植木神社。
伊賀市平田に鎮座。
式内社 葦神社の論社。また、合祀の鳥坂神社(同名社が2社合祀され、そのいずれも)は式内社 鳥坂神社の論社。
境内
鳥居
社号標
三重県指定無形民俗文化財 植木神社祇園祭 の標
芭蕉句碑「枯芝やややゝかげろふの一二寸」
手水舎
二の鳥居
鐘楼
欅 樹齢400年
いちょう 樹齢200年
社務所
神輿庫?
狛犬
社殿
拝殿
扁額と祭神の額
神馬
本殿
神饌殿
由緒
昭和五十四年三月二十三日指定
文永年間この地に宮柱太敷建て奉斎し、植木牛頭天王と称した。四季の祭礼は盛大に執り行われ、中でも祇園会は、六月七日から十四日まで真泥の差出の宮を二の宮と定め、大竹に白幣を神璽として渡御し、猿楽、田楽等終日歌舞を相勤め、十四日午刻還御し本祭を執行した。
慶長二年に一棟三扉の本殿を新築し、平田郷十ケ村の惣社として崇敬され、祇園会例祭には、二柄の御輿に平田町の山車三台、中島の献花や花太鼓等が供奉し八王子宮へ渡御される。
現在は七月の最終土曜日を宵宮、翌日曜日を本祭と定め、祇園囃子も賑やかに絢爛豪華に執り行われている。
明治二年布告に依り植木神社と改称、明治七年五月郷社に列せられた。
社伝によれば、創建は寛弘元年(1004)。
出雲国意宇郡日御碕の住人桃木某三男政守という人が、播磨国飾磨郡広峰山から牛頭天王を勧請、玉手村清水谷の鳥坂神社の相殿に祀ったのが始まり。
延喜式神名帳にみえる「伊賀国山田郡 葦神社」に当社をあてる説があります。
ただ、上記由緒からすると延喜式以降の創建になってしまいます。
牛頭天王を相殿に勧請したという鳥坂神社や、現社地に元より鎮座していたという山田神社(鳥坂神社)が葦神社とも考えられますが、山田郡には別に式内社として鳥坂神社があるため、謎。
文永2年(1265)に洪水で流失(『日本歴史地名大系』は文永6年とする)。移転再建するにあたり枯れた榊枝を各所に挿し植えたところ、山田神社の地(現在地)に挿した枯榊が根を生じたことから山田神社と合殿として祀られました。
天正9年(1581)に兵火に遭い、東北方の平田村の飛地地獄谷に仮社を造営し遷座。慶長の初めに当地へ還座。
明治2年に植木神社と改称。同7年郷社列格。
当社には合殿として山田神社が祀られています。
『式内社調査報告』の記述では明治に複数の神社が合祀されて山田神社となり、当社合殿になったように読めるのですが、『三重県神社誌(旧版)』や『日本歴史地名大系』からすると、上述の文永の流失後に牛頭天王(当社)と合殿になった山田神社が存続しているように読めます。そしてこの山田神社は鳥坂神社と称したとも書かれています。
(『三重県神社誌(旧版)』に「山田神社ハ元鳥坂神社ト称セシヲ明治四十年四月十六日許可ヲ受ケ(中略)同年七月二十九日合祀執行」、『日本歴史地名大系』に「合殿の山田神社は古来より存在し、もと鳥坂神社と称したと社記にある」。)
延喜式神名帳にみえる「伊賀国山田郡 鳥坂神社」の論社の一つに「阿山郡大山田村大字平田(伊賀市平田)の鳥坂神社」がありますが、これはすなわち山田神社のことではないでしょうか。
『式内社調査報告』は平田の鳥坂神社について「明治四十年七月に他の神社に合祀され」としていますが、「された」のではなく「した」のでは。
『三重県神社誌(旧版)』には翌明治41年の合祀と同時にこの合殿社を山田神社に改称したとあるので、それまでは鳥坂神社を称していたのではないかと推測します。
また、同じく式内 鳥坂神社の論社である「阿山郡大山田村大字出後(伊賀市出後)の鳥坂神社」が明治41年に山田神社に合祀されています。
明治7年の時点では、教部省はこの出後の鳥坂神社(岩坂勝手明神)を式内社に指定しています。
公式に式内認定した神社を敢えて合祀してしまうのも不思議な話ですが、『式内社調査報告』はこの頃に甲野の鳥坂神社が式内社として有力になったからではないかと述べています。
なお出後の鳥坂神社は「出後集落から南の上野市喰代へ通ずる道の西方鳥坂山麓中野」だそうで、『日本歴史地名大系』は勝手明神跡として個別項目を立てていますが、跡地が現在も残るのかは不明(出後から喰代への道は県道56号っぽいですが…)。
鳥坂神社について一点気になるのが、当社祭神が相殿に勧請されたという玉手村清水谷の鳥坂神社。
由緒からするとかなり古い時代から存在したようですが、特に式内論社に挙げられていません。また、牛頭天王と同地で祀られていたならば文永の洪水で流されているはずですが、その後の再興等の伝承もありません。玉手村清水谷がどこなのかは不明ですが、『式内社調査報告』は「出後村は旧名玉手村である」というので、もしかすると出後の鳥坂神社(岩坂勝手明神)がこれにあたるのかもしれません。
祭神は健速須佐之男命と櫛名田毘売命。元が牛頭天王社だったからでしょう。
配祀神が非常に多いのですが、これは多数の神社が合殿の山田神社に合祀されているため。三重県は明治の神社合祀が大変多く、県下神社の9割が廃されたといわれます。
御朱印
御朱印はあるようです。
ただ通常無人なので、事前に連絡が要るようです(ネット情報による)。
アクセス
国道163号を、上野公園や上野市駅のあたりから9kmほど東へ走り、平田交差点の一つ手前(位置)で左に入ります。
100mほどで社頭。
確か社頭付近の境内に駐車場があったはずですが…
神社概要
社名 | 植木神社(うえきじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 植木牛頭天王 |
住所 | |
祭神 | 健速須佐之男命 櫛名田毘売命 |
配祀 | 鳥鳴海神 事代主神 火之迦具土神 品陀和気尊 菅原道真 大山祇命 猿田毘古神 弥都波能売神 健速須佐之男命 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命 天之穂日命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命 多紀理毘売命 多岐津毘売命 武甕槌命 市杵島姫命 少彦名命 宇迦之御魂命 底筒之男命 中筒之男命 上筒之男命 大日孁貴命 鹿島御子三十八神 大物主命 香香脊男命 五十猛神 大稲輿命 大友皇子 志那都毘古命 志那都毘売命 安閑天皇 山田惟之 大己貴命 |
社格等 | 式内社 伊賀国山田郡 葦神社 式内社 伊賀国山田郡 鳥坂神社(合祀の鳥坂神社 二社いずれも) 旧郷社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり(おそらく) |
公式Webサイト | – |
備考 | 往古は玉手村清水谷(場所不明)に鎮座 |
参考文献
- 「植木神社」ほか, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「植木神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第六巻 東海道1』皇學館大学出版部, 1990
- 三重県神職会編『三重県神社誌 第2』三重県神職会,1922(国会図書館デジタルコレクション 89-113コマ)
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 上巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 754-755コマ)