瀧壺神社。
大津市仰木、京都との県境である仰木峠付近の竜ヶ谷滝壺と呼ばれる場所に鎮座。
式内社 小椋神社の旧鎮座地とされ、現在は奥宮となっている神社。
境内
社頭の池
社名は瀧壺、この辺りを竜ヶ谷滝壺とも呼ぶそうですが、滝そのものは見当たりませんでした。昔はあったのか、あるいはこの池を滝壺に見立てているのか(この池自体いつ頃からあるのかもわかりませんが)。
なお神社よりもう少し峠の方に進むと、道沿い山の斜面に湧水があり、地元の人はそちらに汲みにくるのだとか。
社号・祭神名標
道路からちょびっと登ると
鳥居
扁額
石段
石段の玉垣(?)は割と近年に設置されたもののようです。
石段上から
狛犬
社殿
社殿覆屋
社殿
境内社等
社殿右手の境内社
倉庫?
由緒
人皇第三十八代天智天皇が奈良から近江大津に御遷都乃砌山代から仰木峠を越えて近江へ御入りになった際御伴をして来た丹生川上神社乃宮人加太夫と言ふ人が清らかな水乃滝を見て此乃佳き地に永住した其乃時川上神社乃祭神闇龗大神乃分霊を御祀した乃が抑々小椋神社乃始めである 後今乃地に移し式内社小椋神社であり今尚仰木乃氏神として永久に尊崇せられる此乃所が仰木発祥乃地である
創建時期は不詳。
社伝では天智天皇6年(667)に丹生川上神社からの分祀とされます。
境内の由緒書によれば大津遷都の際に丹生川上神社の宮人加太夫(滋賀県神社庁のページでは嘉太夫仙人)がその分霊を祀ったことに始まるとのこと。
この加太夫(嘉太夫、賀太夫)なる人物については、『日本の神々』によれば「広大な野山であった仰木は志賀郡大伴郷に属して上野山と呼ばれていたが、あるとき賀太夫(嘉太夫)仙人と称する老翁が斧を持って木を伐り、土地を開発し、以後、当地は北坂本と呼ばれるようになった」という伝えもあるそうで、同書は「賀太夫仙人こそ仰木の地主神田所大明神であったにちがいない」とします。
当地竜ヶ谷滝壺には八大龍王が棲むと信じられ、水源信仰から始まった神社だとみる向きもあります。
貞観元年(859)に小椋神社は現在地の葉広山に遷座し、以降当地には奥宮として瀧壺神社が祀られています。
御朱印
御朱印はあります。
小椋神社で拝受可。
アクセス
小椋神社社頭から奥比叡ドライブウェイを渡って100mほど行ったところ、山地神社の斜向い(位置)に闇龗大神参道の碑が建っており、そこが参道起点のようです。
が、その道は車では行きづらい(途中から未舗装になったり民家の庭先みたいな場所に出たり)ので、小椋神社一の鳥居からちょっと遡った辺りの交差点(位置)から西に行くのがいいです。
800mほど先(位置)で分岐しますが、右の道へ。奥比叡ドライブウェイの下を潜ります。
さらに600mほど先(位置)でまた分岐します。左の道を行くのが正解なのですが、「一般車両進入禁止」の看板が立っています。
看板のある路肩に停められなくもないですが、そもそも狭隘路のためおすすめできません。神社付近は広くなっていていくらでも停められそうなのですが…
小椋神社の駐車場を借りて歩くのが無難です。2km以上ありますが。
神社概要
社名 | 瀧壺神社(たきつぼじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 滋賀県大津市仰木町 |
祭神 | 闇龗大神 |
社格等 | 式内社 近江国滋賀郡 小椋神社 小椋神社奥宮 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | http://ogurajinja.org/ |
備考 | 本社は小椋神社 |
参考文献
- 「小椋神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十二巻 東山道1』皇學館大学出版部, 1981
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第五巻 山城・近江』白水社, 1986