重蔵神社。
輪島市河井町に鎮座。
式内社 鳳至比古神社ならびに邊津比咩神社の論社。
境内
社頭
平成19年の能登半島地震により倒壊した鳥居
2019年に新しい鳥居が建てられたそうなので、いずれ見に行きたいところ。
社号標
狛犬
かすれて読めなくなった由緒書
石橋
手水舎
狛犬
西側参道の社号標
どうもこちら側が表参道らしい?
西側参道の狛犬
西側参道の手水舎
社殿
拝殿
本殿
旧本殿(永仁4年建立)は明治43年に焼失し、こちらはその後再建されたもの。
ただ、本殿内陣の扉(応永4年に朱塗りが施されたもの)は、火災後なぜか輪島湾の海中に漂っているのが発見され、再建された本殿にも使用されているとのこと。
社殿周りのどこか(忘れました…)の狛犬
阿形は上手く撮れない位置にいました。
こちらは確か本殿前の狛犬
やはり阿形がちゃんと撮れない位置にいました。
境内社等
金比羅社
金比羅社の狛犬
秋葉社
白山社
子安社
稲荷神社
稲荷神社狛犬
たぬき天神
「他抜」天神と書くそうです。ネットでは案内板が普通に「天満宮」となっている写真も見受けられます。近年になって通称を正式名にした、とかでしょうか。
横にはたぬきがいました
由来不明の鬼瓦
要石
要石とは地中にいる大魚(マグマ)を貫いてその動揺によって起る地震を防ぐ伝説から要石の信仰とされている
井戸?
由緒
主祭神
天冬衣命
出雲から来臨して能登半島を平定したといわれる大国主命の父神です。
大国主命
因幡の白兎を助けた心の優しい神様であり、縁結びの神様として有名です。
御由緒
遠く崇神天皇の時代に創建されたと伝えられています。
天平勝宝八年(756年)五月、泰澄により寺院が建立され以後、神仏習合の社として重蔵権現・十蔵大権現・重蔵宮とも称さられ、堂塔伽藍が建ち並んでいました。領主や衆庶から崇敬され、中世には地頭の長谷部氏をはじめ、温井氏(畠山氏家臣)による社殿の造営などが行われてきました。
天正十年(1582年)能登に入国した加賀藩祖前田利家が武具と柱松明木を奉献、以後明治維新に至るまで前田家による松明木の奉献は恒例となりました。
明治五年(1872年)に郷社となり、同三十九年に神饌幣帛料供進社となりました。本殿は同三十九年に特別保護建造物に指定されましたが、同四十三年の大火で炎上。その後、本殿は旧に基づいて再建され、大正七年(1918年)県社に昇格しました。
古く海人(あま)族の守り神といわれ、しだいに輪島塗の神様と朝市の神様として信仰を集め、千有余年の由緒ある神社として輪島全体の鎮守の神様をおまつりしています。
春祭:4月5日~6日 大祭:8月23日~24日
社伝によれば創建は崇神天皇の御宇、大彦命によるものとされます。
天平勝宝8年(756)、泰澄が境内に寺院を建立し、以降は神仏習合の社として重蔵権現・十蔵大権現・重蔵宮などと称され、伽藍が建ち並んでいたようです。どうも寺院は天正期に焼かれたようです(『能登名跡志』は「社人社僧多くありて、神林寺・西園寺・仏体寺・観音寺とてありしに、天正の頃石動山衆徒と与せしにより、利家公不残四ヶ寺共に焼払ひ給ふより」、『式内社調査報告』は「天正年中兵災により寺院廃絶せるを以て」とする。ただし式内社調査報告の方は「当社の社伝を『石川県之研究第二神社編』『石川県鳳至郡誌』などによって整理すれば次の如く」として述べており、この部分の出典は正確には不明)。
明治の明細帳・昭和の明細書によると、社記等に以下のような記録があるといいます。
延喜6年(906)、醍醐天皇が神鏡を奉納。
養和元年(1181)、長谷部信連が祈願所に定め、銅瓶武具奉献、例祭に柱松明木を献することを制定。
永仁4年(1296)、長谷部有連が本殿建立。
応永2年(1395)、本殿修理遷座祭を執行。
応仁3年(1496)、大明神号を許され重倉大明神と称。
文明8年(1476)、温井俊宗が講堂建立。
大永4年(1524)、温井孝宗が拝殿建立。
享禄4年81531)、神輿再建。
天正10年(1582)、前田利家が武具を奉献、また例祭に柱松明木を献し、明治維新まで恒例化。
明治5年、郷社列格。
同33年、所蔵の菩薩面が国宝(旧国宝)に指定。
同39年、永仁4年建立の本殿が国宝建造物に指定。
同43年、大火により社殿はじめ全てが焼失。かろうじて残った菩薩面(平安末期~鎌倉初期作の行道面)は重要文化財となっています。
同44年、本殿再建。大正元年、拝殿再建。
大正5年、摂末社宝蔵等再建。
大正7年、県社に昇格。
延喜式神名帳にみえる「能登国鳳至郡 鳳至比古神社」に当社を比定する説が古くからありました。
明確な根拠があるというわけではなく、「古文什器多きを以て(『特選神名牒』)」といったことからのようです。
他にも数社、鳳至比古神社を主張する神社があり、特に当社と鳳至町の住吉神社の間では天和3年(1683)及び天明2年(1782)に争論が起こり、文政8年(1825)までそれは続いたといいます。
寺院廃絶後に当社が鳳至比古神社を称したこともあったものの、この論争により住吉神社共々鳳至比古神社を称することは禁じられました。
また別に、やはり延喜式神名帳にみえる「能登国鳳至郡 邊津比咩神社」に当社を充てる説もあり、『能登国式内等旧社記』『能登志徴』がこの説を挙げています。
