河上神社。
洲本市五色町鮎原南谷に鎮座。
式内社 河上神社の論社。
境内
神社南の鮎原交差点に立つ案内看板
鳥居
扁額
神門
河上神社の社号標
天満宮の社号標
しんばし(神橋?)
延喜式内社の標
手水舎
鳥居
扁額
鳥居左右に牛
狛犬
社殿
拝殿
扁額
本殿は木に覆われてよく見えず
境内社等
社殿周囲
社殿前の御神木(いぶき)
御神木碑
この木俗に「いぶき」の木と言う 曽て菅公太宰府に御下向の途 此の地に御寄遊ありし際御自ら植え給うと伝う 享保二年拝殿に修理を加えんと阿波太守より普請奉行を差遣わされし折この木屋根に生い掛りたれば奉行具申してこの神木を伐り除かんと決して旅宿に引き取りたり。然るに翌日に到り見れば木自ら起きて一メートル屋根より離れたり 何れも驚き神慮を尊み合えりと言ふ
其の後元久三年火災に罹り全く燒失せんとせしも再び芽を吹き出し以来繁茂して正しく「息吹」の名に相應しく御神霊の御愛樹と尊み敬いしこと厚しここに此の御神木の由来を記して後世に伝う
種名 イブキ
樹高16.5m、胸高間3.34m、根廻り3.55m、枝張り東西7.5m、南北9.5m、推定樹齢約500年。イブキは本州、四国、九州の海岸地方に自生し、広く植栽されている。本樹は神社の境内地にあり、根の廻りを鉄栅で囲んでいる。主幹は本殿側に斜向し、1本の枝は垂下し、他の1本は表皮がはがれ白骨化しているが、樹幹及び葉は健全である。河上神社のイブキは独立樹であるが周辺には良好な林が形成されている。又、境内地正面外側には、小川があり安定した水量が流れている。
紅梅殿と老松殿
境内社2社
戸隠神社と下諏訪神社
熊野神社(熊野十二社神)
右から第一第二、第三第四、第五第六、第七第八、第九第十・第十一第十二合殿の6つの祠が並んでいます。
上諏訪神社
境内社
社名の掲示がありませんでしたが、玄松子の記憶さんによると玉生社のようです。
裏山
社殿脇から裏山に登っていくと小祠があります。
境内社
鞍馬神社
何かを祀った石か、石碑か、それとも特にいわれはないのか…
御旅所・八幡神社
境内右手の道を登っていくと御旅所と八幡神社があります。
八幡神社は旧無格社です(現在は河上神社の兼務社、『式内社調査報告』では摂社とする)。
御旅所
八幡神社の手水鉢
八幡神社狛犬
八幡神社拝殿
社前が急斜面で柵があり、正面からは撮れません。
扁額
八幡神社本殿
本殿左右に境内社。左:住吉神社、右:高良神社
鳥居の残骸か
由緒
本社 河上神社
河上大神
古昔より天神と称し最も高き貴き天津神といわれまた高龗神とも伝えられ地方に恵みをもたらす万物育成の神・水を司る(甘雨を降らし霖雨を止める)神として崇められている。
相殿 天満宮
菅原大神
配祀
中将殿(菅公の第一の御子高視朝臣)
吉祥女(菅公の御北方島田氏宣来子)
贈正一位太政大臣菅原道真朝臣をお祀りしてあり天満天神と称され知徳を進める学問の神として広く崇敬されている。
由緒
本社河上神社は創立年月不詳であるが延喜式神名帳に『淡路国津名郡河上神社』とあり古くは国幣にあずかり崇拝されてきた神社である。
相殿の天満宮は延喜元年(九〇一)菅原道真公が筑紫に下向される途上播磨灘で強い北風にあい船を都志浦に寄せられ「川上に貴き霊神あり」と聞かれて当河上神社にお参りし祈念されたという。
その由縁をもって菅公が太宰府に於いて薨ぜられた後里人たち敬慕して此所に菅廟を営みお祀り申し上げ以来淡路唯一の天満宮として崇められている。
創建時期は不詳。
『味地草』は延長年中(923~31)鎮座とするものの、それ以前の延喜元年(901)に菅公が参拝したという伝承もあります。
延喜式神名帳の「淡路国津名郡 河上神社」を当社とする説があります(一説には、明治初年頃に当社神官が淡路市斗ノ内の河上神社から勧請したとも。『神道及神道史』第17号収録、「複式神社としての河上神社」にある説という。『式内社調査報告』の記述にあるもので原典未確認)。
裏山や御旅所への道などから平安時代の祭器の破片が出土しています。
当地は鎌倉時代には京都の吉祥院・北野社の荘園、鮎原庄で、菅公はこの頃に祀られたとみられます。
旧来の祭神は都志川にちなんだ水神ではないかとみられており、明治になってから河上大神が祭神とされましたが、残る伝承は菅公に関するものがほとんどだそう。
かつて社殿は巳午(南南東)向きでしたが、それが蜂須賀家住居の方向だったことから万治元年(1658)に午未(南南西)向きに変えられたと伝わります。
蜂須賀家からは崇敬を受け、社殿造営や修繕は藩費でなされたとのこと。
明治6年郷社列格。
明治21年に祭神を河上大神と定め、同26年に社号を河上天満宮から河上神社へ改称。
明治27年県社昇格。
『日本の神々』によると田処地区(当社北東の鮎原田処か)に奥宮祠があり、中には高さ約1メートル、幅80センチ、厚さ約30センチの女根石が祀られ、そばには男根石も祀られているそうです。酒興で男根石を持ち上げた若者が祟られ震えが止まらなくなったとも。
ただ、『式内社調査報告』は裏山八幡宮(御旅所横の八幡宮を指すか)を奥宮と記しています。
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。
私の参拝時は宮司さんご不在だったため頂けず。事前連絡をするのが確実かと思います。
アクセス
淡路島中央スマートICを洲本市街・五色方面に降りて県道46号に合流し、北西方向へ。
46号を道なりに6kmほど行くと右手に神社。
Googleストリートビューで見ると、神社のすぐ南、県道沿いに駐車場があり看板も出ているのですが(位置)、参拝時(2019/9)は封鎖され、看板も撤去されたのかありませんでした。
一応境内に駐車は可能です。境内東側、延長寺との間の道(位置)から入れます。
西側からだと道が狭い上に延長寺前で直角に曲がるため、車体が大きいときついかも。
東側(小学校前の道)から入った方が楽だと思います。
神社概要
社名 | 河上神社(かわかみじんじゃ) | |
---|---|---|
通称 | 河上神社天満宮 | |
旧称 | 鮎原天満宮 鮎原天神 天神社 | |
住所 | 兵庫県洲本市五色町鮎原南谷562 | |
祭神 | 河上大神(高龗神) | 現祭神 |
與止姫神 | 『特選神名牒』 『神祇志料』 | |
東中將殿 中菅亟相 西吉祥女 | 『淡州神社考』 | |
相殿 | 菅原大神 | |
配祀 | 中将殿 吉祥女 | |
社格等 | 式内社 淡路国津名郡 河上神社 旧県社 | |
札所等 | – | |
御朱印 | あり | |
御朱印帳 | – | |
駐車場 | あり(?) | |
公式Webサイト | – | |
備考 | 奥宮は田処地区の祠、もしくは裏山八幡宮 |
参考文献
- 「鮎原河上天満宮」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「河上神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第三巻 摂津・河内・和泉・淡路』白水社, 1984
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 上巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 320-321コマ)