島穴神社旧地。
島穴神社のすぐ北、内房線の線路を挟んで向かいにある、島穴神社の旧鎮座地。
境内
旧地への道
田んぼの中にあるので、畦道を歩いていきます。
旧地は田んぼの一角、数本の木が茂っているところです
石碑と祠
祠
島穴社原地碑
二城留守成島譲撰文 田邊脩題額并書
上総国島穴社在市原郡島野村延喜式所載上総五社之一也蓋祭級長津彦命者神為風伯相伝社傍古有深坎風蓬然従其中而起陵谷之変今財存遺址所謂風門風井之類是巳追後移建社於今地祠宇煥炳崇祀益虚神官和田為盛恐其原址之堙晦也與土人酒巻慶寛菊間安利及文彬等謀建碑以識之来請文神既儼然列祀典中其跡不可泯也因表其故又係以銘曰
天地為鑪風惟橐籥有神鼓之萬類揮霍廟祀千載金碧焜煌爰表原址式伝無彊
字があっているかどうかはわかりません。内容もよくわかりません。
由緒
由緒は島穴神社の記事をご参照ください。
当地は島穴神社の旧鎮座地とされる場所。
明治10年~大正7年頃に当社の神職を務めた和田重雄氏が当地について以下のように記しています。
「村の西方字島穴に古松蓊欝たる一孤丘あり。地坪三十坪、神社の原地なり。同社殿は天長三年今の地に遷座す。往昔此地最も広く、丘上深き穴ありて清風常に吹出しと。之れ島穴の名称ある所以にして、霊跡なるを以て千餘年を経過すと雖も、遠近の人今猶茲に参拝す。嘉永元年其縁由を録して碑を建つ。」
これに基づけば、天長3年(826)まで島穴神社はこちらに鎮座していたことになります。
『式内社調査報告』では、和田氏の言う「深い穴」は古墳の竪穴式石室が露出したものではないかとし、古墳の形状については円墳か方墳、あるいは前方後円墳(明治末に線路が通る前は現社地と旧地は一つの森であり、その両域にまたがる古墳だったと見る)で、被葬者は上海上国造の分流の有力者であり、その子孫が墓前で祭祀を続けるうちに自然と神社になったのではないかと推測しています。
現状、「深い穴」はぱっと見たところ見当たりませんでした。注連縄の内側には入っていないので現存しないと断言はできませんが、和田氏の文書からすると、明治頃には既に消滅していたのではないかと思われます。
御朱印
旧地なのでありません。
アクセス
島穴神社北東にある第三島野踏切を渡ります。
渡ってすぐ左手(西)を見ると、田んぼの中に木が数本と石碑が建っているのが見えます。
線路沿いに畦道を150mほどです。
駐車場はありません。島穴神社の駐車場をお借りしましょう。
神社概要
社名 | 島穴神社〔旧地〕(しまあなじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 千葉県市原市島野 |
祭神 | – |
社格等 | 式内社 上総国海上郡 嶋穴神社(旧地) |
札所等 | – |
御朱印 | なし |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし(島穴神社駐車場を利用) |
公式Webサイト | – |
備考 | 現社地:島穴神社 |
参考文献
- 「島穴神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十一巻 東海道6』皇學館大学出版部, 1976
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第十一巻 関東』白水社, 1984
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 上巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 542-543コマ)