稲前神社。
岡崎市稲熊町字森下に鎮座。
式内社 稲前神社に比定される神社。
境内
参道石段
社号標
一の鳥居
手水舎
二の鳥居
境内
狛犬
三の鳥居
拝殿前の狛犬
裏参道側(だったと思う)の社号標
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内社等
秋葉神社金刀比羅神社合殿
石祠
春日神社碑
井戸?
伊勢神宮遥拝所
由緒
神社名 稲前神社
御祭神 天照皇大神 天児屋根命 應神天皇
境内地 一二五六坪
御由緒
式内神社で三河国二十六座の内、額田郡二座の一である。創立年代は不詳であるが、国内神名帳に正五位下稲隈天神坐額田郡と記され、平安朝初期以前の創立である。往古岡崎の地は弘く天神山と称えられ、稲前神社の社領並に社地であり、伊勢神領に属していた。大神宮に新稲を奉る国民は先づ神社の神倉に運び置き、のちに伊勢に送ることにより稲前の号がつく。鎌倉時代に至りこの地が武家の庄地となり、對面所の辺(材木町)に移され、更に岡崎城郭の拡張により元神明へ、その後現在の地に遷座される。慶長二十年春木氏より祭田一町二畝十歩の寄進があり、享保十七年に石鳥居、慶應二年三河官社二十六座之内稲前神社と記せる標石を造立する。明治二年拝殿改築、同十四年式内社なるを以て郷社に列せられ、同四十二年神饌幣帛料供進神社に昇格する。同四十五年鶴田鎮座の金刀比羅社、大正二年海深鎮座の春日社をそれぞれ境内に遷座する。昭和四十四年本殿及び社務所を改築する。今は絶えた昔年の御田植神事歌
今年は豊年丈が一丈で穂が五尺 まいたるたねが一束三ばで五斗八升
その昔、岡崎は伊勢神宮の神領であったとされ、稲前神社には、神宮に奉納する稲を入れる倉があったといわれます。このことから推測すると、岡崎で最も古い神社ということになります。
記録によると、もと岡崎城の地にあり、総持寺を再興するに際し、材木町に移され、更に、岡崎城城郭の拡張に伴い、現在の場所に移されたといいます。
創建時期は不詳。
当初は岡崎城の地に鎮座。
往古の岡崎は伊勢神宮の神領で、神宮に奉納する稲を保管する倉があったといわれ、「稲前」の社号はそこに由来するといいます。
延喜式神名帳にみえる「三河国額田郡 稲前神社」に当社をあてる説があります。
その後、総持寺が再興される際に材木町字久後(現在の材木町1-3という)に遷座。
鎌倉後期~室町前期のようですが、総持寺の再興時期がはっきりしないので正確には不明。
さらに天正年間(1573~92)、岡崎城郭の拡張に伴い現在地へ遷座。
明治5年村社に列し、同14年郷社に昇格。
明治45年に金刀比羅社、大正2年に春日社を合祀。
祭神は天照皇大神で、天児屋根命と應神天皇を合祀。
御朱印
御朱印はあります。
当社から1.5kmほどの場所に鎮座する徳王稲荷社金刀比羅社の社務所でいただけます。書置きになります。
アクセス
東名高速の岡崎ICを名古屋・豊田方面に降ります。
降りて1kmほど先、朝日町3丁目交差点(位置)を右折。
1.4km先の小呂町4丁目交差点(位置)を左折。1kmほど先、岡崎北高東交差点(位置)を右折。
住宅地を道なりに進むと、通り抜け禁止の駐車場前に出るので左折。その先すぐのところ(位置)から境内に乗り入れ可能。
豊橋・豊川から国道1号を北上してきた場合、岡崎インター西交差点(位置)を右折。
3kmほどで岡崎北高東交差点(位置)に出るので後は上記と同じ。
他から来る場合もとりあえず県道26号上の岡崎北高東交差点を目指せばいいと思います。
神社概要
社名 | 稲前神社(稻前神社)(いなくま/いなさきじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 愛知県岡崎市稲熊町字森下6 |
祭神 | 天照大神 |
合祀 | 天児屋根命 應神天皇 |
社格等 | 式内社 三河国額田郡 稻前神社 旧郷社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり(徳王稲荷社金刀比羅社で授与) |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「稲前神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「稲前神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 愛知県神社庁編『愛知県神社名鑑』愛知県神社庁, 1992
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第九巻 東海道4』皇學館大学出版部, 1988
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 上巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 840-841コマ)