『能登志徴』は次のように述べています。
重蔵島の神云々との一説は古伝説なるべし。三州名蹟誌にも、重蔵島は輪島より十八里沖にあり。今は舳倉島と書り、此島は竜神の領分にて、此島神と輪島の重蔵宮の神とは夫婦神とて、年一度充彼島より輪島へ来り給ふ。其時波高くなり舞楽を奏する音すと、むかしより云伝へり。依て両所とも、同じ文字を用ゆといへり。又水野三春筆記にも、毎年七月二十三日の夜は、舳倉神重蔵宮へ御渡りあるとて、其後舳倉島の海士ども謹粛して神燈をささげ、漁舟を地方へ向て神事を営むとなり。風必ず北風になる。翌二十四日海士より河井町重蔵宮へ、熨斗鮑を献ずる例なりけり。諺に夫婦神と云へりと。能登誌にも、此祭の夜は舳倉島の神渡り乗り給ふとて、侈かに北風に吹替るなど、実に奇瑞ども多しといへり。今按ずるに、夫婦神といへるは全くの伝聞の誤りにて、重蔵宮文明八年の申状に、気多分身とし、今の社記には、大己貴命之別名也などある故に、夫婦神とはいへるならむ、又重蔵宮の名は、彼島名の此に移りたりとの説は、実にさもあるべし。
舳倉島(へぐらじま)は輪島の北50kmの海上に浮かぶ、式内社「能登国鳳至郡 奥津比咩神社」に比定される奥津比咩神社が鎮座する島。
『能登国式内等旧社記』に「旧伝云、舳倉権現与重蔵権現姉妹之神也、故重蔵宮舳倉宮同唱也」とあり、これに従えば「重蔵」は本来「へぐら」と訓んだと取れます。
『能登名跡志』には「往古此処(輪島)は、鷲魔とて悪鳥住て人を取、大穴持命平げ給ひし鷲の骸を納しより鷲蔵宮と云由。又重蔵島より御神体あがり給ふより重蔵と云もあり」。
宗像大社との類似性を指摘する説もあり、その場合、奥津比咩神社が奥津宮、七ツ島の大島が中津宮、重蔵神社が辺津宮に相当するようです。
現祭神は天冬衣命、大国主命の父子神。
もし当社が式内 邊津比咩神社であり、『能登国式内等旧社記』がいうように奥津比咩神社の祭神と当社祭神が姉妹神であるとするなら、元は女神を祀っていたのかもしれません。
また相殿神として、正哉吾勝々速天忍穗耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理比売命、市杆嶋比売命、田寸津比売命の五男三女神を祀っています。
『平成祭データ』ではさらに、表筒男命、中筒男命、底筒男命、建御名方神、豊受大神、事代主命、大山咋神も配祀神として挙げられています。式内社調査報告の記述からすると、明治末に合祀された神社の祭神のようです。
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。
種類がものすごく多いので詳しくは下掲の公式御朱印ページを御覧ください。
オリジナル御朱印帳もあります。
御祭神モチーフのキャラクターが描かれたものと、能登霧島ツツジ柄のもの、いずれも色が何種かあります。あともう一種あるのですが、汎用デザインかも。
アクセス
外浦から国道249号、あるいは内浦から県道1号で輪島へ。
国道249号と県道1号がぶつかる河井中央交差点(位置)のすぐ東が社頭。
社頭(位置、境内南側)が駐車場になっているのですが、月極駐車場の掲示も出ており参拝者が利用していいのか不明(観光案内に駐車場数台分ありと記載あったので一部は参拝者用だとは思うのですが…)。
すぐ北に朝市利用者向けの大きな駐車場があるので、そちらを使ったほうが無難かも(朝市開催時間中に出庫すると300円、それ以外は無料)。
神社概要
社名 | 重蔵神社(じゅうぞうじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 重蔵宮 十蔵権現 重倉大明神 |
住所 | 石川県輪島市河井町4部69番地甲 |
祭神 | 天冬衣命 大国主命 |
相殿 | 正哉吾勝々速天忍穗耳命 天之菩卑能命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命 多紀理比売命 市杆嶋比売命 田寸津比売命 |
配祀 | 表筒男命 中筒男命 底筒男命 建御名方神 豊受大神 事代主命 大山咋神 |
社格等 | 式内社 能登国鳳至郡 鳳至比古神社 式内社 能登国鳳至郡 邊津比咩神社 旧県社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
駐車場 | あり(?) |
公式Webサイト | https://juzo.or.jp/ |
備考 | – |
参考文献
- 「重蔵神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「重蔵神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十六巻 北陸道2』皇學館大学出版部, 1985
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第八巻 北陸』白水社, 1985
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 799-800コマ)