神田神社。
大津市真野に鎮座。
式内社 神田神社の論社。
境内
社頭
鳥居
扁額
社号標
灯籠の立ち並ぶ参道
手水舎
駐車場入口近くに置かれた鳥居の笠木
ここに置かれているのは笠木(かさぎ)と呼ばれる鳥居の上部です
本来は手が届かない笠木に触れ心願成就をお祈りください
二の鳥居
狛犬
社殿
拝殿
本殿
拝殿、本殿とも2021年より改築が行われており、2022年8月に完成の予定だそうです。御神体は神宮寺に仮遷座中。
境内社等
本殿向かって右手に二の宮
こちらも拝殿本殿と同じく2021年時点では改築作業中とのこと。
拝殿向かって右手に魔除けの斎庭
7月2日に行われる半夏生祭の湯立神事や1月17日の火祭り「幸在祭」に大太鼓が打ち鳴らされるなど、「除災招福」「五穀豊穣」が祈られるところです。
その右手に結びの木
社殿左手前に絵馬堂
榊みこし奉安所
「五月五日に行われる古式祭(「こま」の行事)の「榊みこし」奉安所」
御幣に榊を括り付けて立てており、この榊をみこしと呼ぶようです。
小宮
左から都久夫須磨神社、西浦神社、客人宮、園神社、八幡宮、回暦春神社、稲荷神社。
鬼瓦
神社の建物を守るために取り付けられた大変古いかわらで、瓦の側面に「享保」の年号の書き込みがあり、江戸時代中期(およそ三〇〇年前)に制作されたことがわかります。
生産地は近江八幡(八幡瓦)であることも記されています。
ご参拝の皆様の「災い除け・厄除け」になることを願ってお飾りしています。
八幡宮碑
この碑は「八幡さま」として真野沢地区の「神保組」という組織により真野四丁目上野の地に祀られ、毎年九月十五日に「八幡さまのおまつり」が昔ながらにとり行われていました。
記録によれば嘉永元年(一八四八年)にはすでにその存在が確認されています。
護持運営してきた「神保組」も長い年月を経て解散のやむなきに至り、御縁深い神田神社の神域に移設致しました。
宝塔
案内は出ておらず詳細不明ですが、考察を書かれているブログがありました。
神饌所
神宮寺(不動尊)
当社境内には不動明王を祀るお堂・神宮寺があり、神仏習合の面影を残しています。神楽殿とも呼ばれるようですが、実際に神楽殿として使用されるのかは不明。
『式内社調査報告』には「祭礼をとりおこなう四つの字が講社を作ってこれを管理」とあります(昭和末期の記述なので、現状は不明)。
神宮寺
扁額
不動明王像
由緒
一、御社名 | 神田神社(みとしろのかみのやしろとも云う) |
一、御社格 | 延喜式内社(旧滋賀郡八座の一)・旧県社 |
一、御祭神 | 主神 彦国葺命 相殿 天足彦国押人命 二の宮(社名は別に棋神社とも称する) 孝昭天皇(第五代) 須佐之男命 |
一、御創建 | 嵯峨天皇・弘仁二年四月(八一一年) |
一、御例祭 | 春の大祭(古式祭) 五月五日 秋の大祭 十月五日 |
一、御由来 | 当神社は延喜式神名帳という書物に載せられている旧滋賀郡にあった八社の中の一社で、第五代孝昭天皇をはじめその皇子、天足彦国押人命とその三世の孫、彦国葺命あわせて須佐之男命をお祀りするお社です。 彦国葺命は真野の遠祖で、その子孫が真野の入江の汀、神田(みとしろ)の地に神殿を建ててお祀りしたのが始まりで地名により神田神社と申し上げます。彦国葺命は崇神天皇の十年(西暦紀元前八七年)命により武埴安彦が率いる賊軍を討ち鎮められた知勇・学才誠に優れたお方であり今日 厄除・災除・勝運の神と仰がれております。 二の宮(八坂神社、天王社とも称されていた)にお祀りされた須佐之男命は天照大神の弟神であり病除けの神として古くから信仰されています。 |
一、真野 | 「まの」と訓み、大変古くから開けた神気ただよう素晴らしい土地の意であります。万葉集をはじめ種々の和歌集に真野を詠んだ和歌が数多く見られるのも歴史上大事なところ由緒のある土地柄、であることがうかがえます。 近江路や 真野の浜辺に 駒とめて 比良の高嶺の 花を見るかな 源頼政(平安後期) |
