日長神社(岡崎市中島町字新町)

日長神社。

岡崎市中島町に鎮座。

式内社 日長神社の論社。

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境内

鳥居

 

社号標

 

手水舎

 

社号標

 

狛犬

社殿

拝殿

 

本殿覆屋

境内社等

稲荷社・琴平社・猿田彦社

 

秋葉社

 

中島招魂社

 

秋葉山常夜灯

 

御神木

 

こちらも御神木?

 

祓所?

由緒

社記

鎮在地 愛知県岡崎市中島町新町拾八番地

社号 日長神社

御祭神 吾田鹿葦津姫尊 天津日高日子番能邇々藝尊 大日霊貴尊

由緒

社伝に往古此の地方は海中の島嶼にして葦茂り一体は芦嶋と称し芦嶋稍開くるに及び日久良志の里と称するに至れり

而して此の地は日久良志の里の内日奈加島なりと云ふ

当神社は第二十六代継体天皇の御代此の地芦嶋開発のため豊穣人民繁栄の守護神として創祀し日長の宮と称す

第七十八代文徳天皇仁寿元年九月朝廷より神階従五位下を授けられ位田を賜はる延喜式神名帳に三河国二十六座の内に記載三河国内神名帳には従四位下と有り既に千五百余年を経たる古社にして広大なる社地を有し比奈加島住民の崇敬厚く徳川幕府累代の将軍社領拾石の朱印地を寄進して尊崇せられたる名社なり

社格 往古は明神 明治初年より村社 現在神社本庁所属十二級社

社領 徳川幕府寄進拾石 明治初年奉還

境内地 六百二十六坪

境内社

秋葉社 祭神 火之迦具土神 火の神

稲荷社 祭神 保食神 食物の神

琴平社 祭神 金山彦神 金の神

相殿 祭神 澳津彦神 澳津姫神

猿田彦神 導神

氏子 百四十戸

例祭 十月十一日

創建時期は不詳ですが、社伝によれば継体天皇の御代、天皇の勅言により日向国笠狭御崎の神を当地に遷し、皇祖神二柱を祀ったとされます。

往古の当地は海中の島嶼であり、一帯に葦が茂っていたため芦嶋と称されていましたが、やがて一帯は開かれて日久良志の里、島は比奈加嶋と呼ばれるようになったといいます。

 

文徳実録 仁寿元年(851)10月乙巳(7日)条に「進参河国…日長…等十一神。並授従五位下」とみえる日長神、また延喜式神名帳にみえる「三河国碧海郡 日長神社」を当社とする説があります。

『三河国内神名帳』にみえる「従四位下 日長明神」についても同様。

 

正中2年(1325)に皇大神宮の神を合祀。

 

慶長8年(1603)、徳川家康より朱印地十石を拝領。その後も代替わり毎に朱印状が発給されましたが、明治初年に社領奉還。

明治9年村社列格。

 

祭神は吾田鹿葦津姫尊、天津日高日子番能邇々藝尊、大日孁貴尊。

ただし『平成祭データ』『愛知県神社名鑑』は瓊瓊杵尊を祭神に記載していません。

『神名帳考証』は石長姫、『神社覈録』は肥長比売とします。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

国道23号を西尾東インター(位置)で下りて、県道383号→43号と北東へ。

2kmちょっと先の中島町小園交差点(位置)で右折し、道なりに1kmほどで神社。

 

駐車場はありません(境内左手のは契約駐車場)。

神社概要

社名日長神社(ひながじんじゃ)
通称
旧称神明社
住所愛知県岡崎市中島町字新町18-2
祭神

吾田鹿葦津姫尊

天津日高日子番能邇々藝尊

大日孁貴尊

現祭神

石長姫

『神名帳考証』

肥長比売

『神社覈録』
社格等

式内社 三河国碧海郡 日長神社

日本文徳天皇実録 仁寿元年十月乙巳(七) 日長神 従五位下

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「日長神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「日長神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 愛知県神社庁編『愛知県神社名鑑』愛知県神社庁, 1992
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第九巻 東海道4』皇學館大学出版部, 1988