伊豫豆比古命神社(松山市居相)

伊豫豆比古命神社。

通称、椿神社。

松山市居相に鎮座。

式内社 伊豫豆比古命神社の論社で、神社本庁の別表神社。

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境内

東の大鳥居

境内から400mほど東にあります(位置)。

 

大鳥居扁額

 

西の大鳥居

境内から1km弱西にあります(位置)。

 

大鳥居扁額

 

鳥居

 

扁額

 

鳥居手前左手に御旅所

 

 

御旅所中央の社号標

 

御旅所

神輿に遷られた御祭神が、氏子地域へお出ましになる前に仮の御神座となる此の御旅所に一時的に留まられ氏子中の更なる発展を願う神事が執り行われます。

注連石

左 鳳舞

右 龍游

三輪田未山書(明治十五年)

奔放自在なこの表現中には大胆な筆の動きを通し生命の躍動のほとばしりさえ感じられ未山石文の代表作でもあります。

 

楼門

 

楼門の扁額

 

手水舎

 

境内

 

裏参道注連石

 

裏参道

 

裏参道側の手水舎

社殿

拝殿

授与所と一体型です。

 

扁額

 

拝殿周囲には二重の回廊があります。外回廊はいつでも通れますが、内回廊は土日祝日しか入れないのだそうです(神社の祭事の時も入れるかも)。

内回廊では本殿や潮鳴の石を見ることができます。外回廊からでは壁の隙間から覗くしかできないので、当社への参拝は休日をお勧めします(ただ市街地の大きな神社なので混む)。

 

内回廊

 

本殿

 

本殿後ろの扁額

 

潮鳴の石

この石を打ち、耳を当てると潮騒が聞こえるという言い伝えがあります。

この付近には見付け難い花崗岩で、古代祭祀の祭壇として使われたものではないかと考えられているそうです。

 

平日は内回廊は閉鎖されています

 

外回廊

 

隙間から内回廊を覗く

本殿が垣間見えます。

境内社

児守神社

平成24年改築らしく、きれいです。

 

児守神社

御祭神 木花開耶姫命・天之水分命

由緒

木花開耶姫命は、大変美しく天孫瓊々杵尊の皇后となられた御方です。命はご懐妊の際、貞節を疑われたことから証を立てるため、戸の無い産屋を建て、周りに火を放ち御出産になられました。そして無事三人の皇子をお生みになられた故事により、安産・母乳・こどもの健康・水徳の神として崇められております。

 

木造狛犬

 

説明

木造狛犬一対

松山市指定有形文化財 彫刻

昭和五二年三月二五日 指定

狛犬は、宮中や神社に置かれた守護獣の像で、普通の獅子と一角をもつ獅子との姿に作られ、阿吽を表すのが一般的である。獅子形だけの一対もあり、この狛犬はそれである。もとは木造のもので神社の神殿内に置かれていたが、のちに石造りとなって参道の両脇に配されるようになった。この神社の狛犬は、木造で、獅子型だけの一対である。様式化されていて、作行は、雄渾精緻である。銘文を欠き塗料等も剥落しているが、室町時代末期のものと考えられ、松山市内では他に類例を見ないものである。

口をあけた「阿犬」が六四cm、口を閉じた「吽犬」が六七cmの高さである。

 

勝軍八幡神社

 

勝軍八幡神社

御祭神 誉田別命・天照大日霊命

由緒

今を去る八百年の昔、蒙古襲来の折、この地方の豪族であった河野一族が防人として出兵し、伝えられる「神風」の加護により大勝の帰路、大分県の宇佐八幡神社の神を勧請し、現在に至る。

今は「受験合格」・「必勝祈願」・「武道上達」の神として、参拝者や崇敬者のお参りが多く見られる。

 

御倉神社

 

御倉神社

御祭神 宇迦之御霊神

由緒

天孫降臨の神話では、天孫邇邇芸尊が天上界より五穀(米・麦・粟・豆・稗)の籾殻を遣わされて農耕文化を興された古事のとおり御祭神は稲の精霊の神であり、又、居相の里の神としても崇められている。