社伝によれば創建は弘仁2年(811)。
彦国葺命の裔孫和珥臣鳥務大肆忍勝が部下を率いて真野の地に居住、持統天皇4年(690)に真野臣の氏姓を授けられ、その子孫が弘仁2年、真野の入江の渚に近い神田(みとしろ)の地に遠祖を祀ったとされます。
当社北には曼荼羅山古墳群、南には春日山古墳群があります。この辺りの古墳は和邇氏やそれに連なる諸氏族(真野氏もその一つ)の墓域とみられているようです。
延喜式神名帳にみえる「近江国滋賀郡 神田神社」の論社とされています。
当社と1kmも離れていない場所(真野普門)にもう一つの論社・神田神社がありますが、『式内社調査報告』は「双方をもって式内神田神社の宗教構成はなり立っていたものと考えたい」としています。
当社を下社、真野普門の社を上社とする見方もあるようです(「下の神田神社」「上の神田神社」という呼び方もあるらしい)。
その後の由緒は不詳ですが、水害に遭い、浜寄りの字下河原(=神田の地?)から現地に遷されました。
1月17日に行われる「さんやれ祭(幸在祭、十七夜とも)」という祭礼は、この遷座を再現したものといわれています。浄国寺(位置)門前から松明を持った行列が「サンヤレ、サンヤレ」と連呼しつつ神社まで練り歩くという流れだそうです。
浄国寺の少し北(この辺)に真野の入江跡碑が建っているので、その辺りが旧地なのかもしれません。
明治34年県社列格。
5月5日に「稚児祭」という変わった祭りが行われます。
祭りには6人の「駒(こま、12、3歳の少年)」と2人の「稚児(ちご、1、2歳の幼児)」が選ばれます。駒は境内左手の道を走って、裏手斎場の供物台まで用意された御供などを運ぶのですが、それらを地面や石垣に叩きつけたり、鞭で叩いたり、供物台をひっくり返したりと大暴れします(大人はこれを咎めたりできない)。
駒が暴れるほどその年は豊年だとされ、田植え前の豊作祈願際だとされます。
祭神は彦国葺命と天足彦国押人命の二柱。
彦国葺命は天足彦国押人命の三世孫か四世孫。崇神天皇10年に、反乱を起こした武埴安彦命を討ったとされる人物。
天足彦国押人命は和珥氏等諸氏族の祖。なので二柱とも真野氏の祖神にあたります。
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。
アクセス
湖西道路を真野ICで降りて国道477号を東へ。500mほど先の真野普門交差点(位置)で一本北に道に入りそのまま東へ進むと神社。
あるいは守山方面から国道477号で琵琶湖大橋を渡り、真野川を渡ったところの交差点(位置)で右折、次の交差点を左折すればすぐに神社。
境内南側に駐車場入口あり。
神社概要
社名 | 神田神社(かんだじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 滋賀県大津市真野4-7-2 |
祭神 | 彦国葺命 天足彦国押人命 |
社格等 | 式内社 近江国滋賀郡 神田神社 旧県社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | http://www7b.biglobe.ne.jp/~kanda-jinja/ |
備考 | かつては現在地よりも浜寄りの小字下河原に鎮座 |
参考文献
- 「真野中村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「神田神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十二巻 東山道1』皇學館大学出版部, 1981
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第五巻 山城・近江』白水社, 1986
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 72コマ)