坂門一言神社。
大野市牛ケ原に鎮座。
式内社 坂門一事神社の論社。
境内
鳥居
扁額
狛犬
社殿
社殿
社殿前の雪囲いの内側
本殿覆屋?
由緒
社名 坂門一言神社(さかとひとことのかみのやしろ)
鎮座地 福井県大野市牛ヶ原七五字新村下五六番地
御祭神 阪田大跨命(さかたおほまたのみこと)
例祭 四月第一日曜日
宝物 神鏡一面・祈願札(天保十二年)
由緒
創建の年代は詳らかでないが、
延長五年(九二七)十二月に完成奏上された「延喜格式」の全五十巻の巻第十(神祇十)の項「越前国一百廿六座の目「大野郡九座」の三番目に記載されている「坂門一事神社」が、現在の大野市牛ヶ原七五字新村下五六番地に座す「坂門一言神社」である。
「越前国大野郡神社明細帳」に「大野郡牛ヶ原村五四番地字小林に鎮座の処 明治二一年一月二五日福井県の許可を得て福井県管下越前国大野郡牛ヶ原村第百五十号字森ヶ谷自第十二番地至第十五番地に移転す。」と記載されている。
尚 亦「同神社明細帳」に「明治九年六月に村社に列す。明治四十三年一月八日に同字稲荷山 村社八幡神社へ合併」と記載されているが昭和二十一年八月十五日に大野郡乾側村牛ヶ原第百五十号字森ヶ谷に還御された。
平成十五年四月十三日に福井県大野市牛ヶ原七五字新村下五六番地の新社殿に遷座された。
御祭神 阪田大跨命は、二六代継体天皇の妃 広媛の父の命也。
尚「足羽社記略」「神名帳考証」「越前国官社考」「特選神名牒」等には「一事神」「一言神」「一事主神」「一言主神」を祭るなるべし。と記している。
坂戸の地は、大野盆地と足羽の郡を結ぶ重要な位置にある上に峠越えの地でもある。この地に古代から祭祀された坂門一事神社は、土地の人々は勿論往来する人々にも篤く尊崇されてきた。
前鎮座地、小林(西方二〇〇メートル)には大石が、森ヶ谷(北方二〇〇メートル)には旧境内跡が残っています。
創建時期は不詳。
延喜式神名帳にみえる「越前国大野郡 坂門一事神社」を当社に充てる説があります。
往古は牛ヶ原村字小林という地に鎮座しており、大石が残るといいます。
境内案内によれば現社地の西方200m。
『式内社調査報告』によると「花山トンネルを大野市側に抜けて国道を下りると右側の山麓に大石を見ることができる。坂戸の故老の話では最初の鎮座地がその石に近く平らになった所であって、萱屋根の葺き替えには御神体を一時石の上に安置したという」。
国道西側は鬱蒼とした森になっており、大石が見えないどころか入っていけそうにもないので場所は未確認。新し目の案内に書かれていることから大石は現存すると思われます。
明治9年村社列格。
明治21年牛ヶ原村森ヶ谷に遷座。
これは現社地の北200m強、越美北線の踏切(その名も神社踏切)に隣接した土地で、現在も跡地の標柱と石垣が残されています。
明治43年稲荷山村社八幡神社へ合祀されるも、昭和21年分離し再び森ヶ谷に鎮座。
平成15年に現在地に遷座。
現祭神は阪田大跨命。
継体天皇の妃、広媛の父にあたります。
異説として、『深山木』は広媛、『神名帳考証』『越前国官社考』『特選神名牒』は一事主命とします。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
大野市中心部から西に向かい、犬山交差点(位置)から国道158号の本線(北側、越美北線沿いを走る方)へ。
2kmほど先(位置)で右手に入るとすぐ神社。
駐車場はありませんが、隣接する集会所?の横に車は置けます。
神社概要
社名 | 坂門一言神社(さかとひとことじんじゃ) | |
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通称 | – | |
旧称 | – | |
住所 | 福井県大野市牛ケ原75字新村下56 | |
祭神 | 阪田大跨命 | 現祭神 |
広媛 | 『深山木』 | |
一事主命 | 『神名帳考証』 『越前国官社考』 『特選神名牒』 | |
社格等 | 式内社 越前国大野郡 坂門一事神社 旧村社 | |
札所等 | – | |
御朱印 | 不明 | |
御朱印帳 | – | |
駐車場 | なし | |
公式Webサイト | – | |
備考 | 旧地(明治21年以前):現社地の西方200m 旧地(明治21~平成15年):現社地の北200m強、越美北線の踏切に隣接した地 |
参考文献
- 「坂戸村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「坂門一言神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十五巻 北陸道1』皇學館大学出版部, 1986
- 福井県神社庁編『御大典記念福井県神社誌』福井県神社庁, 1994