五穀豊穣・商売繁昌・家運隆昌を護る神。

 

奏者社

この奏者社の後方にあるのが舟山。伝承によれば、伊豫豆比古命・伊豫豆比売命が舟山に御船を寄せた際に、奏者社祭神の潮鳴栲綱翁神が纜を繋いでお迎えしたといいます。

 

奏者社

御祭神 潮鳴栲綱翁神

由緒

伊豫豆比古命様(椿神社の主祭神)が、この地(舟山)にお舟を近づけられた時、厳頭(大きな岩)に艫綱をつなぎ、先住の民の代表者である奏者社の御祭神が迎えられた古事により、萬お取り次ぎの神として信仰篤く、本社参拝に先立ち、まず奏者社に参拝する習慣が残されている。

 

舟山

 

古楠

愛称を「お紅さん」という牝狸がこの楠に住むという伝承があるそうです。

 

根元の洞に祠

 

祓岩(厄祓之場)

 

祓岩(厄祓之場)

その身に降りかかった気枯れやわざわいを祓い清める場所です

祓いの作法

一、「祓岩」の前で一礼します

一、「厄玉」の穴に息と共にケガレをうつします

一、わざわいを清め給えと念じます

一、「厄玉」を「祓岩」に投げつけ悪しきものを砕き清めます

一、終わりに「祓岩」へ一礼します

一、最後に勝軍八幡神社をお詣りください

「厄玉」は御祈祷や授与所にてお受けください

 

鎮魂碑

 

飽食の時代と言われて久しい、今や我が国の指導者の多くは戦争の惨禍を体験して居らぬ。戦場にあってその惨酷さ非道徳性を身に沁みて味わい、又内地にあって空襲の洗礼を受け酷しい食糧事情を体験した者と戦争を知らぬ者との間には其の切実さに於いて大きな違いがある。現状に不満はあるが今日の恒久平和をもたらす基礎となった戦没者は祖国の要請に応えて国民の義務を尽くしたことは疑いもない尊いことである。

ここに生き残った戦友の我々が旧村内有志の協賛を得て慰霊鎮魂の願いをこめ其の遺徳を語り継がんとするゆえんである。

由緒

伊予豆比古神社略記

上古、伊予豆比古命伊予豆比売命(いよづひこのみこと、いよづひめのみこと)この丘に御船を寄せ給う翁の神あり、ともづなをとりて、岩頭につなぎ迎え給う。二神この地に在りて殖産の業を興し、繁栄の素地を創れり。国人徳を慕いて、こヽに斎く。相殿に伊与主命、愛比売命を祀る。翁の神を潮鳴栲綱翁(しおなるのたぐつなのおきな)と称し、奏者社に祀る。今この丘を船山と言い、岩頭に坐せられし故をもって、石居(井)と言うと。境内には椿樹群生繁茂せるにより、椿神社の別称あり。椿の開花せる立春に近き上弦に行わる初祭には、御忍渡御(おしのびのとぎょ)合せ火神事等の特殊祭事あり、参拝者数十万に及ぶ。東に霊峰石鎚を望む道後平野に、いま平和の慈光溢れ、文化都市の発展をみる。上古を偲び神恩を奉謝して茲に建碑す。

創建時期は不詳ですが、社伝によれば大化元年(645)に社殿を造営したといいます。

 

延喜式神名帳にみえる「伊豫国伊豫郡 伊豫豆比古命神社」に比定されています。

また、新抄格勅符抄に「伊与津比古神 二戸 同国(伊豫)」とあります。

 

ただ、当社鎮座地の居相は旧久米郡に属していた地域。これは神名帳の誤記とも、久米郡が伊豫郡から分かれる以前の名残ともされます。

この表記に着目し、当社を延喜式神名帳にみえる「伊豫国伊豫郡 伊豫神社 名神大」に、松前町神崎の伊豫神社を「伊豫国伊豫郡 伊豫豆比古命神社」にあてる説もあります(『愛媛面影』等)。

