鳥坂神社。
伊賀市甲野に鎮座。
式内社 鳥坂神社の論社。
境内
社前の橋
社号標
社号標
鳥居
手水舎
境内の小さな橋
狛犬
社殿
拝殿
祭神を記した額
扁額
拝殿後ろの狛犬
本殿
神饌所?
由緒
創建時期は不詳。
延喜式神名帳にみえる「伊賀国山田郡 鳥坂神社」に当社をあてる説があります。
往古は鳥坂山の麓に鎮座したと伝わります。
その辺りを沢田といい、宝殿ヶ谷、鳥居川原という地名もあったことが宝暦13年(1763)の『三国地誌』に見えます(『式内社調査報告』はこれらの地名について「残っており」としますが、昭和末期にこの地名が本当に残っていたのか不明…現在の地理院地図には鳥坂山、沢田、宝殿ヶ谷、鳥居川原いずれも記載なし)。
『三国地誌』には畑山の下に◯鍋頭頂◯鳥坂山とあり、鳥坂山は畑山とも言ったのかもしれません。
具体的な場所はわからないのですが、西教山の西側にあるいくつかのピークに名前があっていずれかが鳥坂山で、その麓が旧地ではないでしょうか。『式内社調査報告』は旧地について、現在地より東約2kmで甲野の水源に当たるとしています。
ただ、『日本歴史地名大系』の勝手明神跡項に「出後集落から南の上野市喰代へ通ずる道の西方鳥坂山麓中野」という記述があり、これに従えば鳥坂山は当社の南方になってしまうのですが…
『式内社調査報告』は天正9年(1581)の兵乱で焼けて現在地に遷ったと伝える、としますが、『日本歴史地名大系』は遷座時期不明、『三重県神社誌』所載の社蔵の棟札の一つに「万治元戌年(1658) 神明 奉造営式内鳥坂神社若宮三座合殿遷宮御宝前 十一月吉日 勝手 氏子中」とあり、神明・勝手の二社に若宮を合祀した時のものであろうが、あるいはこの時移祀されたものとも考えられる、とします。
明治4年村社列格。
明治40年に大字甲野の無格社水神社、同津島神社、同境内社弥五郎殿、同山神社、同富士社を合祀。同41年に村社若一神社を合祀。
現祭神は大日孁貴命、武内宿禰、愛鬘命。
大日孁貴命は産土神とされ、おそらく当社本来の祭神(式内社とすると、その当時からの祭神かは不明)。
武内宿禰は若宮祭神で村民氏祖神。『日本歴史地名大系』にみえる社蔵棟札が「神明・勝手の二社に若宮を合祀した時のもの」であるならば、万治元年(1658)に合祀されたと思われます。
愛鬘命は勝手明神ともいわれ、近江国三津村源三郎の先祖が当地を開拓したときに鳥坂神社の合殿に合祀したとされます。『式内社調査報告』は開拓はそれほど古いことではないと推測し、愛鬘命の祀られたのは他二柱からやや遅れると伝えている(社伝?)とするのですが、そうなると上記『日本歴史地名大系』の「神明・勝手の二社に若宮を合祀」という記述と矛盾します。
棟札には三座とはありますが「勝手」とはみえません。「神明」「鳥坂神社」「若宮」の三座なのかもしれません。そうすると「鳥坂神社」祭神は大日孁貴命でも武内宿禰でもないことになりますが…
『伊水温故』は下照姫を祭神とします。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
上野公園の辺りから国道号を東に向かい、真泥大橋北詰交差点(位置)で左に折れます。
そこから道なりに2.5kmほど行ったところ(位置)で左折すると奥に鳥居が見えます。
駐車場はないのですが、鳥居左手の社務所前にわずかにスペースがあったのでそこに停めさせていただきました。
神社概要
社名 | 鳥坂神社(とりさかじんじゃ) | |
---|---|---|
通称 | – | |
旧称 | – | |
住所 | 三重県伊賀市甲野1301 | |
祭神 | 大日孁貴命 武内宿禰 愛鬘命 | 現祭神 |
下照姫 | 『伊水温故』 | |
合祀 | 弥都波能売命 弥五郎殿 大山祇神 木花咲耶姫命 速玉之男命 大山咋神 健速須佐之男命 | |
社格等 | 式内社 伊賀国山田郡 鳥坂神社 旧村社 | |
札所等 | – | |
御朱印 | 不明 | |
御朱印帳 | – | |
駐車場 | なし | |
公式Webサイト | – | |
備考 | 往古は東約2km(?)の鳥坂山の麓に鎮座 |
参考文献
- 「鳥坂神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「鳥坂神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第六巻 東海道1』皇學館大学出版部, 1990
- 三重県神職会編『三重県神社誌 第2』三重県神職会,1922(国会図書館デジタルコレクション 317-326コマ)