糟目春日神社(豊田市渡刈町北田)

糟目春日神社。

豊田市渡刈町北田、豊田東ICの西側に鎮座。

式内社 糟目神社の論社。

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境内

社頭の橋(境内側から)

 

社号標

 

石段

 

鳥居

 

手水舎

 

狛犬

 

脇参道鳥居

 

境内

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

 

幣殿(多分…)

境内社等

左から山神社、秋葉社、津島社

 

神楽殿

 

末野原聖蹟碑

持統上皇行幸の伝承に基づく碑で、裏面にはその由来と「梓弓陶の原野に鳥狩する君が弓弦の絶えむと思へや」の歌が刻まれているようです。

 

夫婦の樹

 

旧社殿

由緒

ようこそ糟目春日神社へ

延喜式内社 旧郷社

祭神:天宇受賣命(あめのうずめのみこと)

  :彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)

  :素盞嗚尊(すさのおのみこと)

  :火産霊命(ほむすびのみこと)

末社 津島社 素盞嗚尊(すさのおのみこと)

   秋葉社 迦具土神(かぐつちのかみ)

   山神社 大山祇神(おおやまつみのかみ)

鎮座地:渡刈町北田62番地の4

●糟目春日神社由緒

大宝2年(701)持統上皇三河国に行幸の折り当地にて鷹狩をされました。よって奉祀されたのが始まりとされ、1300年余と大変由緒があります。又、この地を鳥狩・鳥捕・都賀利・戸苅といい、今日渡刈と書くようになりました。第60代醍醐天皇の御代に「延喜式」に載せられ、また「文徳実録」に正4位糟目神社とあり、糟目大明神又は塩指大明神といわれ、矢作川上流西方大原野をカスメ郷末野ヶ原と称し、三河の海の満潮時には潮指し来たりともいわれました。明治2年神祇官より延喜式内社に確定される。

明治5年7月旧額田県より「春日」の文字を加称して同年9月郷社に確定され、同39年4月供進神社に指定される。大正2年無格社熊野社を合祀、現在地へ神社を移転することになりました。同3年10月5日神殿八棟を新規築造し奉斎しました。昭和52年10月拝殿雨覆い・渡りを改築竣工されました。

 

祭祀殿竣工記念碑 七級社糟目春日神社

鎮座地 豊田市渡刈町北田六二番地の四

祭神 天宇受賣命 彦火火出見尊 素戔嗚尊

由緒

一、大宝ニ年持統上皇三河国に行幸当地に御駐蹕の砌り鷹狩りし給うよってこの地を鳥狩鳥捕都賀利戸苅と言い今日渡刈と書くに至れり当時すでに糟目神社を祀れり

一、第六十代醍醐天皇の御代に延喜式に載せられ文徳実録に従五位下糟目神社とあり勝女大明神又は塩指大明神と云はれ矢作川上流西方一大原野をカスメ郷末野ヶ原と称し三河の海の満潮時には潮指し来たれりと伝う

一、明治ニ年神祇官より延喜式内社に確定される

一、明治五年七月旧額田県より「春日」の文字を加称して同年九月郷社に確定される

一、明治三十九年四月供進神社に指定される

一、大正二年無格社熊野社合祀現在地を拡大整備せり

一、大正三年十月五日神殿八棟を新規築造奉斎せり

一、昭和五十二年十月幣殿祭祀殿渡り殿を再建し崇敬の誠を顕し以って之を後世に伝う

末社 津島社 素戔嗚命 秋葉社 火産霊命 山ノ神 大山祇神

創建時期は不詳。

大宝2年(702)10月、持統上皇が三河国に行幸の際、当地で鷹狩をしたため、鳥狩・鳥捕・都賀利・戸苅の地名が生まれたと伝わりますが(現在は渡刈)、その時点で既に当社は祀られていたといいます(ただし境内由緒書の一つは鷹狩の際に奉祀されたとする)。

 

かつては大明神橋(たぶんこの橋)辺りの渡刈町字大明神12番地に鎮座していたとされます。そこには「糟目春日神社之跡地」の碑が建っています。

 

 

ただ、その地は天明年中(1781~89)に遷座された場所で、それ以前はさらに20間(約36m)東にあったといいます。当社は川の氾濫により、古代から社殿流失が何度もあったようで、創建当初の鎮座地がどこであるのかは不明。

 

