川原宮謁磐神社。
豊田市御蔵町(旧足助町御蔵)に鎮座。
式内社 謁播神社の後継社。
境内
社号標
参道
社号標
鳥居
手水舎
狛犬
社殿
拝殿
本殿
扁額
境内社等
熊野神社
八幡神社・幸之神社
本殿下に三社
神社裏手の山頂に天狗岩という巨岩があるそうです
およそ2kmの道のりだとか。参拝が夕方だったので、登っていません。
由緒
創建時期は不詳。
社伝によれば、当地には元々白鳥大明神(河原の宮)が祀られていたそうです。
明徳5年(1394)に、阿知和村の謁播神社が戦乱により焼失。
神主安藤氏は神体を供奉して当地に逃れ、白鳥大明神の相殿に祀ったとのこと。
これに基づけば、当社は延喜式神名帳にみえる「三河国額田郡 謁播神社」の後継社ということになります。
宝暦13年(1763)現在地に遷座(旧地は不明ですが、白鳥大明神の鎮座地は御蔵字粟下シとあるので、そう大きくは動いていないと思われる)。
明治6年、謁磐大明神と改称。
昭和13年、川原宮謁磐神社に改称。
現祭神は謁播神社の祭神(謁磐春日大明神)が主神、白鳥大明神の祭神が合祀神となっています。
『日本歴史地名大系』は「川原宮祭神は小碓命、謁磐神社祭神は神饒速日命・千速見命の二柱」としています。川原宮祭神は小碓命=倭男具那命ですから相違ないのですが、謁磐神社祭神が異なっています。
現祭神の千波夜命(知波夜命)は、先代旧事本紀によれば饒速日命の三世孫である出雲色大臣命の五世孫とされ、成務天皇の御代に三河国造に任じられたとされます。
千速見命は、新撰姓氏録によれば饒速日命の十二世孫で、長谷部造の祖とされます。
別人(神)ととれますが、名前が似ているので混同されたのでしょうか。
天璽瑞宝さんでは、同氏族で名前が類似という点から、同一人物から世代数などの点で異伝が生じたものかもしれないと述べられています。
『日本歴史地名大系』が何の資料を元に祭神を記したのかわからないので、当社の祭神についてどうであるのかはなんとも言えないのですが…
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
豊田市街地から矢作川沿いを遡上します。左岸の県道355号は険道なので、右岸の県道11号がおすすめ。
しばらく川沿いを走り、豊田市下川口町の下川口交差点(位置)で右折。
5km程行くと右手に参道入口があります(位置)。
駐車場はありませんが、鳥居前の道が割と広めなのでそこに置くか、あるいは境内まで車で入ることもできます。
神社概要
社名 | 川原宮謁磐神社(かわはらのみやあちはじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 白鳥大明神 |
住所 | 愛知県豊田市御蔵町粟下シ2 |
祭神 | 大木食命 千波夜命 建御賀豆智命 伊波比主命 天之子八根命 大比売之命 |
合祀 | 倭男具那命 若帯日子命 大帯日古淤斯呂和気命 |
社格等 | 式内社 三河国額田郡 謁播神社 日本文徳天皇実録 仁寿元年十月乙巳(七) 謁磐神 従五位下 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「御蔵村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「川原宮・謁盤神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 愛知県神社庁編『愛知県神社名鑑』愛知県神社庁, 1992
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第九巻 東海道4』皇學館大学出版部, 1988