引田部神社。
佐渡中心部より少し南西の金丸に鎮座。
式内社 引田部神社に比定される神社。
境内
社頭
社号標
鳥居
扁額
「九社第三宮」は当社が佐渡国三宮とされるため。
狛犬
手水舎
社殿
拝殿
屋根に〇に引田部の紋がありましたが、神紋かな。
拝殿の銅鑼と鈴
本殿覆屋
本殿屋根
境内社
八坂神社
鳥居の跡?
由緒
引田部神社
延長5年(927)醍醐天皇に上進された延喜式巻第十(神名帳)には、佐渡国九座の中、雑太郡五座の一つに引田部神社が載せられている。
祭神 大己貴命
境内社 八坂神社
祭神 素盞嗚尊
合祀 倉稲魂命
例祭日 4月15日
宝物 上杉氏制札 天正17年(1589)
『佐渡国寺社境内案内帳』には「当社九社の内なり、縁起もこれなく」とあり、由緒は伝わっていません。
別当勧性院(聖護院派に属した修験)の『神社縁起』では開基延喜4年(904)とされていますが、これも憶測に過ぎない様子。この勧性院が別当であった時期もいつまで遡れるか不明。
当社西方約250mのこうがい崎(落合橋東端辺り)という場所が旧地であるという土地の伝えがあるそうです。しかしそこは湿地帯で、社地があったとは考えづらい場所。
近年まで神社の水田八反歩ほどがあり、新穀祭に米を出したという話もあることから、旧地ではなく神田があったとの見方もあり。
延喜式神名帳にみえる「佐渡国雑太郡 引田部神社」は当社に比定されています。
佐渡国三宮ともされていますが、これは延喜式神名帳の並び順からくるもののようで、特にそれ以上の理由があるわけではないようです。
明治6年(1873)郷社列格。
社伝によれば、祭神は大己貴命。
『佐渡国寺社境内案内帳』、『神名帳考証』、『特選神名牒』、『大日本神祇志』、『佐渡志』、『佐渡神社誌』等もこの説を採っています。
『神社明細帳』『明治神社誌料』は猿田彦命とします。
これは延享年間、橘三喜が社参の折、神号を納めたことによります。
『地理志料』では大物主神。
『神社覈録』は祭神詳らかならず、とします。
なお当社の北10数kmには佐渡の最高峰金北山が聳え、当社はこの山を神体山としています。
金北山は佐渡総鎮守とされてきた霊峰で、祭神は大彦命。
『大日本地名辞書』はここから、当社も阿部氏の一族引田氏の祖である大彦命を祀る社とする説を挙げています。
御朱印
御朱印はあります。
豊田諏訪神社で拝受可。
豊田諏訪神社の項でも触れますが、こちらは墨書きは自分で、というスタイルです。
宮司さんはその上に印を押してくれます。
アクセス
佐渡市中興にある国道350号の交差点(位置)まで行きます。
そこから南に1kmちょっと行くと、右手に引田部神社があります。
駐車場はありません。社殿右手に駐車スペースっぽい空間があるのですが、真横に防火水槽があるので駐車禁止なのです。参拝時は駐車場だと思って停めていて、後で写真を見返して気づきました。
よそのサイト見てもここに停めている人が多いですが、別の場所を探したほうがいいと思います。
神社概要
社名 | 引田部神社(ひきたべじんじゃ) | |
---|---|---|
通称 | – | |
旧称 | – | |
住所 | 新潟県佐渡市金丸488-丙 | |
祭神 | 大己貴命 | 社伝 『佐渡国寺社境内案内帳』 『神名帳考証』他 |
猿田彦命 | 『神社明細帳』 『明治神社誌料』 | |
大物主神 | 『地理志料』 | |
大彦命 | 『大日本地名辞書』 | |
社格等 | 式内社 佐渡国雑太郡 引田部神社 佐渡国三宮 旧郷社 | |
札所等 | – | |
御朱印 | あり | |
御朱印帳 | – | |
駐車場 | なし | |
公式Webサイト | – | |
備考 | 旧地は西方約250mのこうがい崎(落合橋東端辺り)という |
参考文献
- 「引田部神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「引田部神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十七巻 北陸道3』皇學館大学出版部, 1987
- 新潟県神職会佐渡支部編『佐渡神社誌』新潟県神職会佐渡支部, 1926(国会図書館デジタルコレクション 71-72コマ)
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 上巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 457-458コマ)