國坂神社(北栄町国坂)

國坂神社。

北栄町役場北条庁舎の北1km強、茶臼山の北麓に鎮座。

式内社 國坂神社に比定される神社。

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境内

一の鳥居

 

扁額

 

北栄町指定保護文化財第15号 國坂神社社叢

國坂神社境内には、有史以前より茶臼山に繁茂指定いた暖地性のスダジイ、カクレミノの群落が見られる。これらは西日本、四国、九州の沿岸地に広く分布する典型的な照葉樹林の社叢である。また、特に神社正面右側のスダジイ三本、左側のタブノキなどは承和四年(八三七)以前から、既に存在していたものとも推定され、その歴史の深さを実感させる。

さらに、モミ、タブノキ、クロマツの巨木が混交するこれらの森は、地域住民によって大切に守られてきた貴い遺産である。社叢の裏に広がるスダジイの純林は樹齢としては若いものの、樹勢とその広がりは、町民が将来にわたり緑の大切さを学ぶに価する自然である。

環境問題が問われる今、本社社叢はきわめて学術的価値が高いものである。

 

手水舎

 

社号標

 

神門

 

石段

 

二の鳥居(現存せず)

 

狛犬

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

 

本殿周囲には三重の玉垣

 

玉垣内に意味ありげに石が並んでいますが、いわれは不明

境内社

八幡社・荒神社

 

秋葉社

 

神宮遥拝所

 

石段下左右に門守社

神社明細帳には随神門が記されているが現在はなく、随神として残されている、と『式内社調査報告』にありますが、それがこちらでしょうか。

 

右手の門守社後ろには注連縄の巻かれた巨木(御神木?)

 

斎霊碑

 

社前東に「御手洗池」という神池があり、当社に祈願してこの池の水草を煎用すると疫病・難病に神徳の霊験があるとされ、この伝承に基づく薬草祭という神事があります。

…が、それらしき池が見当たりません。

 

社頭にある干上がった池は小さすぎる気もします

 

鳥居近くに防火水槽があります

記念碑まで建てられているので、もしやここがかつて池だったのでは?とも思いましたが、神池を埋めたりするだろうかという疑問も残るので、謎です。

由緒

境内由緒板

國坂神社

創建 八三七年以前

一.祭神 少彦名神

一.例祭日 十月十五日

平安時代中期に集成された「延喜式」の神名帳、延長五(九二七)年の伯耆六座の四番目に、「久米郡國坂神」と記載されている式内社で、古い記録をたどってみると、次のように神階を授与されている。

承和四(八三七)年

従五位下(続日本後記・國坂神)

斉衡三(八五六)年

正五位下(文徳実録・國坂神)

貞観九(八六七)年

正五位上(三代実録・訓坂神)

この神階授与は伯耆国では、伯耆神(現波々伎神社)・大山神(現大神山神社)とともに最も古い。このことは、地方豪族を中央の統制下に置くための神祇統制策として当地方で最重要視された神社であるといえよう。

以後、四宮大明神と称し、この神社を奉護する領主や地方の人々に敬われてきた。そして、明治時代に「郷社」に列せられ、國坂神社(四宮さん)と呼ばれて今日に至った。

なお、國坂神社社叢は平成十二年一月北条町指定保護文化財に指定されている。

創建年代不詳。

 

続日本後紀 承和4年(837)2月戊戌(5日)条に「伯耆国…久米郡国坂神…奉授従五位下」文徳実録 斉衡3年(856)8月乙亥(5日)条に「伯耆国…国坂神…加正五位下」三代実録 貞観9年(867)4月8日丁丑条に「伯耆国正五位下…訓坂神…正五位上」とみえる国坂(訓坂)神、また延喜式神名帳にみえる「伯耆国久米郡 国坂神社」は当社とみられています。

 

『鳥取県神社誌』等によれば、大永年間(1521~28)に茶臼山城主増田玄蕃が再興したとされています。

これは尼子経久の伯耆侵攻、いわゆる「大永の五月崩れ」による衰退からの再興で、大永4年(1524)以降のことであろう…と『式内社調査報告』では述べられていますが、「大永の五月崩れ」は電撃的な侵攻ではなく、永正年間から徐々に進められたものだという近年の研究があるようなので、実際どの時点で当社の衰退・再興があったのかは不明。

 

武将の崇敬も厚く、いつからか四宮大明神とよばれたと言いますが、四宮とされた経緯は不明で、延喜式神名帳の記載順とか所在地によるものとかの説があります。

 

明治元年、国坂神社と改称し、郷社に列格。

 

現在の祭神は少彦名神。

『伯耆民談記』『明治神社誌料』『鳥取県神社誌』『北条町誌』に記されています。

 

その他、以下の説あり。

  1. 大穴牟遲神・少名彦那神・事代主命『特選神名牒』
  2. 大己貴命『神祇志』
  3. 大国主命『日本地理志料』
  4. 彦坐王『神名帳考証』

4の彦坐王は開化天皇の皇子で日下部氏の祖先。

『日本地理志料』によると当地は日下郷の一部であったと考えられ、また資料によっては「国坂」を「くさか」と訓じていることに起因する説のようです。

御朱印

御朱印はあります。

神社手前にある宮司さん宅で拝受可。

社紋の桐紋と社名の判のスタイルです。

アクセス

国道9号を天神川から2kmほど東のあたり(位置)で南へ。

1km弱先の突き当り(位置)を右折。

300mほど行くと鳥居があるので、潜って進むと突き当りに神社。左手には野球場があります。

社前野球場側に駐車スペースあり。

神社概要

社名國坂神社(くにさかじんじゃ)
通称
旧称

四宮明神

四宮大明神

住所鳥取県東伯郡北栄町国坂1500
祭神少彦名神
社格等

式内社 伯耆国久米郡 國坂神社

続日本後紀 承和四年二月戊戌(五) 國坂神 従五位下

日本文徳天皇実録 斉衡三年八月乙亥(五) 國坂神 正五位下

日本三代実録 貞観九年四月八日丁丑 訓坂神 正五位上

伯耆国四宮

旧郷社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「国坂神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「國坂神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十九巻 山陰道2』皇學館大学出版部, 1984
  • 鳥取県神社誌編纂委員会編『新修鳥取県神社誌 因伯のみやしろ』鳥取県神社庁, 2012
  • 鳥取県神職会編『鳥取県神社誌』鳥取県神職会, 1935(国会図書館デジタルコレクション 189コマ
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 867コマ