空素沼神社。
高清水公園の一角にある、空素沼の南岸高所に鎮座。
日本三代実録 貞観7年(865)2月27日己卯条に見える高泉神の論社。
境内
道路沿いに立つ鳥居(位置)
護国神社参道口の50mほど南です。神社まではここから700m以上あります。神社へは、鳥居右手の道を奥へ進みます。
社号標
手水鉢
しばらく行くと鳥居があります
神社はこの先。
途中から未舗装になります(これは神社側から撮ってます)
鳥居
鳥居
鳥居…と3つ並んでいます
社号標
手水鉢
境内左手に道があり、途中に注連縄が張られた場所があります
『日本歴史地名大系』によれば、神社向かって左手の松林の中に空素沼古墳と称する中世の墳墓があるそうで、もしかするとこの奥なのかもしれません。
なおこの境内左手の道を進むと舗装された道に出ます。そこから右手に行くと秋田城跡外郭東門に行き当たります。
秋田城跡外郭東門
門の近くにある古代沼
社殿
拝殿
扁額
本殿
空素沼
社殿右手の道を進むと、石碑が並ぶ場所があります。
三山
唐天竺空素沼大神三社神
紫姫大神
受持之命
天神之命
村岡天神大墅大神三社神
南無妙法蓮華経
南無空素沼龍神
南無天満宮天神
碑の横にあるのは祠?塚?
近くには小野小町塚と彫られた石碑も立っています
小野小町との空素沼の関連は不明…
さらに先に進み、階段を降りていくと空素沼の畔に出ます。
空素沼
水源は地下水と考えられています。底なし沼とされたり(実際の水深は5mほどらしい)、心霊スポット扱いされたりもするそうです。昼間行ったせいもありますが、そこまで暗い雰囲気のところでもないんですが。住宅地のすぐそばですし。
階段は沼の中へ続いています
空素沼では、釣りをする人もいるそうです。昔は泳いだ人もいたんだとか…
由緒
当地は元々狼沢(おいぬさわ)と呼ばれ、小沢と田地がありました。
元禄元年(1988)7月23日、一夜にして大沼になったとされます。
空素沼に関わる伝説はいくつかあります。
田畑を耕していた男が沢の奥で大蛇を見つけ、大蛇のはきつけた毒が原因で男は三年後に亡くなります。
その後ある村人の枕元に老人が立ち、「私は沼の主である。狼沢の田畑の場所をしばらく借りることになった」と告げ、一夜にして空素沼ができたとか。
他にも空素沼ができたと同時に、近隣の烏ヶ池が小さくなったとか(烏ヶ池は護国神社の北にある池でしょうか。推測ですが)。
実際のところ、飛び砂で沢が堰き止められてできたのではないかと推測されており、一夜でできたというのは、あまり人が訪れない場所だったために人の目に触れないうちに形成されたことからくる伝承ではないかともされます。
空素沼の由来は烏が羽を広げたように見えるからとも、行った人は戻ってこない「帰らずの沢」から転訛したとも。
神社としての創建は、藩主佐竹義和公の頃(藩主在任期間1785~1815)。大旱魃が起こったため、補陀寺の徳善、赤田の是山、天徳寺の義産に雨乞をさせたところ霊験があり、祠を建立し龍神を祀ったのがはじまりとされます。
しかし、狼沢は大神沢で、天然神が祀られていたとし、日本三代実録 貞観7年(865)2月27日己卯条に「出羽国正六位上…高泉神…従五位下」とみえる高泉神を当社に比定する説もあります。
御朱印
御朱印の有無は不明。
たぶんなさそう。
アクセス
直接神社まで車で行く場合は古四王神社参道のすぐ北(位置)から北東に入ります。
そのまま600mほど道なりに行くと左手に鳥居があります(位置)。鳥居を潜り直進すると神社前に。
参道脇に車を数台置ける程度のスペースはあります
あるいは秋田城跡の駐車場に停め、秋田城跡や護国神社と合わせて回るのもよいかと思います。
神社概要
社名 | 空素沼神社(からすぬまじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 秋田県秋田市寺内高野2-17 |
祭神 | 高龗神 |
社格等 | 日本三代実録 貞観七年二月廿七日己卯 高泉神 従五位下 旧無格社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「空素沼」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「空素沼神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995