自凝島神社。
南あわじ市榎列下幡多、伊弉諾・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘に鎮座する神社。
境内
社号標
神社の西400m弱のところにあります。
大鳥居
平安神宮及び厳島神社と並び「日本三大鳥居」の一つに数えられる、とwikipedia等にありますが、「日本三大~」は地域や人によっても変わるので実際どうなのかは不明(少なくとも高さではこれより高い鳥居は3つ以上ある)。
参道
社号標
手水舎
手水鉢
日本発祥 おのころ島神社
社殿
中門
中門と拝殿
本殿
本殿裏側
境内社等
御神木
枯れた古い夫婦松(こえ松)とのこと。
歌碑
「産土の我が親神よとこしへに國の鎮めとおわすこの神」
東宮遥拝所
鶺鴒石
伊弉諾命(イザナギノミコト)・伊弉册命(イザナミノミコト)は、この石の上につがいの鶺鴒が止まり、夫婦の契りを交わしている姿を見て夫婦の道を開かれ、国産みをされたと言われています。
その鶺鴒(セキレイ)のしぐさが現在も神前結婚式の三・三・九度に受け継がれています。
縁結びの起源としても有名です。
ぜひ、良縁をお結びください。
【新しい出会いを授かりたい場合】
★まず『白い縄』のみを握り、続いて『赤い縄』のみを握り、その後思いを込めてお祈りください。
【今の絆をより深めたい場合】
★お二人で来られた際は
男性は『赤い縄』女性は『白い縄』を握り、手を繋いで思いを込めてお祈りください。
★お一人で来られた際は(お相手がおられる方)
まず『赤い縄』のみを握り、続いて『白い縄』のみを握り、その後思いを込めてお祈りください。
八百萬神社
八百萬神社は、おのころ島神社の摂社にて、本社の御祭神は国生み神生みをなされた、親神様の御神徳をたたえ、ここにその御子等の神々を、八百萬神としてお祀りしてあります
御砂所と祠
神若水(かみわかみず)
門が閉められ入れないのですが、御神水でしょうか。
おのころ五十鈴川
水は流れていませんでした。流れている時もあるのでしょうか。
古い鳥居?
天の浮橋分社(本社は当社の西にあります。後述)
葦原國分社(本社は当社の北西にあります。後述)
天の浮橋
大鳥居前から西へ400m弱行くと丁字路があり、当社の社号標(一番最初の写真)が建っているのですが、そこから左手(南西)へ40mほど行くと天の浮橋があります。
天の浮橋の鳥居
天浮橋碑
天の浮橋
かつては大石のそり橋があったものの、夜陰に乗じて誰かが船に積み持ち去ってしまい、これを惜しんだ村人が小さな石橋を掛け神跡としたそう。この石はその石橋の一部でしょうか。
「古事記」「日本書紀」によれば、神代の昔国土創成のとき伊弉諾命・伊弉冉命の二神が降り立ったのが「天の浮橋」で、天の瓊矛で海原をかき回したとき、その矛より滴る潮がおのずと凝り固まって島となったのが自凝島(碬馭廬島)であると伝えられている。
なお、ここから北西に約四百メートル(榎列郵便局横の道を西に進む)の田の中に「葦原国」があります。
葦原国
前述の社号標のところを右(北東)に曲がり、すぐ先の郵便局のところを左に入り少し進むと、右前方の畑の中に木の茂った一角があります。そこが葦原国。
葦原国遠景
畦道の先に鳥居
碑が二つ建っています
諾冊二神が下界に国がないか矛で探った際、ここにあった大葦が矛に触れたため、下界を豊葦原中津国と名付けたという伝承があるそうです。
葦原國の碑
歌碑
手前に石があり下が読めませんでしたが、下掲案内板や神社サイトによると「千早振る神代の昔あしはらをひらきそめにし国常跡」と刻まれているようです(漢字・カナに若干差異はありますが)。
古事記、日本書紀によると「天と地がひらけるはじめは、浮き漂い遊漁が水の上に浮かぶようであった。その中から葦芽のようなものが生じて神となり、国常立尊ともうしました。…」以下、伊弉諾尊・伊弉冊尊までを神代七代と称します。
このようなことから、葦原国は、海辺に葦が茂っていて、その中に五穀豊穣の沃土があるという、古代伝承にもとづく日本国の別の呼名とされています。
中の歌碑には「千早振る神代の昔あしはらをひらきそめにし国常跡」と刻まれています。
由緒
御祭神 伊弉諾大神 伊弉冉大神
菊理媛命 合祀
由緒
当神社は古代の御原入江の中にあって伊弉諾・伊弉冉大神の国生みの聖地と伝えられる丘にあり古くからおのころ島と親しまれ崇敬されてきた 古事記日本書紀によれば神代の昔国土創成のときに二神は天の浮橋にお立ちになり天の沼矛をもって海原をかき回すに矛より滴る潮がおのずと凝り固まって島となる これが磤馭盧島である
二神はこの島に降り立たれ八尋殿を建て先づ淡路島を造りつぎつぎと大八洲を拓かれた となっている また古書に誉田大王・淳仁帝の参幸されたことが伝えられいる
御神徳
健康長寿 良縁堅結 夫婦和合 子孫繁栄
(前半は国産み・祭神に関する概説なので略)
御本殿のこと
御本殿は伊勢神宮と同じ造りの、神明造りで(伊勢神宮は唯一神明造り)伊勢内宮の鰹木(かつおぎ)は十本、伊勢外宮は九本、おのころ島は八本で、伊勢神宮と同じく格式ある造りです。
安産の塩砂のこと
照宮様、今上陛下であられる、明仁天皇陛下様ご生誕の折り、朝日新聞社の要請により、当時の当地、榎列村婦人会が、おのころ島から産出する「安産の塩砂」を宮内省にお送りもうしあげた
せきれい石のこと
つがいのせきれいがこの石に止まり、御祭神の二神に「交(とつぎ)の道」を教えたとされている
天の浮橋遺跡 おのころ島神社の西約三〇〇米にあり
