松帆神社(淡路市久留麻)

松帆神社。

淡路市久留麻に鎮座。

社宝として名刀菊一文字を所蔵する神社。

境内

社号標

 

鳥居

 

鳥居手前に御旅所

 

神門

 

井戸?

 

参道の大神亀(贔屓)

 

注連柱

 

手水舎

 

狛犬

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

境内社等

宇治皇子社

 

高良社

 

松尾社

 

仁徳天皇社

 

天満宮社

 

疱瘡社・金刀比羅社・祖霊社

 

猿田彦社

 

宝物殿

 

松帆神社宝物 菊一文字

「菊一文字」は承元年間(鎌倉時代)に後鳥羽上皇院政の砌、全国より名刀工を召し出され、共に親しく鍛刀遊ばされた際の筆頭御番鍛冶備前福岡一文字則宗の作である。

刀姿に云うべからざる尊厳の気品を蔵し、その淬刀は杢目肌に大模様の肌交る丁字乱で、あたかも朝日に匂う八重桜のような荘重華麗な刀紋を有する点、世界に冠たる日本刀の真髓を発揮している。

昭和十年五月文部省より「貴重な菊御作で、拵(鞘・柄・鍔)も刀身に劣らぬ珍しいもので、共に重要美術品に認定する。」として国の重要美術品となっている。

(日本刀重要美術品全集第四巻第一頁所載)

 

菊一文字はこういう刀です(由緒板の画像)

 

懐古館

 

懐古館内の第70潜水艦引き揚げワイヤー

解説文

第70潜水艦はドイツより入手した設計図により、大正12年神戸川崎造船所で造られた当時最新式の潜水艦であったが、同年8月12日釜口小学校沖約5粁の地点で公式試運転中事故発生、約70米の海底に沈没、海軍関係者46名・川崎造船所関係技術者42名が尊い犠牲となり、当時一大センセーションを巻き起こした。この艦の事故慰霊や引き揚げに関して、海軍・造船所関係者をはじめ、全国から大勢の事故縁者、ジャーナリスト等連日押し寄せ、淡路島の静かな田舎町は、時ならぬ大混乱をみた。引き揚げは、水深が深く、潮流が速いため困難を極め、ワイヤーが切れるなど何度かの失敗の後やっと成功した。引き揚げに当って、当町の漁師多数が参加協力した。このワイヤーはその時引き上げに従事した漁師青年会有志が記念に奉納したものである。

 

懐古館内の古い扁額と絵馬

 

文政の絵馬と御鎮座六百年祭の絵

由緒

由緒板

松帆神社

建武中興の忠臣、楠木正成が湊川の戦で自刃の砌、家臣吉川弥六に日頃守護神と崇めていた八幡大神を託す。

弥六は仲間と共に淡路に逃れ来て小祠を建てこれを祀り、この地を楠木村と称した。(現在の楠本)

応永六年(一三九九年)八月に現在の地に奉遷し、八幡宮として創建されて以来、浦・仮屋・小田の氏神として崇められ、厄除八幡として信仰を集めている。

社宝は楠公遺愛の太刀と伝えられる「菊一文字」。この太刀は後鳥羽上皇が院政の砌、全国の名刀工を召し出され、共に親しく鍛刀遊ばされた際の筆頭御番鍛冶、備前福岡一文字則宗の作で「菊御作」の鑑定があり、その刀姿・刃紋の美しさもさることながら、その拵え(柄・鞘・鍔)も実に貴重なものであるとして、共に国の重要美術品に指定されている。

例祭は十月の第一日曜日で、その際一般公開される。

創建は延元元年(1336)頃。

楠木正成が湊川の戦いで敗北し自刃の際、家臣の吉川弥六に日頃守護神として崇めていた八幡大神の神璽に託し安住の地で奉祀するよう指示。

弥六が淡路に逃れ来て小祠を建て祀ったのが創祀。

なお淡路に逃れた際、仮眠していた弥六一行は兎に起こされ追手に気付き、山奥へと逃れたといい、その子孫は兎を八幡大神の厄除の使いと考え、その肉を食する事を禁じたと伝えられます。

当初の鎮座地には今も元八幡と呼ばれる小祠が残っています(下図)。

 

 

応永6年(1399)に現社地に遷座。

明治6年に村社列格。

明治14年、周囲の浜辺が「松帆の浦」と呼ばれていたことから「松帆神社」と改称。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

オリジナル御朱印帳もあり。

神社の公式サイトに画像が載っています(私は未拝受)。

アクセス

東浦ICを降り東に進み、国道28号に出る一つ手前の浦郵便局交差点で南へ。そのまま道なりに行くと神門前に出ます。

神門の手前、道路挟んだ辺りが駐車場。

神社概要

社名松帆神社(まつほじんじゃ)
旧称八幡宮
住所兵庫県淡路市久留麻256
祭神応神天皇
相殿

仲哀天皇

神宮皇后

社格等旧村社
御朱印あり
御朱印帳あり
駐車場あり
公式Webサイトhttp://matsuhojinjya.com/

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