若宮八幡宮。
葵区浅間町に鎮座。
神部神社の社家が創祀したとされる神社。
境内
長谷通りから一本北の細い路地の奥にあります
鳥居
社号標
手水舎
社殿
拝殿
本殿
境内社等
稲荷神社
招魂社
大クス
指定年月日 昭和五十年十二月十八日
所在地 静岡市浅間町一丁目四十番地
「若宮八幡大クス」は一八三五年(天保六年)の新庄道雄編の「駿河国新風土記」に、『惣社神主宅は浅間惣社惣門の前東の角にあり 宅地に若宮八幡の社あり 此社なる楠太さ廻り六 七間 堅実にして枝葉繁茂す いづこの老樹も必ず朽たる所あるもの多けれども此樹の如きもの府の辺に比なし』と記されている。また、一八四五年(弘化二年)の「駿河名木番付」で、東の小結に番付けされているなど江戸時代から駿河国の中でも有数の名木であったことが知られている。現在、落雷などにより幹の中央部が空洞化しているものの樹勢は良好である。
目通り周囲 十・二m 樹高 二十二m
枝張り 東西 二十六m 南北 三十三m
由緒
静岡市浅間町一丁目四〇番地
一、御祭神
誉田別命 稚日孁尊 大己貴命
相殿祭神
奥津嶋比売命 市杵島比売命 多岐都比売命
一、例祭日
十月十六日(十月十六日に近い日曜日)
一、御由緒
創建の年月は確実にはわからないが、社伝に依ると、人皇十代崇神天皇の七年(西暦紀元九一年)天社国社の制が定められた時駿河国の神部神社の神主を命ぜられた志貴家の祖先大和国磯城郡から当地に赴任し、此処に居宅を構え邸内に稚日孁尊、大己貴命を勧請鎮祭したのが、この神社の創祀といわれる。後に誉田別命と併せて奉祭し若宮八幡宮と称するようになった。
徳川家康公駿府社城の頃は鷹狩等の途次屡々神主邸に立寄り大楠の木陰で休憩されたとも伝えられている。
この神社は、後に宮内村(現在の浅間町)の氏神として町民の信仰厚く明治八年村社に列した。
一、御神徳
誉田別命(八幡様)国を守護し、又人々に勇気と力を与える神
稚日孁尊 健康長寿
大己貴命(大国様)開運招福、商売繁昌、夫婦和合、縁結び、病災消除、家内安全、学業成就
市杵島比売命(弁天様)国家平安、福徳、交通安全
一、境内社
稲荷神社 保食神を祀る。衣食住の守護神
招魂社 東照宮の家臣柴田氏家の霊を祀る。貞享四年創建
一、境内
四百拾四坪ある。
境内の楠の大樹は推定樹齢二千年周囲十メートル余
静岡市指定の天然記念物である。
社伝によれば創建は崇神天皇7年(BC91)。
神部神社の社家志貴家が当地に赴任した時に邸内に祀ったというので、神部神社と同時期になっているのでしょう。事実とすれば相当な古社です。
元の祭神は稚日孁尊、大己貴命で、後に誉田別命を併せ祀ったので若宮八幡宮と称するように。
明治8年村社列格。
その由緒から興味深い神社ではあるのですが、言及している資料が見当たらず、詳しいことがわからないのが残念です。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
宮内神社のすぐ後方が境内ですが、そちらから直接は入れません。
宮内神社前から静岡浅間神社とは逆方向に少し歩くと銭湯がありますので、そこを左手に入ります。
次の十字路(位置)を左手に入ります(冒頭の写真のところ)。その先正面に神社。
駐車場はありません。宮内神社前のコインパーキングに停めるのがよろしいかと。
神社概要
社名 | 八幡宮(はちまんぐう) |
---|---|
通称 | 若宮八幡宮 |
旧称 | – |
住所 | 静岡県静岡市葵区浅間町1-40 |
祭神 | 誉田別命 稚日孁尊 大己貴命 |
相殿 | 奥津嶋比売命 市杵島比売命 多岐都比売命 |
社格等 | 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「八幡宮」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995