國廳裏神社(倉吉市国分寺)

國廳裏神社。

倉吉市国分寺、伯耆国庁跡のそばに鎮座。

日本三代実録 貞観15年(873)4月5日己亥条にみえる國廳裏神、並びに伯耆国総社に比定される神社。

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境内

参道石段

 

一の鳥居

 

二の鳥居

 

扁額

 

社号標

 

神門

 

手水舎

 

境内

 

狛犬1

 

狛犬2

 

狛犬3

 

狛犬4

狛犬の組み合わせが上ので合っているかはわかりません。

 

社殿前の狛犬

社殿

拝殿

 

本殿

境内社等

大国主命の御尊像

 

大国主命の御尊像

当神社の主神、大国主命は中国地方を中心に善政を行い、鳥取県にも関係の深い神話白うさぎ八上姫等福徳円満な神様です。特に農作物 医薬 旅行(交通安全) 縁結び等の神です 今回石像を建立し、永久に祈念し平和を祈ります。

 

境内社の跡?

 

祓戸か境内社の跡か

 

神輿庫

 

御神輿

 

祠も多数収められています

 

 

何かの台座?

 

碑?

 

 

倉吉市保存林 伯耆国府の森

指定番号 27

指定年月日 昭和61年1月10日

主な樹種 コウヤマキ・マツ・トガ・モミ・アスナロ・シイ・タブノキ等

面積 121,748㎡

説明 国庁裏神社(総社)707年創建 伯耆国庁跡、伯耆国分寺跡、法華寺畑遺跡が周辺に存在する。

伯耆国庁跡

神社近くには伯耆国庁跡があるのですが…

雑草に覆われ何もわかりません。近くの国分寺跡や法華寺畑遺跡(国分尼寺跡)は整備されているようです。

 

史跡 伯耆国府跡 国庁跡

国指定史跡

昭和六十年五月十四日指定

平成十二年九月六日名称変更

倉吉市の西方に広がる丘陵地の東端に、国司が政務を司った国庁跡、それに関連する官衙(役所)である法華寺畑遺跡・不入岡遺跡、国の華ともいわれる国分寺跡が近接して所在します。国庁跡・法華寺畑遺跡は、平成12年に不入岡遺跡を加え、史跡『伯耆国府跡』と名称が変更されました。不入岡遺跡は前身国庁の可能性があります。

このあたりは、古代からの景観がよく保存されており、古代の地方行政のあり方を示す重要な地域です。

国庁跡は、東西273m・南北227mの規模で、儀式などをおこなう内郭(政庁域)と、実務をおこなう外郭(官衙域)からなり、東辺にはさらに東西51m・南北149mの張り出し部が設けられています。内郭には南門・前殿・正殿・後殿などを規則的に配置し、外郭には北側と西側で建物群(曹司)が確認されています。国庁跡は8世紀中頃に造営され、10世紀代まで存続したと考えられます。その間4期の変遷があり、Ⅲ期(9世紀中頃)には掘立柱建物から礎石建物へ建て替えられています。

由緒

由緒記

我が国古代大和時代伯耆国の国造に大八木足尼が地方官として中央より任命されました。国造は適地として国庁を八代(社)郷に設置したのであります。

伯耆とは久米、河村、八橋、会見、日野をいい、この管内の祭事と政治を掌っておりました。

国造は大国主命を深く崇敬し、又命に協力した少名毘古那命との二柱の神様を国庁の内に神社建てて祭り国庁裏神社と称しました。

奈良時代に元明天皇の和銅二年十一月に伯耆の国司、金上元為は事務が多くなり国中の各神社に巡拝することが出来なくなり国中の各神社を一社に集めて代表神社として祭典を行うこととしました。

この代表神社を総社といいました。世移り時変わり、昭和二十年二月に県社に昇格し現在に至っています。

創建時期は不詳。

由緒碑にあるように、初代伯耆(波伯)国造の大八木足尼によるものであれば、成務天皇の御代(131~190)の創建となります(先代旧事本紀の国造本紀にみえる波伯国造の記述から)。

 

由緒碑には、和銅2年(709)11月に当時の国司・金上元為が当社に国中の各神社を集め総社とした、とあります。

総社制度が確立したのは平安時代だとされますが、伯耆では他国に先駆けて存在していたのでしょうか。

 

三代実録 貞観15年(873)4月5日己亥条に「伯耆国無位国庁裏神…従五位下」とみえる国庁裏神は当社に比定されています。

 

平安期~近世までは惣社、あるいは惣社大明神と称され、中世末までは伯耆国造の系譜を引く石川家が祭祀を司っていたと伝わります。

 

明治に入り、國廳裏神社と改称、郷社に列格。

大正2年に以下の神社を合祀。

  • 国府神社(祭神:木花開耶姫命・保食神・大山祇命、社村大字国府字東前鎮座)
  • 垂井神社(祭神:玉依姫命・天児屋根命、社村大字大谷字飯野鎮座)
  • 清水神社(祭神:素盞嗚尊・稲田姫命、社村大字不入岡字宮ノ下鎮座)
  • 和田神社(祭神:誉田別尊、社村大字和田字野畑鎮座)
  • 横田神社(祭神:大国主命、社村大字横田字下屋敷鎮座)
  • 福光神社(祭神:素盞嗚尊・稲田姫命、社村大字福光字代田鎮座)

さらに大正4年、東谷神社(祭神:誉田別尊、社村大字黒見字宮ノ上鎮座)を合祀。

 

昭和20年、県社に昇格。

御朱印

御朱印はあります。

倉吉八幡宮で拝受可能。

 

アクセス

北条湯原道路(国道313号バイパス)の倉吉西ICを横田方面(右手)に下り、800mほど先(位置)で右折。

1.4kmほど先(位置)で右斜め後ろ方向に入り、1.2kmほど直進すると左手に国庁跡があります。

 

国庁跡の案内板付近

一応国庁裏神社の小さな看板が出ています。正面奥へと続く道を入ると駐車場があります(左手の道を行くと国分寺・国分尼寺跡へ、右手に降りていく道は下の集落にでます)。上記撮影位置の右手にも駐車スペースっぽいものはあり。

この付近はどの道も狭いので注意。

神社概要

社名國廳裏神社〔国庁裏神社〕(こくちょうりじんじゃ)
通称
旧称

惣社

惣社大明神

住所鳥取県倉吉市国分寺426
祭神

大己貴神

少名毘古那命

木花之開耶姫命

保食神

大山祇命

櫛稲田姫神

素盞嗚神

品陀和気命

玉依姫命

天児屋根命

社格等

日本三代実録 貞観十五年四月五日己亥 國廳裏神 従五位下

伯耆国総社

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「国庁裏神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「國庁裏神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 鳥取県神社誌編纂委員会編『新修鳥取県神社誌 因伯のみやしろ』鳥取県神社庁, 2012
  • 鳥取県神職会編『鳥取県神社誌』鳥取県神職会, 1935(国会図書館デジタルコレクション 183コマ
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 869コマ