鳥屋嶺神社。
丸森町字除北、阿武隈川を背に鎮座。
式内社 鳥屋嶺神社に比定される神社。
境内
社頭
社号標
鳥居(2021年現在、損壊している模様)
手水鉢
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内社等
山神尊碑
石祠(神明社?)
由緒
この神社は鸕鷀草葺不合尊を中央に左は猿田彦大神、右は宇賀美多満尊(保食神)の三柱の神々をお祀りしてあります。
この神社がいつ建てられたか知られてはいませんが延喜式の神名帳に陸奥国百座の中の神社として記録されていることから今から千百年以上前に建てられたことが分ります。
五穀豊穣・家内安全・身体健固のご利益のある神社として信仰されてきました。
江戸時代には隣接の鳥屋館にあった丸森邑主佐々氏から手厚い庇護を受け、文政三年には大がかりな修理を行ったことが記録に残されております。(丸森町史・資料篇)
明治五年に村社格に列し、明治四十年には神饌幣帛料供進社に指定されました。
昭和二十八年三月丸森田町の大火で類焼したが氏子たちの努力により同年十一月再建されました。
神社の祭典は毎年七月二十八日にとり行います。
創建時期は不詳。
延喜式神名帳にみえる「陸奥国伊具郡 鳥屋嶺神社」は当社に比定されています。
吉田家本の延喜式神名帳では「トリヤミネノ」と訓んでおり、『神名帳考証』『神名帳考証土代』もそれに倣い、『日本歴史地名大系』や宮城県神社庁のページでも「とりやみね」としていますが、『平成祭データ』では「とやのみね」で、『式内社調査報告』でも「現在は「トヤノミネ」神社と称している」とします。
もとは現在地より東に鎮座していたらしく、鳥屋館の築造に伴い現在地へ移転。神社のすぐ東が鳥屋館跡のようなので(位置)、旧鎮座地はその辺りなのでしょう。
『管内式内神社調』は「天正年間大條薩摩(実頼?)ナル者居館ヲ築カントテ今ノ地ニ神社ヲ移シ其社地ニ築シニ依リテ館ヲ鳥屋館ト称シ」としていますが、鳥屋館の築造は慶長年間とされるので、実際の遷座は慶長期と思われます。
しかし『日本歴史地名大系』は『伊具郡誌』の記述として「近世には丸森村を領した着座格の佐々氏の氏神で、もとは現在地より東にあったのを同氏が文政3年(1820)に移したという」と記しています。
『管内式内神社調』は「大條薩摩遷社以来漸頽廃ニ及ヒ社殿ノ有無モ弁シ難キ程ノ小祠ノミナリシヲ、文政四年佐々伊織ナル者頽廃を歎キ土木ヲ発シ造営セシヨシ」としているので、『日本歴史地名大系』のいう文政の遷座は再興を指すのかと思われます。
明治5年村社列格。
昭和28年の大火により社殿消失、同35年再建。
祭神は鵜草葺不合命。
『伊具郡誌』は猿田彦命と保食神を配祀するとし、『平成祭データ』もこれに倣っています。
御朱印
御朱印はあります。
本務社の小斎鹿島神社で拝受可。
アクセス
丸森町役場や丸森病院の北東にある交差点(位置)を北に入ります(ここまでは福島から国道349号か、仙台から国道4号→349号で来て丸森町の市街地に入ってください)。
突き当りを右に曲がるとすぐ神社があります。
ただし駐車場がありません。周囲は住宅地で道が狭く境内乗り入れも不可。
停められるとすれば、神社の東、丸森大橋の南詰にスペースがあるので(位置)そこか、あるいはそこから西に進むと階段があり、車道は行き止まりになっているので(位置)そこか。
神社概要
社名 | 鳥屋嶺神社(とりやみね/とやのみねじんじゃ) |
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通称 | お鳥屋さん |
旧称 | 鳥屋の明神 |
住所 | 宮城県伊具郡丸森町字除北42 |
祭神 | 鵜草葺不合命 |
配祀 | 猿田彦命 保食神 |
社格等 | 式内社 陸奥国伊具郡 鳥屋嶺神社 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | 往古は現在地より東に鎮座 |
参考文献
- 「鳥屋嶺神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「鳥屋嶺神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十四巻 東山道3』皇學館大学出版部, 1986