葦原国遺跡 おのころ島神社の西約五〇〇米にあり 国常立神をお祀りしている
大鳥居のこと
昭和五十七年三月に、日本の国生発祥の地を顕彰すべく建立、高さ二十一.七米、横幅三十一.二米、柱の直径三米 工事費一億 工期半年 平成九年四月塗替補修 工事費一千五百万円 工期四十日
五十鈴川神苑
平成五年五月完工 桜、紅葉を川沿いに植樹 天の浮橋、葦原国を分祀
ご本殿東に隣接しております、ご神木は肥松で向かって左がおん松・右がめん松の夫婦松です。明治以前に枯れた松で、大昔からご神木として崇敬されておりました。元々おのころ島は古図によりますと回りは海で小さな島であり、緑豊かな松が島全体を覆っておりました。特に御神木は一段高くそびえており、古代はこの木を神の依代(神が降りてくる)として、その前で祭を司さどり、神殿等は後世になり建てられました。所で、沢山ありました枯れ松の中で、どうしてこの木だけが残っているかと申しますと、長い間には邪魔にもなり切って捨てようとしました所、時の村長が急死したり、この木を切ろうとした人の指が切れたり等の事があり、皆恐ろしくて触らずにおりましたので、生えていたそのままの所にあります。昭和六十三年に鞘堂(さやどう)を建て大切にお祀りされております。古代からの崇敬者の祈りがこもっております御神木は枯れてもなお精靈があり、今の世でも参拝の方が絶えません。
御祭神 伊弉諾尊 伊弉册尊 菊理媛之命
古事記・日本書紀によると諾册二尊は、当おのころ島にて宮柱を立て、神様と日本の国々をお生みになったと書かれてあり実に日本の八百萬の神様の親神様であります 日本の国土と日本民族と日本の神様の三者の大祖先の神様であります
日本の発祥の地、おのころ島神社は日本の原点を省みて将来の日本を考える、人々にとって忘れることのできない尊いお社であります
創建時期は不詳。
古事記に、天津神の命により伊邪那岐伊邪那美の二神は天の浮橋に立ち、天の沼矛で海をこをろこをろとかき回して引き上げると、矛の先から滴り落ちた塩が積もって島となり、これをオノゴロ島という、という記述があります。
このオノゴロ島については架空・実在の両説があり、実在説でもどの島に比定するかは諸説あります。
有名な説として下記の島があります。
- 淡路島の南にある沼島
- 淡路島北端にある絵島
- 友ヶ島のいずれかの島
当社のある丘も、オノゴロ島に比定される地の一つ。
当社の鎮座する三原平野には、古くは「御原の入江」が湾入し、当社のある丘は島であったという伝えがあります。ただ、発掘調査によれば古墳時代には三原川・大日川の最下流域であったことがわかっており、実際は島ではなかったようです。
『日本の神々』では、平野の中に島のようにある緑の丘にオノゴロ島のイメージを重ねたのでは、と推測しています。
『淡国通記』によると、社殿はなく松を御神体とし、自凝島大明神と称し伊弉諾・伊弉冉二神を祀っていたようです。社僧が大榎並村の村長とはかり御神体の木を切り寺院を建てたところ、神罰により二名は死んでしまったとか。その後、丘の上に社殿が建てられたといいます。
戦前は皇国発祥の地として参拝者が多かったものの、戦後は忘れられ、松くい虫被害(マツ材線虫病)で松も枯れてしまったといいます。
その後奉賛会が作られ、大鳥居の建設など神域整備が進み参拝者も増え、近年は縁結びで有名になっています。
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。
オリジナル御朱印帳もあり。
参拝時(2019/9)は在庫切れでした。入庫はしばらく先とのことでしたが、既に多数予約が入っているとのことでした。
アクセス
西淡三原ICを右手に降り、県道126号へ。すぐ先(位置)で県道は右手に折れるので、それに従い右手に。
2km先、大榎列交差点(位置)を左折し県道66号へ。
400mほど先、右手に社号標が立っていますので(位置)、そこを右折。
そこから400mほどで社頭。鳥居の正面(位置)と右手(位置)に駐車場あり。
神社概要
社名 | 自凝島神社(おのころじまじんじゃ) |
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通称 | おのころ島神社 |
旧称 | – |
住所 | 兵庫県南あわじ市榎列下幡多415 |
祭神 | 伊弉諾命 伊弉冉命 |
合祀 | 菊理媛命 |
社格等 | 旧無格社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | https://www.freedom.ne.jp/onokoro/ |
備考 | – |
参考文献
- 「下八太村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「自凝島神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
コメント
紅葉葵様
徳島・香川方面の神社巡りを計画しているうちに、こちらへ辿り着きました。非常多くの神社について丁寧に書かれていることに感動しました。
数日前から過去ログを順に拝見しているのですが、未だに全部読み切れていません。今後も拝読させていただきたく、楽しみにしておりますのでよろしくお願いします。
>きんごろう様
コメントありがとうございます。
多くの記事をお読みいただけているとのこと、大変嬉しく思います。
今後も引き続き更新して参りますので、ご参考いただければ幸いです。