社名の由来について、『式内社の研究』は「糟目の語源は河岸間であろう。間はある地域を指す語である。狭間」としています。

かつては塩指大明神とも称しており、三河湾の満潮時にはこの辺りまで塩が満ちてきたことから付いた名とのこと。

 

日本文徳天皇実録 仁寿元年(851)10月乙巳(7日)条にみえる「進参河国…糟目…等十一神。並授従五位下」の糟目神、延喜式神名帳にみえる「三河国碧海郡 糟目神社」を当社にあてる説があります。

『三河国内神名帳』にみえる「正四位下 糟目明神」についても同様。

 

当社が糟目神社に比定された根拠として、『参河国官社考集説』に引用される『渡刈村ノ神主神谷仙太夫の説』の以下の内容があります。

「此社古クハ今ノ社地ヨリ廿間許東川岸ニアリ、然ルヲ洪水ニテ社鳥居等マテ押流サレタル故、天明年中今ノ社地ヘ遷シ座セリ(古城ノ跡ナリ)、古ノ社地ニハ神池アリテ、古ハコレマデ汐サシタルニ依テ俗ニ鹽指大明神ト称ス、其所東ハ額田郡北ハ加茂郡西南ハ碧海郡ニテ、此辺凡八百間ガ間ノ地名ヲ糟目ト称ス、俗ニハカスモトモ唱フ、往古ハ渡刈ノ人家モカスモノ地ニ在テ産土神ナリシヲ、人家ヲ今ノ村地ニ移シ、其所ニモ鹿島社ヲ勧請シテ、今ハ両産土神ナリ、サレド社殿モカスモノ地ニアリ、又棟札ハ先年流失ノ後、先規ノ形ニ書記シタルニテ年号月日モナシトイヘリ」

塩指大明神の近辺を「糟目」「カスモ」と称したことからの比定のようです。

 

明治2~3年頃、渡刈村は独自に官による調査を行い、式内社の認定を受けます。

明治5年、額田県の命により「春日」の二字を加え「糟目春日神社」と改称、同年9月郷社列格。

この改称は、宮地村の犬頭社(現・糟目犬頭神社)が糟目神社であると官に具申したため論争となり、それぞれ社名に春日・犬頭を加えるよう県に命じられたため、だそうです。

 

大正2年無格社熊野社(渡刈町字北田61)を合祀。

翌3年現在地(元は熊野社の社地であったか)へ遷座。

 

現祭神は天宇受売命で、彦火火出見命、素盞男命、天照大神を配祀。

『式内社調査報告』は彦火火出見尊、天宇受売命、素盞男命としており、『愛知県神社名鑑』や境内由緒書はこの三柱に加え火産霊命を挙げています。

 

『明治神社誌料』『碧海郡誌』が天宇受売命、彦火火出見尊を祭神として挙げていますが、その論拠は不詳。

『神社覈録』『特選神名牒』は祭神不詳とします。

『神名帳考証』は鹿葦津姫命とします。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

ただし社務所の開いている時間は、土日の午前9~12時のみです。

アクセス

豊田東ICを瀬戸・豊田市街方面(右手)に下ります。国道248号に入るとすぐに車線が左右に分かれますので右車線へ。そのまま進むとすぐに鴛鴨町長根交差点(位置)があるのでここを右手に。

600mほど先の渡刈町下大新田交差点(位置)を南へ。

その先300m弱のところ(位置)から、左手の境内前広場に入ることができます。

この広場が駐車場(公園でもあるので、人に注意)。

神社概要

社名糟目春日神社(かすめかすがじんじゃ)
通称
旧称

塩指大明神

勝女大明神

糟目大明神

住所愛知県豊田市渡刈町北田62-4
祭神天宇受売命現祭神

鹿葦津姫命

『神名帳考証』
配祀

彦火火出見命

素盞男命

天照大神

社格等

式内社 三河国碧海郡 糟目神社

日本文徳天皇実録 仁寿元年十月乙巳(七) 糟目神 従五位下

旧郷社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイトhttp://www.kasumekasuga.com/
備考旧地は大明神橋付近の渡刈町字大明神12番地

参考文献

  • 「糟目春日神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「糟目春日神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 愛知県神社庁編『愛知県神社名鑑』愛知県神社庁, 1992
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第九巻 東海道4』皇學館大学出版部, 1988
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 上巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 835コマ