名居神社(名張市下比奈知)

名居神社。

名張駅の東約3kmの場所に鎮座。

式内社 名居神社に比定される神社で、元伊勢隠市守宮に比定される神社の一つ。

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境内

社頭

 

一の鳥居

 

社号標

 

手水舎

 

手水鉢か井戸か

 

二の鳥居

 

狛犬

社殿

 

拝殿

 

扁額

 

本殿

本殿の右に屋根がちょこんと見えているのが、興玉神社のようです(玉垣内にあるので、普段は近づけませんが、撮ろうとすれば隙間から撮れたと思います)。

境内社

手水舎後ろの池の中に祠

 

石祠

 

皇大神宮遥拝所と橿原神宮遥拝所

 

境内の一角に山神碑が多数納められています

手前に鳥居。

 

神輿庫?

 

社務所・結婚式場

 

参籠所

由緒

延喜式内社 名居神社由緒碑

「日本書紀」によれば推古七年に大和地方が中心の大地震があって諸国に地震の神が祭られた伊賀では当名居神社がそれであろう

「ナイ」は地震の古語である

江戸時代は国津大明神と稱し比奈知川上流に散在する国津神社の惣社であった

祭神は

大己貴命(おおなむちのみこと)

少彦名命(すくなひこなのみこと)

天児屋根命(あめのこやねのみこと)

市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)

事代主命(ことしろぬしのみこと)

蛭子命(ひるこのみこと)

明治四十一年には興玉神社及び境内社七社を合祀している

例祭は現在では十一月三日である

 

名居神社について

名居神社は、名張市下比奈知にあります。延喜式内社といって、今から1,080年前に書かれた本(『延喜式』の神名帳)にのっている、とても古い神社の一つです。名張市内では、宇流冨志禰神社と名居神社だけです。

「名居(ない)」とは、「地震」の昔つかわれたことばです。

今からおよそ1,500年前に、伊賀に大地震があった時に、全国に地震の神がまつられました。伊賀では、下比奈知が選ばれて、「ない」の神社として建てられたそうです。田植え歌も残っています。今から50年前まで、田植えの時に、歌われていたそうです。

名居神社の秋祭りは、11月3日です。子どもみこしや獅子舞も見ることができます。また、1月6日から7日にかけて、「かぎひき」という行事があります。1月15日には、『どんどやき』がおこなわれます。正月かざりやかきぞめ・わら・古いお札などを神社のけいだいで焼きます。

創建時期は不詳。

後述祭神項の「地震の神」が当社の起源だとすれば、推古天皇7年(599)創祀とも考えられます。

当社については、近世以前の史料は失われており、延喜式神名帳に「伊賀国名張郡 名居神社」と見える以外、何らの記録も残っていません。

 

江戸時代に著された『三国地志』には「下比奈知村ニ坐ス今國津大明神ト稱スル是ナリ」とあり、この頃は国津大明神と称していたことがわかります。

江戸期の棟札には「国津大明神」「大己貴社」とあるようです。

比奈知川上流に散在する国津神社の惣社であったそうで、それらの国津神社は当社の分霊と考えられています。

当社が真に式内名居神社だったとして、いつ頃名居神社から国津大明神へと変わったのかは不明。

名居神社の名に復したのがいつかも不明ですが、おそらく明治維新後でしょう。

明治7年村社列格。

 

なお、幕末~明治前期の国学者・神職である御巫清直が、著書『太神宮本記帰正鈔』の中で当社を、『倭姫命世記』に見える巡幸地「隠市守宮(なばりいちもりのみや)」に比定しています。

よって、元伊勢の伝承地の一つと言えます。

 

当社祭神には主として2説があります。

  1. 名張臣祖大彦命説
  2. 地震の神説

 

1.は『伊賀考』、『神名帳考証』(出口延佳)、『神名帳考証』(伴信友)等に見える説。

名居をナヲリと読み、これをナハリの転訛として「名張の国神」を祀った神社と想定。

さらに新撰姓氏録左京皇別上に「名張臣、阿部朝臣同祖、大彦命之後也」とあることから、名張の国神=名張臣の祖神=大彦命とします。

しかし、名張臣は新撰姓氏録に見えるものの実態は不明、また、名居を「ナヲリ」と読んだ証左もないようです(神名帳の古写本はすべて「ナヰ」と訓じている)。

 

2.は『名張市史』に見える説。

日本書紀 推古天皇7年(599)4月1日条に「地震(なゐふ)りて舎屋悉に破たれぬ。即ち四方に令して、地震の神を祭らしむ」とある地震の神の一つが当社とする説です。

「なゐ」は、地を意味する古語「な」に「ゐ」(居)の加わったもので、大地を意味し、また転じて地震の意味でも用いられたようです(「地震」は「なゐふる」と訓じる、ふるは震動の意)。

この説に基づけば、当社は推古天皇7年(599)の創祀と見ることもできます。

『式内社調査報告』では名居神から国津神へ名称が変化した可能性を挙げ、なゐ神とは大地そのものを奉祀したとも言え、名居神が土地を守護する地祇=国津神と同意と解釈された結果、名称が変化していったのではないか、そして具体的な神名として、地祇系の大己貴命が祭神とされたのではないか、としています(現祭神は大己貴命)。

しかし、当社が推古天皇7年に祀られた地震の神の一つだとして、残り3つの地震の神はその後どうなったのでしょうね。

鉤引き唄

 

鉤引き唄

伊勢の銭金

大和の国の糸綿

加賀越前の麦米

比奈知の里に引き寄せよ

参って候 参って候

伊賀では、鍵引き神事という行事が盛んだそうです。

名張市のサイトに記載の情報によれば、「山の神が春になると里に下りてきて、田の神となるといういわれから、1月7日の早朝(一部では、宵鍵と呼び前日6日の夜)に山の神のところへ行き、主にウツギの枝で作った鍵を注連縄(しめなわ)等に引っ掛け、鍵引き歌を3回唄いながら鍵を引っ張り、豊作祈願、福を呼寄せる行事」とのこと。

 

 

上記の唄はその神事の際に歌われるようです。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

名張駅の南から名張川沿いに東へ。

県道691号を通って富貴ヶ丘の間を抜けると、古い住宅地に入ります。

比奈知郵便局の前を過ぎて150mほどのところ(位置)に名居神社の看板が立っており、ここから車で境内に入れます。狭い通路なので気を付けて。

境内に駐車可能です。

神社概要

社名名居神社(ないじんじゃ)
通称
旧称国津大明神
住所三重県名張市下比奈知2092
祭神大己貴命現祭神

名張臣祖大彦命

『伊賀考』

『神名帳考証』(出口延佳)

『神名帳考証』(伴信友)

地震の神

『名張市史』
配祀

少彦名命

天児屋根命

市杵嶋姫命

事代主命

蛭子命

社格等

式内社 伊賀国名張郡 名居神社

日本書紀 推古天皇七年四月辛酉(廿七) 地震神

元伊勢 隠市守宮 伝承地

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場境内駐車可
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「名居神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「名居神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第六巻 東海道1』皇學館大学出版部, 1990
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第六巻 伊勢・志摩・伊賀・紀伊』白水社, 1986
  • 三重県神職会編『三重県神社誌 第3』三重県神職会,1926(国会図書館デジタルコレクション 178-192コマ