 

明確な移転の記録はありませんが、元は久米郡梅本村小野谷に鎮座しており、洪水で流され当地に奉斎されたという流れ宮の伝承があります。

この久米郡梅本村小野谷というのは、現在の松山市小野町の小野谷地区のあたりかとも思われますが、日尾八幡神社(松山市南久米町鎮座)の由緒にこれと関連がありそうな話があります。

古今御朱印研究室さんの日尾八幡神社の記事を参照。

日尾八幡神社の祭神の一柱として、伊予比売神という神が祀られているのですが、この神は伊予比古命(当社祭神)と夫婦神で、往古二神は久米郡神戸郷古矢野神山(現在の松山市小野町小屋峠)に鎮座していたとされます。

その後洪水で社殿が崩壊、平井谷村明神ヶ鼻(現在の松山市平井町のどこか)に遷座。さらに延喜17年(917)再び洪水により御神体が流出。伊予比売命の御神体は日瀬里村(松山市久米窪田町)の龍神淵(現・龍神社)で引き上げられ、久米八幡宮(日尾八幡神社)に合祀されたと。

伊予比古命の御神体は天山村(松山市天山町)の縦淵に流れ着き、居相村に遷され伊豫村大明神として祀られるようになり、これが伊豫豆比古神社であると。

この由緒に基づけば、当社の旧鎮座地は小野町小屋峠ということになります。

なお日尾八幡神社に合祀された伊予比売命(伊豫豆比売命)は現在、伊豫豆比古命神社の祭神にもなっています。

 

時期を記した資料が見当たりませんが、明治には県社に、戦後は神社本庁に別表神社に列しています。

 

当社の通称、椿神社の由来ですが、舟山の伝承にもあるようにかつて当社周辺は海であり、「津の脇の神社」=「つわき神社」から「つばき神社」へ転訛したとする説があります。

また、現在も境内に自生する椿から椿神社と呼ばれるようになったとも言われます。

 

祭神伊豫豆比古命は伊豫の主宰神で、伊予豆比売命はその妻神。

伊与主命は、先代旧事本紀 巻十の国造本紀に、応神天皇の御宇に初代久味国造に就任したとあります。その名は「湯の大人(うし)」からきているという説も。

伊豫豆比古命と伊与主命については、同神とする説と、伊豫豆比古命を祖神・伊与主命をその後継者と考える説とがあります。

愛比売命は愛媛県の名の由来ともなった女神。

御朱印

御朱印はあります。

社殿右側の授与所で拝受可。

オリジナル御朱印帳もあり。

 

こちらとは別デザインのものもあります

アクセス

県道190号沿いに鎮座しています。

椿神社入口交差点(位置、大きな社号標あり)から西に700mほど行くと社頭です。

境内入口の鳥居右手(位置)か、社殿南側(位置)に駐車場があります。

神社概要

社名伊豫豆比古命神社(いよずひこのみことじんじゃ)
通称椿神社
旧称
住所愛媛県松山市居相2-2-1
祭神

伊豫豆比古命

伊豫豆比売命

伊与主命

愛比売命

社格等

式内社 伊豫国伊豫郡 伊豫豆比古命神社

式内社 伊豫国伊豫郡 伊豫神社 名神大

続日本紀 天平神護二年四月甲辰(十九) 伊予神 従五位下

日本三代実録 貞観四年九月十八日甲申 伊豫村神 従四位下

日本三代実録 貞観八年閏三月七日壬子 伊豫村神 正四位下

日本三代実録 貞観十二年八月廿八日戊申 伊豫村神 正四位上

旧県社

別表神社

札所等
御朱印あり
御朱印帳あり
駐車場あり
公式Webサイトhttp://www.tubaki.or.jp/
備考

参考文献

  • 「伊予豆比古命神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「伊豫豆比古命神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 339コマ