宇都可神社。
滋賀県甲賀市との県境に位置する、伊賀市内保に鎮座。
式内社 宇都可神社の論社。
境内
社頭
鳥居
社号標
遺跡と書かれた碑
梵字と「奉供養大峯山上~」と彫られた碑
石段
神像…?
鐘楼
手水舎
社殿
石段と社殿
社殿
本殿はありません。
境内社
名称不明の境内社
意味ありげな石組
由緒
真木山神社と同じく、延長五年(927)に編纂された「延喜式」に記されており、平安時代中頃には存在していた古い神社です。
創建は不詳。
かつては通山明神(つうさんみょうじん)と称していたといいます。
出口延経の『神名帳考証』、『伊水温故』、伴信友の『神名帳考証』が当社を延喜式神名帳にみえる「伊賀国阿拝郡 宇都可神社」に比定しています(同時に三代実録 貞観15年(873)9月27日己丑条に「伊賀国…正六位上宇豆賀神…従五位下」とみえる宇豆賀神にも比定されると思われます) 。
『伊水温故』に「宇都賀ヲ内保ト謬タル也」、『三重県神社誌』に「内保ノ通山祠ハ地方ノ名祠ニシテ其地名ノ内保最モ宇都可ノ社名ニ縁アレバ寧ロ内保説ヲ以テ勝レリトセン」とあり、宇都可と内保(うちほ)の音が近いことがその理由のようです。
当社の東約10kmに油日岳という山があり、この山を神体山とする油日神社がお隣滋賀の甲賀市甲賀町油日にあります(位置)。
油日神社もかつて通山大明神と称していたそうで、当社との関係が考えられる、と『日本歴史地名大系』は記しています(『三重県の地名』巻に「通山明神跡」として当社項目あり)。
『三重県神社誌』に『宇都可里内保記』という書の内容として、聖徳太子が内保里で白髪の翁に尋ねたところ翁は「我宇都可翁七代の苗裔宇摩志阿斯許備比古遅神次代天常立神變宇都可翁」と言い、そこで太子は「此地ゑ通山宇都可大明神奉斎」した、とあります。
これによれば太子が当地に赴いたのは用明天皇6年とされていますが、用明天皇は2年しか在位していないため謎。
明治40年、阿山町大字玉瀧字宮ノ下(現・伊賀市玉瀧)の村社豊田神社に合祀。
同時に、豊田神社は玉瀧神社へ改称しています(玉瀧神社は現存。三重県伊賀市玉瀧7609)。
『式内社調査報告』によれば、当地は玉瀧神社の御旅所となっているとのこと。社頭に「遺跡」と書かれた碑があるのはそのためでしょうか。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
名阪国道の壬生野ICを降りて県道49号を北上。6kmほど先、槙山口交差点(位置)を直進して県道775号へ。2.5kmほど先、玉滝交差点(位置)を左折、県道50号へ。300mほど行って、三又に分かれる道(位置)を右の県道133号へ。
133号を1km強走った所(位置)で右折し、そのまま進めば神社前へ。
駐車場はありません。参道左手に集会所的な施設があり、そこのスペースをお借りしました。
神社概要
社名 | 宇都可神社(うつかじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 通山明神 |
住所 | 三重県伊賀市内保 |
祭神 | 天忍日命(通山明神由来記) 金山彦命(三国地誌) |
社格等 | 式内社 伊賀国阿拝郡 宇都可神社 日本三代実録 貞観十五年九月廿七日己丑 宇豆賀神 従五位下 旧村社 玉瀧神社御旅所 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「通山明神跡」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第六巻 東海道1』皇學館大学出版部, 1990
- 三重県神職会編『三重県神社誌 第2』三重県神職会,1922(国会図書館デジタルコレクション 257-264コマ)