」もまた当社に比定されています。

 

元は西北西4kmほど、伊賀と近江の境近くに聳える信楽高原の最高峰、笹ヶ岳(篠ヶ嶽)に鎮座していたとされます。

山岳信仰に基づき笹ヶ岳に祀られたのが当社の始まりで、社名の「ささ」は笹ヶ岳に由来すると考えられています。

しかし野火に遭い炎上、文禄年中(1592~96)に当地に遷座。

 

明治4年村社列格。

 

現在の祭神は八重事代主命。

これは『伊水温故』で主張された説。

 

度会延経の『神名帳考証』や、『神祇志料』、『三重県神社誌』では大彦命を祭神とする説を唱えています。

伊賀は阿倍氏の本貫地で、阿倍氏と佐々貴氏は祖を同じとする(『新撰姓氏録』の摂津皇別に「佐々貴山君阿部朝臣同祖大彦命之後也」とある)ことから、佐々貴氏の祖神大彦命を祭神とする説です。

 

また、『甲賀郡史』は須佐之男命を祭神とする説を挙げます。

 

祭神の書かれた額

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

伊賀上野駅あたりから国道422号を北上。

6kmほど先(位置)で右折(ここから道狭い)。

400mほど先で国道は左手に折れますが、無視して直進。

1.7kmほど先の分岐(位置)を左に曲がると、車道に沿って参道が伸びています。

社務所脇に駐車可(位置)。

神社概要

社名佐々神社(ささじんじゃ)
別名篠大明神
旧称
住所三重県伊賀市音羽618
祭神

八重事代主命

現祭神

『伊水温故』

大彦命

『神名帳考証』

『神祇志料』

『三重県神社誌』

須佐之男命

『甲賀郡史』
合祀

須佐之男命

倉稲魂命

大己貴命

金山彦命

大山祇命

社格等

式内社 伊賀国阿拝郡 佐々神社

日本文徳天皇実録 嘉祥三年六月庚戌(四) 佐佐神 従五位下

日本三代実録 貞観十五年九月廿七日己丑 佐々神 従五位上

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場境内駐車可
公式Webサイト
備考文禄以前は笹ヶ岳に鎮座

参考文献

  • 「佐々神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「佐々神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第六巻 東海道1』皇學館大学出版部, 1990
  • 三重県神職会編『三重県神社誌 第2』三重県神職会,1922(国会図書館デジタルコレクション 185-190コマ