大幡神杉伊豆牟比咩神社。
輪島市三井町本江に鎮座。
式内社 神杉伊豆牟比咩神社の論社。
境内
社頭
社号標
鳥居
扁額
参道
手前の狛犬
奥の狛犬
独特な造形。阿形の方はちょっと怖い感じ…
手水鉢
社殿前の石段から鳥居方向
社殿
拝殿
本殿
本殿への石段
妙に高い位置にあり登れず(周囲の草がない時期なら、脇から登れるかも)。
本殿前の狛犬
境内社等
神輿庫…?
中を確認したかったのですが、蜂の巣が造営中(中央下に見える茶色いの)だったのでやめました。
由緒
創建時期は不詳。
『式内社調査報告』によれば、元は「遠く西方の仁行村の山中にある奥長瀬のカミヤシロ」に祀られていたといいます。
ただ、仁行村=現在の輪島市三井町仁行ならば、そこは現社地から見て東方。当社の東北東4kmほどの場所に、大畑山という山がありますが、関係性は不明。
同書は、社名の「神杉」は山中の神杉に神祇を招請して斎祀したことを思わせ、また「伊豆牟」は斎清浄を意味するので、伊豆牟比咩とは斎祀する巫女の姿を偲ばせるとします。
伝承によれば、上古の時代に猿鬼と呼ばれる凶賊が人畜に危害を加えており、これを能登一宮の気多大明神が大将、三井の神杉姫が副将軍となって退治したとされています。
周辺には猿鬼伝説ゆかりの地が多くあり、当目の岩井戸神社(位置)は退治された猿鬼を祀ったことに始まるともいわれます。
伝説地の一部は石川県健民運動推進本部が公開しているコースマップ内の猿鬼街道のPDFに載っています。
延喜式神名帳にみえる「能登国鳳至郡 神杉伊豆牟比咩神社」に当社をあてる説があります。
応永21年(1414)の社殿造立棟札には「大屋之庄三井之大社」とあり栄えていたとみられます。
ただ、『日本歴史地名大系』はこの棟札を社蔵としているのに対し、『式内社調査報告』は「原物は伝来せず、後代のもの」とします。後者が事実ならば信憑性には疑問が残ります(『日本歴史地名大系』も「この棟札は検討を要する」とは注記している)。
近世以降は衰微。
明治に入り村社列格、明治15年には郷社に昇格。
現祭神は足摩乳命、奇稲田比咩命。
イヅムヒメからイヅモヒメとし、出雲にゆかり深い奇稲田比咩命に推定、さらに父神の足摩乳命を配したのでは、と『式内社調査報告』では論じています。
この二柱に定められる以前については不明ですが、神仏分離の際に仏照寺(輪島市三井町興徳寺)に本地仏二体(それぞれ地蔵菩薩、如来像に類似するようですが腐食のため不明とのこと)が預けられたことから、近世以前より祭神は二柱であったようです。
合祀の応神天皇、神功皇后及び配祀の市杵島姫命については、それぞれ合併された八幡神社・市姫神社の祭神(合祀・配祀の表記は『平成祭データ』に基づきますが、その基準は不明)。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
輪島中心部から県道1号を南下。
県道起点の河井中央から9km弱、輪島市本江交差点(位置)で東に折れ、約1km行くと社頭。
駐車場はありませんが、鳥居右手から境内に乗り入れることは可能。
神社概要
社名 | 大幡神杉伊豆牟比咩神社(おおはたかむすぎいずむひめじんじゃ) |
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通称 | – |
旧称 | 神杉伊豆牟比咩神社 大幡神社 |
住所 | 石川県輪島市三井町本江ヌ46 |
祭神 | 足摩乳命 奇稲田比咩命 |
合祀 | 応神天皇 神功皇后 |
配祀 | 市杵島姫命 |
社格等 | 式内社 能登国鳳至郡 神杉伊豆牟比咩神社 旧郷社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | 旧地は仁行村の山中にある奥長瀬のカミヤシロという |
参考文献
- 「本江村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「大幡神杉伊豆牟比咩神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十六巻 北陸道2』皇學館大学出版部, 1985
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 800コマ)