大神山神社(米子市尾高)

大神山神社。

米子東ICの南約1kmに鎮座。

式内社 大神山神社に比定される神社。

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境内

社頭

 

社号標

 

灯籠

 

 

 

鳥居

 

鳥居横の狛犬

吽形は胴体と尻尾しか残っていません…

 

手水舎

 

神門

 

神門前の狛犬

 

神門内の狛犬

おもしろい形をしています。

 

神門内側境内

 

拝殿前の新しめな狛犬

社殿

拝殿

 

扁額

 

社号額(篇額)について

この社号額は最後の鳥取藩主であった池田慶徳公の書である。慶徳公は徳川15代将軍慶喜公の兄であり、水戸藩主徳川斉昭公の子息で鳥取池田家に入られた。この額の揮毫の年代は不明であるが署名から推察すると明治5年当神社が国幣社に列せられ、初代宮司に旧米子城主の、荒尾成章が任ぜられて居るのでその時代かと思われる。

 

神饌所?

 

本殿

境内社

朝宮神社

 

龍神社

 

龍神社前の池

 

龍神社横の木

御神木?

 

大山奥宮、下山神社遙拝所

 

お狐さん

 

社日塔

 

ハナショウブ園だったと思われる場所

公式サイトによると廃止されてしまったようです。

由緒

境内由緒板

1000年前の延喜式に宗形神社とともにその名が残っている格式高い古社。社殿は、岸本町丸山から福万原を経て、江戸時代に尾高に移されたという。神社には、津和野城主亀井氏が奉納した備州長船住兼光の銘がある長さ24.8cmの短刀が伝わり、国の重要文化財で、東京国立博物館に寄託されている。境内入口の大灯籠は、会見郡内西伯耆の有志が献納したものである。参道の横にはハナショウブ園があり、6月中旬が見ごろとなる。

大山寺の大智明権現は、明治の神仏分離の結果大神山神社の奥宮と定められた。

創建時期は不詳。

 

『鳥取県神社誌』『国幣小社大神山神社記要』によれば、神代の昔、八束水臣津野命と大己貴大神が大山山頂で神事を行なって以来祭祀が始まり、大神や天穂日命の子孫が現在の奥宮の地に磯城の瑞垣神奈備を築き、南面して大山頂上を遥拝するようになったとされます。

つまり、当社は当初奥宮(大山北麓)の地に創祀されたことになりますが、この地は冬季の風雪激しいため、上代において定住奉仕できたとは考えにくい場所。

また、延喜式神名帳では当社は会見郡鎮座とされていますが、奥宮の地は汗入郡に属していました。

 

このような理由から、実際の創建の地は里宮(冬宮)最古の社地の記録が残る大神谷(現西伯郡伯耆町丸山)であろうとされます(大神谷の地も会見郡ではなく日野郡でしたが、『伯耆誌』に「大神谷の舊地は式の頃は會見郡なれども、今日野郡に属す」とあります)。

この大神谷の社地の詳細は不明。現在も地元で「二宮屋敷」と呼ばれているといいます。

ただ、伯耆町丸山の大山がよく見える場所にこんな石碑が建っていました。

 

「大山無窮」

 

石碑の位置はここ(位置)。

 

大神谷の地は現在畑地になっていると『日本の神々』にあり、この周辺なのではないかとも思ったのですが…

同書に載っている旧社地の写真と合致しそうなところをストリートビューで確認すると、どうもこの石碑より3.5kmほど東の畑地が非常にそれっぽいのです。

 

国史には、続日本後紀 承和4年(837)2月戊戌(5日)条に「伯耆国…會見郡大山神…奉授従五位下」文徳実録 斉衡3年(856)8月乙亥(5日)条に「伯耆国…大山神…加正五位下」三代実録 貞観9年(867)4月8日丁丑条に「伯耆国正五位下…大山神…正五位上」とあり、正五位上まで授けられているのが確認できます。

延喜式神名帳には「伯耆国会見郡 大神山神社」とみえています。

 

当社は伯耆国二宮とされますが、定められた時期は不明。

永久元年(1113)4月21日、「伯耆国第二鎮守会見宮神殿御体等」が焼亡した、という記述が『文永六年兼文宿禰勘文』にあるため、この会見宮を当社のこととして、平安時代末期既に二宮と称されていた、とする説も。

 

12世紀後半、社地狭隘、積雪等の理由から福萬原(現米子市福万)に遷座。

戦国時代(大永2年?)、兵火に罹り焼失。

久しく復興されずにいたのを、天正から慶長頃(16世紀末~17世紀初頭)、吉川広家が現米子市尾高大本坊に遷座復興(現社地の北東辺り)。

 

その後江戸時代に入り、承応2年(1653)仲間庄の豪農郡八兵衛が神夢により、現社地に遷座。

明治4年(1871)、国幣小社に列格。

 

御朱印

御朱印はあります。

参道左手の社務所で拝受可。

オリジナル御朱印帳もあります。

 

アクセス

車なら米子東ICから南へ3、4分ほど。

ICを降りてすぐ南の分岐(位置)を右手に入ります。

そのまま道なりに800mほど南下すると(住宅地で道が狭いので注意)、駐車場入口があります(位置)。

 

バスなら米子駅前バスターミナルから観光道路経由大山寺行きに乗り、「尾高バス停」下車。徒歩5分ほど。ただし本数はわずかしかありません(下記のページ内、観光道路経由 本宮・大山線の時刻表から確認可能)。

 

神社概要

社名大神山神社(おおがみやまじんじゃ)
通称
旧称二宮大明神
住所鳥取県米子市尾高1025
祭神大穴牟遅神
相殿

大山津見神

須佐之男神

少名毘古那神

社格等

式内社 伯耆国会見郡 大神山神社

続日本後紀 承和四年二月戊戌(五) 大山神 従五位下

日本文徳天皇実録 斉衡三年八月乙亥(五) 大山神 正五位下

日本三代実録 貞観九年四月八日丁丑 大山神 正五位上

伯耆国二宮

旧国幣小社

別表神社

札所等出雲國神仏霊場第九番
御朱印あり
御朱印帳あり
駐車場あり
公式Webサイトhttp://www.oogamiyama.or.jp
備考伯耆大山中腹に奥宮

参考文献

  • 「大神山神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「大神山神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十九巻 山陰道2』皇學館大学出版部, 1984
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第七巻 山陰』白水社, 1985
  • 鳥取県神社誌編纂委員会編『新修鳥取県神社誌 因伯のみやしろ』鳥取県神社庁, 2012
  • 鳥取県神職会編『鳥取県神社誌』鳥取県神職会, 1935(国会図書館デジタルコレクション 14-15コマ